24 2015年01月いつもなら醤油や味噌を渡して私だけのスペシャリテを作ってもらうのだが、今回は少し趣きを変えて、店の人に醤油の使い比べをしてもらった。取材対象となる店は、梅田(大阪)で連日賑わいを見せる「炭味家 えびす丸」。元漁業関係者が独自のルートを使って魚や一夜干しを提供する店である。巻網漁業をやっていた時に全国の漁港と仕事をしていた関係上、そのパイプをいかして炭火焼の店を営み、各港で揚がった魚などを出している。最近は北海道愛食大使認定店や食べてみんね!長崎県産品応援店、MELジャパン認証水産物取扱店にも選出されているほどだからそのルートの強さは推して知るべしだろう。さて、そんな漁業と深いつながりを持つ店主は、どの魚にどんな醤油を用いたのか、店主のエピソードとともに読んでもらいたい。

炭味家 えびす丸(大阪・梅田) 料理人/田中隆男・たか子
(炭味家 えびす丸店主)
「九曜むらさきは、甘みがあって柔
らかい味わいです。
甘くてサクサクしている香住のヤリ
イカにもいいですが、ねっとりした
厚岸の真イカ(スルメイカ)には
一番適していますね」

浅からぬ縁の、元漁業関係者

らぱんらぱん

大阪駅前第3ビル地下2階に「炭味家 えびす丸」なる居酒屋風の店がある。地方の魚や一夜干しを食べさせてくれる店で、仕入れルートがしっかりしているので新鮮な上にリーズナブルに食事できると、連日会社帰りのサラリーマンなどで賑わっている。この店を営むのは淡路島出身の田中さん。店主の田中隆男さん、奥さんのたか子さん、そして隆男さんのお兄さんの田中秀和さんの三人でこの繁盛店を切り盛りしている。
個人的な話で申し訳ないが、「えびす丸」の田中夫妻とは浅からぬ縁がある。まず奥さんの田中たか子さんが、仕事の面で色々とお世話になってきた某有名メーカー・宣伝部のK氏の妹さんにあたる。さらに田中隆男さんは我が母親と同郷の人で、私の叔母に聞くと、どうやら田中さんのお姉さんとは友達だという。さらにさらに話を加えれば、田中さんが店をやるきっかけとなったのは、同郷の先輩が辻学園TEC日調にいたから。その先輩にあたる人が、これまた私の仕事に深く関係していて、店ができる前から「オープンしたら応援してあげて」と頼まれていた。これだけではなく、この店を設計したのが私の知人、そして田中さん夫妻は私の大学の先輩にあたるのだ。よくもこれだけ色んな所で絡んでいたものだと感心させられるのだが、それだけに私自身も身内的な意識が強く、ことあるごとに訪れてはハイボールやビール片手に、一夜干しで一杯飲ることにしている。

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 私にとって「えびす丸」は単なる飲食店ではない。そもそも田中隆男さんは以前、漁業に従事していて、その伝手で各所の旨い魚が集められるわけだが、それとともに漁業情報も集まってくる。つまり私としては漁場には行かずとも情報収集できる利点も得られるのだ。
かつて田中隆男さんは、淡路島で家業を継いでいた。所有し、乗っていたのは300tの「えびす丸」という巻網漁船。その巻網漁船ではサバ、イワシ、アジ、カツオ、マグロなどを獲っており、北海道の道東から千葉県までの太平洋側と、秋田県から兵庫県までの日本海側で漁業を行っていたそうだ。そんな「えびす丸」が男鹿半島沖で座礁し、それが原因で廃業を余儀なくされた。また船を造り、漁業を続ける手もあったが、田中隆男さんは全くそれが頭を擦めなかったらしい。田中隆男さんに言わせれば、「もう漁業は儲かる時代ではない」ようで、これを機に新しい人生を歩むことを決めた。田中さん夫妻は、前述した先輩の伝手で調理師を目指し、辻学園へ。まさに四十の手習いである。20歳以上下の生徒と自分の年齢に近い先生とに挟まれ、コツコツと料理を勉強して行った。流石に四十の手習いだけあって卒業するや、すぐに店を持った。昨日まで素人だった人間ができることは何かと皆で考え、かつて巻網漁業で行った各地の漁港とのパイプをいかし、漁場から直送してもらう魚や一夜干しを提供する店をしようと、「炭味家 えびす丸」をオープンさせた。開店当初は、年代の違う同級生の力になりたいと、若い子達がアルバイトに来て手伝ってくれた。一方、先生方は年齢の近い教え子の独立を心配して作り置きできる料理を仕込んでくれた。生徒と先生がいっしょになって四十の手習いをバックアップしてくれたわけだ。ここにも田中夫妻の人柄の良さが表れている。

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「えびす丸」は七厘料理をメインに謳っている。例えば「えびす丸セット」を注文すると、丸ズワイガニの爪、たこ、天然海老、アジ、長芋、しめじ、パプリカ、厚揚げの8品が七厘(土製コンロ)の前に置かれ、それを各自が焼いて食べる。もうひとつ上の「宝船セット」だと、丸ズワイガニの爪、穴子、たこ、カレイ、ハタハタ、ニギス、玉ネギ、かぼちゃ、獅子唐辛子、椎茸の10品になる。その内容で前者が1580円で、後者が2080円なのだから懐ろに優しいというほかない。定番の焼物もいいが、やはり黒板メニューが「えびす丸」の真骨頂。単にマグロと書かれても、中トロや大トロに近いものが出て来る。このマグロは焼津「福一漁業」の近藤さんからの品。近藤さんは静岡を代表する漁業関係者だそうで、田中隆男さんとは昔からの知己だとか。また、イカは北海道の厚岸から送られて来たもので、田中たか子さん曰く「ここの真イカ(スルメイカ)はねっとりとして美味しいのだ」そう。大洋漁業とも昔は仕事をしており、「鯨珍味3点盛り」(1580円)や冬だけの「ハリハリ鍋」(小1380円、大2580円)、「鯨炭火焼」(850円)などはそのルートからの産物である。最近は太地(和歌山)の人が食べに訪れたのをきっかけに同地・湯谷水産とのルートもできたので、そちらの鯨を用いることもあるらしい。
私は「えびす丸」に行くと、いつも刺身を頼み、鯨の畝須を食べ、フランスパン網焼きエタリソース添え(580円)を注文する。エタリとは橘湾沿岸で獲れるカタクチイワシのこと。才女で知られる竹下敦子さんが夫の郷・雲仙に移り、同地で伝承されるエタリ塩辛を作った。そして町興しの一環としてそれを普及させたのだ。竹下さん自身はその功績が認められて農林水産大臣政務官賞を受賞している。「えびす丸」は竹下さんとの繋がりからエタリの塩辛を仕入れているのだが、これを見つけた元辻学園西洋料理教授の日野先生が塩辛さを軽減させるためにソースを考案し、フランスパンを七厘で炙ってエタリソースを塗って食べるスタイルを提案してくれた。このように色んな人と色んな漁港が絡み合って「えびす丸」のメニューは構成されている。トレーサビリティをうるさく言う時代だが、産地どころか、知己がある強さがこれらのメニューはこめられている。漁業を熟知した店主に変なものを贈っても納得しないだろうと、産地自体が考えるために自ずとモノは良くなっていく。それをシンプルに刺身や七厘焼きで味わう_、これこそ贅沢と呼べるべきものかもしれない。

ニシンの刺身を「魯山人」で味わう

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 いつもならこのコーナーでは、湯浅醤油の醤油や丸新本家の金山寺味噌を持ち込み、それを用いて私だけのスペシャリテを作ってもらうのだが、今回は対象がシンプルなメニュー。あれこれさわらずにそのまま食すことにした。ただ、それだけでは醤油をつけて刺身を味わっただけになるので、専門家の意見として醤油の使い分けを記すことにする。

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新古敏朗さんから昨年末に数種の醤油を「えびす丸」に送ってもらい、正月休みの間に色んな魚に試してもらった。担当してくれたのは奥様である田中たか子さん。店では少し甘みのある長崎の醤油を使っており、その味に慣れていたが、湯浅醤油をこうして使ってみると、味わいが深く、各々の特徴があってモノによって醤油を替えるのも面白いと実感したようだ。田中たか子さんが苦手と語っていた金山寺味噌も「丸新本家」のものを食べると、「今までの苦手なイメージが一新されました。以前は辛い印象を持っていたのですが、塩分も抑え気味で辛くなく、野菜が沢山入っていて美味しかったです」と述べている。まるで初めて食べたような感覚で、「これならいける」との感想を持ったようだ。
ところで肝心の醤油比べだが、田中たか子さんの印象ではイカの刺身には「九曜むらさき」が合うらしい。「甘みがあって柔らかい味にイカの旨みがマッチします」と話している。片や、店で単にマグロの刺身(480円)と表示しておきながらなんと大トロや中トロが出てくるこのメニューについては、個人的な嗜好と前置きしながらも「魯山人醤油が適した」と言っている。「魯山人で味わうと、マグロの脂がうまく中和され、醤油辛さを感じずに食せました」とその理由を語ってくれた。

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田中たか子さんは、「煮つけ醤油濃口」をその名の通り煮物に用いている。それも釧路から送られて来たイワシに。いい素材に用途のはっきりした醤油がうまく合わさり、いい煮付ができたと話している。「これはだだ辛くなくて美味しい。昆布エキスなどが入っているので旨みも出ますしね…」とは使った後の感想だ。「生一本黒豆」は焼魚に用いた。パンチがあって濃いめなのに辛くないのが気に入った理由だそう。そして「洋食屋さんのカレー醤油」を使って野菜につけるディップを作っている。この醤油は新古敏朗さんがカレーに醤油をかけるという人のために開発したもので、ある時、カレーにソースをかけるか、醤油をかけるかで議論になったことがあり、その結果、醤油派の人向けに専用醤油を開発したいと考えたようだ。そして試行錯誤の末、2種の醤油とスパイスをブレンドしている。この「カレー醤油」に、田中たか子さんは、ゴマ油、マヨネーズ、酒粕を合わせてディップした。味わってみると、酒粕が入っているせいだろう、ほんのり日本酒的な味がする。辛さも丁度いい程度に調整されているから、淡味の大根にもフィットする。田中たか子さんは、このディップを作って色んなものにつけて食べたそうだ。流石に「洋食屋さんの―」と銘打ってあるだけにソーセージや揚げたり、蒸したりしたじゃがいもによく合ったと説明してくれた。

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面白かったのは、道東のニシンの刺身をこの日に出してくれたこと。関西にいると、ニシンを刺身にして味わうことはあまりない。田中隆男さんの話ではそんなに量がないのと、足が早いからほとんど地元のみの食べ方だとか。北海道に行けば、回転寿司ではおなじみのネタなのだが、関西ではまさに珍品だ。ニシンは生で食すと、小骨が多く感じるが、味的にはイワシやアジのようで旨い。これを「魯山人」醤油で味わうと、また格別である。
私と新古敏朗さんは、田中さん夫妻に薦められるままに厚岸の真イカを味わい、マグロと書かれた大トロを食べ、珍品というべきニシンの刺身を食した。「旨い、旨い」と味わう私たちの横で田中隆男さんは、漁業の話に興じている。聞けば、近年はサバが回復傾向にあるそうだ。昭和40年代は太平洋沖の漁といえばサバが主流だったが、乱獲によって少なくなり、漁種交代が起きた。昭和50年頃からは真イワシが主流になり、これも獲りすぎたために平成4年頃からはサンマの時代となる。すると、ひと頃乱獲して少なくなっていたはずのサバがいつしか戻っていて(回復してきて)釧路沖まで上がって行くようになっていた。釧路沖には寒流系プランクトンが多くあって、それをサバが食べるので肥えて脂も乗ってくる。「だから今は釧路沖で獲れるサバがいい」と教えてくれた。こんな話は都会で取材したり、モノを書いたりしていてはわからない。これが「えびす丸」に私を惹きつける理由のひとつ。それでもって安価で魚介類や一夜干しを食せるのだから言うことない。本日もまた漁業の情報収集をしながらの食事になってしまいそうだ。

  • <取材協力>
    炭味家 えびす丸(大阪・梅田)

    住所/大阪府大阪市北区梅田1-1-3 大阪駅前第3ビル地下2階

    TEL/06-6442-4780

    休み/日祝日

    メニューor料金/
    えびす丸セット(8品)   1580円
    宝船セット(10品)     2080円
    一夜干し カレイ      480円
    ハタハタ(2尾)  720円
    五島列島・昭徳丸のアジ 450円
    寺泊・中村さんの天日干しスルメイカ 820円
    淡路島のタコ   280円
    淡路島の穴子 タレ焼き  800円
    焼津・近藤さんのマグロ  480円
    釧路産イワシの塩焼    480円
    鯨珍味三点盛り      1580円
    鯨炭火焼き        850円
    フランスパン網焼き エタリソース添え 580円

筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい