2013年03月
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今、食の現場で起きている事象をコラム形式で紹介するのが、このコーナー。今回は無肥料自然栽培への取り組み。「魯山人」醤油の主原料となる大豆・小麦・米は“奇跡のリンゴ”の木村秋則さんの弟子たちの手によるものだ。北海道で無肥料自然栽培に取り組み、安心・安全で、しかも美味な作物を作り続けている折笠健さんと太田拓寿さんに話を聞いた。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
“奇跡”と短く表現するだけでは
あまりに勿体ない!

6月に映画化される奇跡のリンゴとは…

 6月に「奇跡のリンゴ」が映画化され、全国のシアターで公開される。監督は「チームバチスタの栄光」などで知られる中村義洋。芸達者の阿部サダヲが木村秋則さんを演じ、その奥さんに人気女優の菅野美穂が扮する。この映画が公開されると、木村秋則さんのリンゴは再び脚光を浴びるであろうし、書店にもあの人なつっこい木村さんの笑顔が表紙になった文庫本が平積みされるであろう。

 「奇跡のリンゴ」が世間で話題になり始めたのは、いつだったろうか。確かNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」で取り上げられたのがきっかけではなかったか?幻冬舎からもそのものズバリ「奇跡のリンゴ」なる本が出ており、それはすでにベストセラーになっているし、関連する本も何冊か出版されている。「奇跡のリンゴ」とは、青森県岩木町でリンゴ農家を営む木村秋則さんが20数年前に「自然農法」なる本に出合い、無肥料無農薬でリンゴを育てることができないかと思い立ち、苦難の末に成功させたという話だ。文字で無農薬・無肥料と書いてしまうと容易い作業のように思えるが、それはそれは至難の業。まして無農薬で育てるのは絶対不可能といわれていたリンゴなのでなおさらだ。木村さんの自然栽培は、花が咲き、リンゴが実るまでに8年の歳月を要している。しかも8年目に一本の木だけに咲いた花は7つ。たった2個だけピンポン玉と小指の先ぐらいの大きさのリンゴが実った程度だった。これほどまでに苦労をして木村さんは自然栽培でリンゴを作っている。9年目にリンゴ畑一面に白い花が咲き乱れたと伝えられるが、できるまでの苦労は我々の想像を絶するものだったようで、一時は狂人扱いされたとも聞く。本や映画になれば、「ドラマ性があった」と一言で済んでしまうが、木村さんの苦悩は並大抵のものではなかったはずだ。今では3年待ちといわれるぐらいの逸品は、かくして誕生しているのだ。

安心・安全、かつ味のいいものを

 3月に湯浅醤油の新古敏朗さんの紹介で北海道まで電話を入れた。北海道幕別町で無肥料自然栽培を行う折笠健さんに話を聞くためだ。折笠農場では“奇跡のリンゴ”の木村さんの教えを踏襲し、ジャガイモ、大豆、小麦などを無肥料自然栽培で作っている。折笠健さんが木村さんに出会ったのは13年前のこと。たまたま伝手があり、その縁で木村さんが折笠家に来たのがきっかけだ。この頃、折笠農場では有機農法を推進していたらしいが、多少なりとも有機自体に疑問を抱いていたこともあって、木村さんの「無肥料自然栽培に踏み切ってみないか」の一言で無肥料自然栽培を行うようになっている。それから畑の何%かをそれに代え、本格的に取り組んでいる。ちなみに自然農法を書物で紐解くと、「耕さない、除草しない、肥料を与えない、農薬を使用しないという特徴を有す農法」と記されている。そして無肥料栽培とは、「化学肥料や農薬は勿論、有機肥料(畜産堆肥、米ぬか、油粕、魚粕を含む自然堆肥)を一切用いず、土壌を作物が持つ本来の偉力を発揮させることで作物を栽培する農法をいうとされ、基本的に除草、耕起、十分な管理はしっかり行う」と書かれている。昨年、私は魯山人読本を制作した際に文中に「農薬や肥料を与えぬために土の力だけで育つ」というような文言を書いたが、厳密には間違いだそうで、折笠さんは「肥料や農薬を一切使わない環境の中で自然が作りあげると表現してもらいたい」と言っていた。

 折笠さんの話では、「農薬や肥料を与えぬことで、土の中の微生物が増えるのだ」という。本来、1gの土の中には1兆個もの微生物が棲んでいるらしい。長期に亘り、化学肥料ばかり使い続けていると、自然の生態系が崩れてしまう。有機物が不足し始め、土の中の微生物が減少してしまうそうだ。その結果として作物は病気にかかりやすくなり、その対処法として農薬を使わざるをえなくなる。そんな悪循環に一般の農業は陥っている。折笠さんは木村さんの「自然のサイクルを理解できなければ、自然栽培はできない」との言葉に感銘を受け、真摯に取り組むことを決めたらしい。木村さんに土づくりから指導してもらい、10年前から無肥料自然栽培を行うようになった。いわば木村秋則門下生の一人である。「安心・安全をつきつめるだけでなく、その中で美味しさを表現していくのが仕事だ」と折笠さんは語っている。だから土壌分析を行い、昆虫の発生や微生物の状況も全て見ていく。そして品種を変えながら、何が適しているのかを判断する。このように畑全体を見ていくことがこの農法には必要なのだ」と力説しているのだ。

 「魯山人」醤油の主素材となる大豆と小麦は、このような考えのもとに作られている。折笠農場では一昨年初めて小麦の無肥料自然栽培に取り組んだ。湯浅醤油の新古さんが「魯山人」醤油には、どうしても無農薬・無肥料で育てた大豆と小麦が必要だと懇願したためである。初めての試みには不安はつきもので、「春よ恋」という品種を植えたのだが、予想を遙かに下回り、一般栽培に比べて、収穫量は1/10と少なかったようだ。そして昨年は「春よ恋」から「ハルキラリ」という品種に変更した。それは折笠さんが前述した「何が適切かを判断する」との言葉を実践した結果でもある。「ハルキラリはプレミアムな品種。北海道の某パン屋がこの小麦から美味しいパンができると言っていました。パンを作る際に色々試したが、強力粉の中で風味があって美味しいのがハルキラリだったそうです。いくらプレミアムで、あまり流通されていない品種とはいえ、味が落ちたら本末転倒。やはり農作物は味のいいものを育てるべきですから_。大豆の『大袖の舞』も同じで、枝豆で食べると美味しいとの定評があるんです。大豆の風味が豊かで、しかも無肥料自然栽培に適するものを育てていく。それが私達の仕事なんですよ」と折笠さんは話している。

田んぼにトンボが戻ってきた

小麦が「春よ恋」から「ハルキラリ」へ代わったように、「魯山人」醤油では米も代えている。昨年発売時のものは、無農薬の合鴨農法で育てられた新潟のコシヒカリだった。せっかく大豆と小麦を無肥料自然栽培のものにしたのだから、次回製造(今年発売のもの)からは米も同様のものにしたい。そんな思いを湯浅醤油では有していた。これは高い評判を得ているとはいえ、現状に納得することなく、常に高見を目指したいとの新古さんの考えがあったからである。そしてその思いを折笠さんに相談したところ、北海道芦別町のアグリシステム太田農園を紹介してくれたのだ。

同農園の太田拓寿さんも折笠さん同様、木村さんの弟子にあたる。話を聞くと、太田拓寿さんのお父さん(良雄さん)は20年前から有機栽培を行っており、減農薬、無農薬が当たり前という土壌はそもそもあったのだそう。9年前に木村さんと会う機会があり、話を聞けば聞くほど、無肥料自然栽培にチャレンジしてみたくなったのだという。「有機農法でさえ収穫量が不安定なのに、さらに何も与えないわけですから、初年度の収穫はほとんどありませんでした。小さな田んぼで始めましたが、初めはたった5俵穫れただけでしたよ」と太田さんはその苦労を振り返る。それでも雑草に負けたのは初めの一年ぐらいで、次第に土に微生物が戻ってくると、収穫量も増えていった。太田さんは肥料を与えていた時と比べると、その出来方が違うという。「以前は初期成育に効く肥料を蒔いていましたが、無肥料自然栽培だと、それがないので、初期(7月上旬まで)は本当に寂しい状況です。それが8月に入るや追いあげてきて、実にいい具合に実り始めるんです」と話してくれた。太田さんによると、以前とは雑草の種類が異なるそうだ。その草に負けぬように手入れすることで、8月にはグンと実り始めると話す。「一週間放っておくと、草で真っ青になるので、こまめに手入れしないと。しかも機械ではなく、手で抜かないとダメなんです」。

アグリシステム太田農園では、本州からの修学旅行生を民泊として受け入れている。その子供たちが太田さんの田んぼを見て「いい匂いがする」と言った。また近隣の小学校の生き物調査の授業で「見たこともない虫がいる」と胸を高鳴らせていた。そんな声を耳にする度に「自然にダイレクトに結びついていんだなぁ」と太田さんは実感するらしい。「確実に昔の光景に戻っているようです。実はトンボの数が増えたんです。田の上をスイスイと飛び回るトンボを見ていると、昔の日本はこんなだったろうなって思ってしまいます」。

太田さんも折笠さん同様、作物の安心・安全だけでなく、味の面でも他を凌駕しているのではないかと考えている。以前は買う人と接点がなかったのだが、無肥料自然栽培を行うようになって直接の取り引きが増え、消費者の声がダイレクトに入ってくるようになった。「まさに食べた人の印象が変わってくるんです。そんな声を聞く度に、大変だが、やりがいがあるって思うんですよ」と太田さんは言う。

折笠さんが木村さんに教えられた言葉が3つある。それは①自然を理解しなければ、無肥料自然栽培はできない②困ったら自然を見なさい③作りたい作物の原産地を見なさいというもの。トマトはアンデスの高地で誕生している。年間ほとんど雨が降らないアンデスの山ではトマトは水分を自らの体で補給し、甘くする。「だから水を大量にやる農法より、水をあまりやらない手法の方が甘いトマトが育つんです。本来の遺伝子を無視した管理をしてはいけないと師(木村さん)はいつも言っているんですよ」。

今年発表の「魯山人」醤油を造るために折笠農場から大豆(大袖の舞)と小麦(ハルキラリ)が昨年5月に届いた。そしてアグリシステム太田農園から10月には米(ゆめぴりか)が到着している。ともに木村さんの薫陶よろしく、無農薬無肥料で作ったものである。湯浅醤油では、この材料に長崎県五島灘の塩を加えて、昔ながらの製法で「魯山人」醤油を造っている。“奇跡のリンゴ”の弟子達が作る素材は、醤油という世界にいかな変化をもたらしたのであろうか。この電話取材を終え、一日でも早く我が食卓に「魯山人」醤油が届くことを願った。彼らの思いや苦労、こだわりはそれくらい気を急かせてもいいほど価値があるものなのだ。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい