33 2015年10月いつもならいたずらっぽくこちらから醤油や味噌をシェフに手渡し、特別な料理を創作してもらうのだが、今回は少し趣を変えて普段から湯浅醤油の商品を使っている所に行く。目的の場所はJR和歌山駅前。この地にある「麺屋ひしお」がもっぱら評判がよく、いわゆる和歌山ラーメンとは一線を画した味のラーメンを出していると聞いた。そこで新古敏朗さんに頼んで連れて行ってもらうことにした。湯浅醤油にコンセプトを絞ったラーメンの味とはいかなるものか。興味津々で味わって来た。

麺屋ひしお 和歌山駅前店 (和歌山) 料理人/河端妙子
(麺屋ひしお店主)
「樽仕込みは少し甘味を有し、まろ
やかな醤油です。永く寝かせている
から、このまろやかさが出るんでし
ょうね。黒いスープのラーメンは他
にもありますが、醤油でそれを表現
したものはまずないでしょう」

和歌山ラーメンとは違った味わいのラーメン店

麺屋ひしお麺屋ひしお

JR和歌山駅を降りると、和歌山ラーメン巡りという幟に気づく。何でもタクシーでラーメン店を巡るとの企画らしく、「そこまでしなくても」とラーメン通でもなく、それを味わうにしても目的(観光)意識もない当方は思ってしまう。タクシーで名店を巡る企画は、和歌山でなくても存在する。我が住む神戸の街では、ラーメンがケーキに代わり、スイーツ巡りをタクシーで行う旅行客がいると聞く。  タクシーで何店も巡りたがるほど、和歌山はラーメンが盛んだ。主は和歌山県北部で、ご当地ラーメンとして町興しに一役買っている。和歌山市では、戦前からラーメンが食されていたそうで、当時は屋台のラーメン屋が何軒か連なっていた。その代表が車庫前と呼ばれるもの。同市には昭和46年まで路面電車が走っており、その拠点だった堀止には屋台が沢山あったという。  和歌山ラーメンには大きく分けて二つのスープがある。ひとつは醤油がベースの豚骨醤油味で、もう一つは豚骨ベースの豚骨醤油味。前者が車庫前系であり、いわゆる中華そば系、有名な井出商店は後者にあたる。今回取材した「麺屋ひしお」は、そのどちらにもあたらず、独自路線を進むもの。店主の河端妙子さんが「ラーメン激戦区で目立たせるためには、何か差別化しなければならない」と、日本の醤油発祥地・湯浅に目をつけ、湯浅醤油の新古敏朗さんに「貴社の醤油を使ってラーメンを作りたい」と懇願したことからスタートしている。なので中華そばと称される和歌山ラーメンとは一線を画す味になっている。スープを作る苦労は大変だったろうが、見事、河端さんの目論見が当たったのだから面白いというほかはない。

ビストロ・ハシビストロ・ハシビストロ・ハシ

「麺屋ひしお和歌山駅前店」がある美園町はJR和歌山駅からすぐの場所。新古敏朗さんの話では、みその商店街といえば、かつては隆盛を極めたらしいが、今は地方の駅前通りよろしく、シャッター化が目立っている。人通りもまばらなみその東通とは対比して、その前に位置する「麺屋ひしお」は常に賑わいを見せている。午後2時でも店内はごった返しており、その人気ぶりが窺えるのだ。
河端さんが同店を立ち上げたのは、この場所ではない。卜半町という所でまず一号店を造り、次いで駅前店を設けた。初めこの場所で「みその食堂」なるおにぎり屋をスタートさせたのだが、コンビニおにぎりが主流の時代では難しく、「ひしお」のネームバリューに頼ってラーメン店に変更したのだという。但し、卜半町の本店とは差別化するために、ここでは「湯浅白醤油ラーメン」をメニューに加えている。「和風ラーメンの方がおにぎりに合うだろうと思い、白醤油である『白搾り』を使って新メニューを作ったんです」と話していた。これまたそれが奏効し、今や売りの「紀州湯浅吟醸醤油ラーメン」を抜きかかっているそうだ。
「湯浅白醤油ラーメン」は、和歌山には珍しく鶏ガラスープのラーメンで、昆布・鰹節で和風調にし、「白搾り」で味を調えている。スープ作りを手がけた古田澄夫さんの話では、「紀州湯浅吟醸醤油ラーメン」を創作したのに比べると、そこまで苦労はしなかったようで、「昆布・鰹は、うどんでも使われているので醤油独特の辛さをカバーしやすいんですよ」と話していた。それに用いる醤油は、上品な味わいの「白搾り」なので旨み成分も沢山含んでおり、スープにしやすかったのだと思われる。「麺屋ひしお」では、このラーメンに平打ち縮れ麺を合わせている。鶏ガラも珍しければ、平打ち縮れ麺も和歌山にはあまりない。珍しいものづくしでアピールすることで、客もまた違った味をと、この店に通うきっかけを作る。まさに激戦区を逆手に取った手法である。

醤油の色や辛さをいかにカバーするかで悩んだ

ビストロ・ハシ

河端さんがラーメン店を造ろうと考えて湯浅醤油を訪れたのは5年以上前のこと。湯浅が日本の醤油発祥の地と知り、それをうまくラーメンにいかせないものかと考えた末に蔵まで行くことにした。そこで新古敏朗さんと出会い、熱意を伝えたわけだが、新古さんは「私はこれに人生を賭けているんだとの思いがひしひしと伝わり、話を聞いているうちに何とか成功させたいとこちらも考えるようになった」と語っている。いわば、湯浅醤油のアンテナ店的趣を持たせた店を許可しているのだ。そのため店頭の旗も丸新本家のものを使っているし、ロゴ自体も新古さんが書いている。他資本の店にこれだけ手を貸す例はあまりなく、いかに河端さんが真面目で熱い思いを持っていたのかがわかる。

ビストロ・ハシビストロ・ハシビストロ・ハシ

湯浅醤油の「樽仕込み」をベースにスープを作ろうと決めたものの、前例のないものなのでいかにしたらいいかわからない。スープづくりを任された古田さん(本店の店長)は、かなり悩んだらしい。「醤油をいかしすぎると、辛くなる。それをどう調整すべきか色々と考えました」と話している。ラーメンのベースは豚骨。そこに「樽仕込み」を入れただけではとても納得できるような味にならない。そこで他の醤油をブレンドしたり、節粉を使ったりしているうちに今の味に辿り着いたのだという。「樽仕込み」を使っているせいか、スープの色は黒い。この色だけを見ると、濃いように思えるが、実はそうではなく、古田さんの苦心惨憺が窺える如く、優しい味になっている。醤油が売りでもその味が強すぎてはダメ。辛さと色の調節を微妙な線で折り合った結果が今のスープになったのだ。「麺屋ひしお」では、玉子入りの縮れ麺を用いることで吟醸醤油ラーメンを完成させている。おまけに提供時にスプレーで「樽仕込み」を吹きかける。こうすることで醤油の香りが客前でふわっと上がるのだ。
「樽仕込みは、少し甘みのあるとても美味しい醤油です。他社のものより長く熟成させているのでまろやかです。富山ブラックのように黒い色をしたラーメンはありますが、醤油の色でそれを表現したものはないでしょうね。黒いけど辛くない。これがうちのラーメンの特徴なんです」と河端さんは言う。和歌山では、いわゆる中華そばや醤油豚骨しかなかったのだが、このラーメンが加わることで味の幅が広がった。初めは流石に反応しなかった市民も一人増え、二人増えと徐々に支持する人が多くなり、メディアなどでも取り挙げられることで一気に評判が高まった。
同店の面白さは、ラーメンによって全て麺が異なること。「紀州湯浅吟醸醤油ラーメン」は玉子入り縮れ麺で、「湯浅白醤油ラーメン」は平打ち縮れ麺、そして「煮込みつけ麺黒玉」は全粒麺を使用している。本来ならコストも、仕入れや作る手間もかかるのでやらないのだが、スープに合う麺は違うとばかりに三種を使い分けている。そんなこだわりが凄いといえよう。

ビストロ・ハシビストロ・ハシ

新古さんが「ぜひとも食べて」と薦めてくれたのが「幸せを呼ぶ唐揚げ」と「天使の羽根ギョーザ」。前者は鶏肉を酒、みりん、塩麹で漬け込んで一晩置いてから衣をつけて揚げる。塩麹を用いることで肉が柔らかになり、おまけに味がついてしまうので何もつけなくてもいいのだとか。後者は一般的な餃子だが、タレに「萬醤」を用いている。この醤油は造る工程で丸大豆醤油に本みりんときび砂糖を加えているために甘い風味がある。「タレを代えただけで餃子が出るようになったんです。やはり美味しい醤油を使うと味そのものが変わりますね」と河端さん。湯浅醤油の商品を手にし、「私はこれに人生を賭ける」と言っただけあって、どこまでもその味にこだわりを見せている。  最近、湯浅醤油の蔵とセットで「麺屋ひしお」を訪れる人が増えてきているという。蔵で醤油の味を知り、それをラーメンのスープに用いているのを聞いて確かめに来るのか、はたまたその逆か。どちらにせよ、このラーメンが和歌山らしさを醸しているのは間違いない。だからセットで巡るのだ。和歌山ラーメンとは、一風違った味で勝負する「麺屋ひしお」。メーカーと飲食店がコラボした好例といえるだろう。

  • <取材協力>
    麺屋ひしお 和歌山駅前店 (和歌山)

    住所/和歌山市美園町5-7-12

    TEL/073-499-7719

    HP/ facebookはこちら
    食べログはこちら


    営業時間/11:00~14:30 18:00~24:00

    休み/無休

    メニューor料金/
    紀州湯浅吟醸醤油ラーメン    650円
    湯浅白醤油ラーメン       650円
    特撰煮干豚骨ラーメン      720円
    煮込みつけ麺黒玉        820円
    天使の羽根ギョーザ       370円
    幸せを呼ぶ唐揚げ        500円

筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい