2 2013年03月素材×調理法、これが美味しい料理の方程式。食の世界で暗躍(?)する私が出会った名シェフを紹介するのがこのコーナー。第2回目は、神戸・旧居留地にある「天府」の佐久本忠さん。かの陳建民さんの弟子で、四川料理の本流をなす料理人だ。火の魔術師とも称される中華の料理人に「金山寺味噌」と「生一本黒豆」を与えてみると…。

中国料理 神戸壺中天 (こちゅうてん【旧店名】天府) 料理人/佐久本忠
(四川料理 神戸壺中天 料理長)
「シンプルにできたものは、
そのまま味わうのが一番」

名料理かく語りき

四川料理の本流をなす店

神戸はいわずと知れた中華料理のメッカである(日本国内での話だが…)。横浜には規模は劣るものの、南京町と呼ばれるチャイナタウンもあり、そこには数多くの中華料理店が軒を連ねている。南京町の成立は古い。慶応3年(江戸幕末)に神戸が開港され、それとともに中国人が入ってきた。何でも神戸の華僑のルーツは、開港を祝して清国人(中国人)が長崎からいくつかのランタンをもってきたことに始まるらしい。ちなみに南京町の成立には外国との通商条約が深く関係している。この条約は西洋諸国と結ばれたもので、清国には適用されていない。そのため外国人のための居住区として造られた居留地(今の旧居留地)には清国人は住めず、仕方なしにその西側辺りに居を構えることになった。これが今の南京町である。その後、この地を中心に多くの華僑(中国人)が住みついたのだが、彼らが決まって就くのは菜刀(料理)、剪刀(仕立て)、剃刀(理髪)となっていたようだ。そのうちの菜刀は、中華の料理人のことである。四大中国料理のうち、神戸には北京と広東の店が多い。特に広東料理が目立つのは広東の人が多くやってきた証しだ。逆に東京・横浜には四川料理店が多い。麻婆豆腐を日本で初めて紹介した陳建民さんが東京で活躍したからで、彼の弟子達が独立する度に四川料理のジャンルが首都圏下で広まった。

前置きが少々長くなった。肝心の美食体験記に入ろう。今回紹介する店は、南京町ではなく、その隣りの旧居留地にある。前述したように神戸には四川料理店が少ない。この頃でこそ、徐々にできているが、数年前までは神戸の四川料理店といえば、旧居留地にある「天府」を思い浮かべるくらいではなかったろうか。

「天府」が位置しているのは大丸の南側、フェラガモが入っている明海ビルだ。このビルは「天府」の親会社である明治海運が所有している。明海ビルと聞けば、神戸っ子なら知っているのではないだろうか。阪神淡路大震災で旧ビルが倒壊したため、今は新しくなっている。旧ビル時代にテナントとして中華料理店が入っていたこともあってビルを新たに建設した時に、「やっぱり中華料理店を」と考え、「天府」を作ったのであろう。

天府

この「天府」では、昨秋から佐久本忠さんが厨房を取り仕切っている。佐久本さんは、沖縄・宜野湾の「ラグナガーデンホテル」の中華料理部門(壺中天)の料理長だった。昨秋まではそこにおり、取締役として「天府」にたまに来る程度だった。だが、「天府」の料理長だった背戸さんが関連の稚内のホテルに転勤したために、佐久本さんが遥々、沖縄からやって来て店をみることになったのである。つまりそれまでの役割(沖縄が主、神戸が従という仕事のスタイル)が逆転したわけだ。

佐久本さんは、四川料理の本流「四川飯店」の出身である。19歳で沖縄から上京し、おじさんの伝手で、陳建民さんに弟子入りしている。建民さんの息子で、TV「料理の鉄人」で有名な陳建一さんとは5つ歳が違う。31歳で赤坂の「四川飯店」を離れるまでいっしょに仕事をしていたそうである。佐久本さんは師匠・陳建民さんの下で8年間仕事をした。「料理に厳しい人で、切り方ひとつを取っても自分のイメージと違っていれば、機嫌が悪く、怒っている顔しか見たことがない」というほど怖かったそうだ。それでも仕事ができるようになり、調理場の責任者になった頃には優しくなっており、「誰でもそうでしょうが、晩年は少し丸くなるのでしょうね」と師匠の顔を思い浮かべながら私に話してくれた。
佐久本さんが陳建民・建一親子に師事し、ずっと彼らの後を追っかけながら四川料理を極めてきた。31歳のある日、明治海運から「宜野湾にホテルを造るから誰か腕のいい人を紹介してほしい」と陳さんに言ってきたので、沖縄出身の佐久本さんに白羽の矢が立った次第である。そういった経緯から佐久本さんは帰郷、「ラグナガーデンホテル」とともに以後の料理人生を歩んでいる。ちなみに佐久本さんが沖縄に帰ってから「料理の鉄人」が始まっている。この番組がスタートするや、陳建一さんは超有名人に。店にいられないほど飛び回る日々が続いている。陳建一さんが有名になれば、なるほど四川料理の人気は高まっていく。それでも「天府」がオープンして数年は神戸に四川料理が根づかなかった。佐久本さんの下、上田さん、熊崎さん、背戸さんという3人の「天府」のシェフがスタイルと味を地道に根づかせたからこそ、今日の神戸の四川料理があると私は考えている。それくらい神戸は四川料理と縁遠い地だったのだ。

「天府」には「麻婆豆腐の三種盛り合わせ」なる名物メニューがある。麻婆豆腐は清朝時代に西安で陳さん(陳建民とは無関係な人物)という女性が考案した料理だ。その陳さんがあばた顔だったために「麻」の字がつき、夫人を意味することから「婆」と表示されている。つまり、あばた顔の奥さんが作った豆腐だから“麻婆豆腐”という。日本の麻婆豆腐については「四川飯店」の陳建民さんが初めて作った。当時は今のように中国の調味料もなかったから、あるものでうまく再現した。それに四川の人ほど辛さに慣れていないために日本人向けの味にしている。その味がいつしか日本での麻婆豆腐のスタンダードになった。だから四川のものとは似て非なる料理なのだ。流石に四川とそっくりのものは油っぽくて出せないが、「天府」の「麻婆豆腐」はそれに近いスパイスの使い方をしている。辛さに違いがあるために、店ではその入門編として食べ比べができる「麻婆豆腐の三種盛り合わせ」をメニュー化している。この皿には、日本スタンダードの味(陳建民さんの流れを汲む味)、四川の味(陳麻婆豆腐)、それにあまり辛くない白い麻婆豆腐の3つが盛り付けられている。初めはこの一品を味わい、自分が日本スタンダードか、四川の味のどちらが嗜好なのかを選び、次回は好きな方を注文してくれたら…との店側の思いも込めてのメニュー化なのだ。

醤油の味をシンプルに表現したい

湯浅醤油と佐久本さん

ところで、このコーナーのもうひとつの主旨は、湯浅醤油が産する商品を名料理人に使ってもらい、私への特別なメニューとして出してもらうことにある。今回、佐久本さんが用いたのは、「生一本黒豆」と「金山寺味噌」。前者はTV「新どっちの料理ショー」でも取り上げられたこともある醤油。丹波の黒豆を使用しており、黒豆の甘みや旨みを含んだ煮汁を醤油の塩水に用いることでより味わいがよくなると考え、造られている商品だ。同商品は今や日本料理に限らず、ヨーロッパのミシュランシェフまでが使っているほどだ。そして後者は、醤油づくりのきっかけとなった金山寺味噌。湯浅醤油では、この味噌の具に地元の伝統野菜・湯浅茄子を入れている。丸新本家(湯浅醤油の関連)では120年間伝統の製法を守りつつ、4代目が開発した明るい飴色に仕上がる手法をプラスし、こだわりの味を提供しているのだ。

佐久本さんが醤油「生一本黒豆」の味がうまく表現できるようにと作ったのは、 「水餃子」と「豚ロース肉の湯浅醤油漬け香り蒸し(写真)」。「水餃子」は粗挽き豚肉、ニラ、椎茸、筍を具材にし、たっぷりの量を餃子の皮で包んだもの。その漬けダレとして「生一本黒豆」を用いている。タレはこの醤油に糸唐辛子と生姜のみじん切りを入れて作られている。まずひとつ箸で取ってタレに漬けて食べてみた。ボリューム感のある餃子は、具材の旨さからか、甘みもほんのり感じられる。糸唐辛子と生姜が効いた醤油ダレとはうまくマッチし、余計にその旨さが実感できる。次にタレに水餃子のスープを少しだけ加えてみた。先ほどよりタレが丸まったからか、餃子の具のほんのり甘い味がアップしたように思える。“たかが餃子”だが、名料理人が作ると、こうも変わるものかと思え、“されど餃子”のフレーズをついつい付けたくなってしまう。

豚ロース肉の湯浅醤油漬け香り蒸し

「豚ロース肉の湯浅醤油漬け香り蒸し」の方は、その名の通り角切りにした豚肉を「生一本黒豆」に2時間漬け込んで作っている。佐久本さんの話では、豚ロースと筍、しめじを朝天唐辛子とゴマ油、「生一本黒豆」を合わせたものに2時間漬けてもみこむそうだ。それからセイロで蒸して皿に移し、そこにフライパンでネギを油で炒めたものを載せる。当初、佐久本さんは、これに金山寺味噌を付けてもいいかなと考えていたようだ。しかし、試作するうちに温かい料理に使うよりは冷製の方が金山寺味噌がいきると思い、とりやめたと言う。「この料理にはゴマ油を使いましたが、『生一本黒豆』はしょっぱくないので、この味がストレートに出た方がより美味しいと考え、余計なものは用いるべきではないと思ったんです。だから調味料はシンプルに醤油とゴマ油だけ。それで十分美味なる一品ができあがるんですから…」と話している。「シンプルにできたものは、そのまま味わうのが一番」との佐久本さんの考えからこの料理はごくシンプルな醤油風味。しかし、食すと、味に深みがあることがわかる。仕上げにネギ油をかけているからか、その香りが印象的。火の魔術師が作ると、こうも和食とは違った醤油の味が発揮できるのかと、つくづく思ってしまう。

歯応えがある冷たいものの方がより味がいきると考えて、佐久本さんが金山寺味噌を使ったのは、中華風のサラダ。水菜、大根、人参、レタス、サニーレタス、蒸し鶏のスライスという素材に、金山寺味噌をかけた一品だ。金山寺味噌だけでもいいのだが、佐久本さんは少し塩分を足した方がいいと考えてゴマドレッシング少量を。そしてピンクペッパーをかけている。金山寺味噌とこれらの調味料は油がないとまわらないとの理由から少しだけ油を加えて、サラダの具材と混ぜ合わせて提供してくれた。思わぬ金山寺味噌効果にびっくり!味わってみると、さらに驚かされるほど旨い。金山寺味噌といえば和食のイメージだが、中華のシェフが使うとこうも変身するのだと、またまた感心するばかり。やはり腕のいい人にいい調味料を与えると、美味しくなるのは当たり前である。

佐久本さん

「沖縄でもたまにスーパーで金山寺味噌を買うんですよ。でもこの味噌はそれとは全く別物。具が沢山入っているし、中華で使えたら面白いなと最初に思いましたよ」。そして「生一本黒豆」には、「まず蓋を開けた時の香りがいいですね。普通なら濃く感じるのですが、この醤油はそうでもないですよね。まさに上品な塩分があるっていうのが感想です」。佐久本さんは個人的な楽しみとして、「九曜むらさき」(金山寺たまり醤油)で照り焼きを作ってみるという。これに関しては自宅で作るので私には味あわせてくれないようだ。「今晩の楽しみなんですよ」と笑う茶目っ気たっぷりの部分も佐久本さんの人間らしさであり、ここに我々は惹かれてしまうのかもしれない。「その代りとして」と出してきてくれたのがヤーサイという和えそば。陳建民さんが元気な頃、よく作っていたそうで、多分まかないのようなものだろう。ヤーサイに、醤油、旨味調味料という、たったこれだけで作ったものだが、実に味が深い。大豆油をかけているが、意外にもあっさりしている。

四川は古くから“天府の国”と呼ばれてきた。「麻」(痺れる)、「辣」(辛い)、「咸」(しょっぱい)、「酸」(酸っぱい)、「苦」(苦しい)、「香」(香ばしい)、「甜」(甘い)の7つの味があり、その中でも麻(マー)、辣(ラー)、苦(クー)、咸(シェン)、酸(スアン)の5つが四川の特徴であるという。店名の「天府」とは、天然の庫の意味らしい。天の恵みである素材をかくもうまく調理するからこそ、人はこの店に足を運びたがる――。そんなことを思わずにはいられない佐久本シェフの料理であった。

●豚ロース肉の湯浅醤油漬け香り蒸しの作り方

材料/
豚ロース(1㎝角切り)200g、筍50g、しめじ20g、青ネギ少々、
唐辛子3個調味料/生一本黒豆(醤油)、ゴマ油

作り方/
①豚ロースと筍、しめじを醤油10mlに2時間漬けておく。

②セイロで1)を蒸し上げる。

③2)が蒸し上がったら皿に移し替えて、青ネギを載せる。

④フライパンでネギを油で炒めて材料の上に載せる。

  • <取材協力>
    中国料理 神戸壺中天 (こちゅうてん【旧店名】天府)

    住所/神戸市中央区明石町32 明海ビルB1

    TEL/078-334-1002

    HP/ 公式HPはこちら


    営業時間/11:00~14:30、17:00~21:30(LO)

    休み/無休

    メニューor料金/
    陳麻婆豆腐 1050円、
    麻婆豆腐の三種盛り合わせ 1470円、
    牛肉の激辛四川風煮込み 2205円、
    蒸し鶏の三種盛り合わせ 1575円
    金針菜の爽やか炒め  945円、
    坦々麺 1155円
    本場四川の汁なし坦々麺 1155円
    コース(昼)  2500円~、(夜)  3800円~
    ランチ 1200円~

筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい