2017年09月
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 先日、フェリー「さんふらわあ」に乗り、志布志経由で鹿児島まで行ってきた。同フェリーがカジュアルクルーズを売りにしており、それを体験すべく個室を取って一泊の船旅を経験して来たわけだ。その話は、同フェリーが発行する冊子に書いているのでもし機会があればご一読願いたいが、久しぶりに南国(鹿児島)へ行って思ったのは、甘さが表現する味覚的嗜好。阪神間は淡い味を好む傾向にあるのでケーキなども甘ったるくない。だが、南国は砂糖を使うことが贅沢と思うのか、やたらと甘い。今回は明治維新150年を前にして活気溢れている鹿児島のグルメについて語ってみたい。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
甘いのは、果たして贅沢なのか!?気候と風土が変われば、思考も変わる
鹿児島郷土の味について語ってみよう。

鹿児島の醤油はなぜ甘い?!

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鹿児島が“明治維新150年”に沸いている。今年は神戸港や大阪港が150年記念だし、京都は大政奉還150年である。江戸幕府が倒れ、明治になったのは1868年なのだから、ここ2年ぐらいに維新にまつわる行事が集中するのは当然だ。維新回天に突き進み、その英雄を輩出した薩摩は2018年に記念すべき150周年を取ったわけで、街中がそれを盛り上げようと躍起になっているのはわかるし、おまけにNHK大河ドラマは「西郷どん」が放映されるとあってその相乗効果も狙っている。

江戸時代までは、琉球が異国扱いなので薩摩は日本の最南端となっていた。関ケ原の合戦以来、薩摩藩と幕府とは相反しており、間者や隠密を寄せつけないようにお国訛りを強くするなどして独特の文化を作り上げている。そのためか、他国より国境を高く閉ざしたのだ。こうすると自ずと文化も変化を遂げる。豚肉を主としたり、焼酎を主流にしたり、甘い味付けを好んだりと、他府県とは全く異なる食文化が存在するに至った。鹿児島県人に聞くと、とにかく甘いものを好む土壌があるようだ。私が出会った鹿児島市民は、かるかんや白くまなど昔ながらの味を紹介した後、「甘いものが贅沢なのか、どうしてもその手の味を求めてしまう。煮物の味付けも甘ければ、刺身まで甘い」と表現していた。刺身が甘いというと変に聞こえるが、これは醤油を指している。

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ご存知の通り、醤油は和歌山の湯浅が発祥で、そこから野田など全国に伝わった。所変われば風土も気候も変わるから、その地ならではの味というものがある。関東の醤油がこの辺りのものに比べ、塩味が強く感じるのは土地柄も関係する。そこに代々住む人が塩気を求める傾向にあったと思われるからだ。九州の醤油が甘いのもそれと同じことがいえる。鹿児島県醤油醸造協同組合によれば、鹿児島の醤油は塩分が少なく、甘味料や旨味成分の添加物が多いのが特徴だそう。その理由は諸説あるが、私は気候によるものだと思っている。そう言うと、鹿児島市民は「他の醤油が辛すぎるのでは…」と言ってくる。彼らが言う“辛すぎる醤油”とは関東のものを指しているので、そのお国自慢的説明にも「関東の醤油ならさもありなん」と納得してしまった。元来、長崎は江戸時代唯一の貿易箇所でオランダの文化とともに砂糖が入って来た。加えて薩摩は南西諸島も管理していたし、琉球との交流も深かったろうからサトウキビは大量にあり、それによって甘さを好む土壌が生まれたともいえる。だからいつのまにか醤油も甘くなったのだろう。

キビナゴに、薩摩揚げ、両棒餅と郷土色の強いものがいっぱい

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鹿児島で造りといえばキビナゴをすぐに思い浮かべてしまう。キビナゴとはニシン科の小魚で、薩摩料理の定番とされているもの。伊豆半島以西では食べられているが、特に鹿児島名物と思われているのは、それを食べる文化が成立し、やたらとそれが目立っているだけだ。食べ方は造り、魚すき、唐揚げ、きんぴらなど。これを鹿児島の人は、甘い醤油で食べたり、酢味噌で味わったりしている。鹿児島市民によると、スーパーで売っているらしく、主婦はそれを買って来て手で捌いて調理するのだという。この辺りのキビナゴは、錦江湾で獲れたもので、「すぐに傷むのであまり他県には出て行かない」との話であった。
このキビナゴと薩摩揚げは、いかにも郷土料理の匂いが漂う。薩摩揚げという名称は、我々のような他県民が使う呼び名で、地元ではつけあげという。これは琉球のチキアーギが転じたもの。中国由来の、魚のすり身を成型して揚げる料理が琉球に伝わり、それが薩摩にやって来た。チキアーギがあろうことか、つけあげに言葉が転じ、全国的にはそう呼ばず薩摩揚げになっていった。鹿児島の主婦は、スーパーで、アゴやイワシ、シイラのすり身を買って来て家庭でそれを作る。魚を買って一から捌くよりもすり身を購入して野菜と混ぜて揚げた方が手間もいらずにいいと考える。なのでキビナゴとこの薩摩揚げは、観光的要素の郷土料理というよりも日常の酒の肴となっているようだ。

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醤油を使ったものでいうと、両棒餅も鹿児島市内で古くから親しまれている郷土菓子である。「両棒」と書いて「じゃんぼ」と呼ぶのが正しい。餅米や上新粉で作った餅や団子に二本の竹串を刺してとろみのついた砂糖醤油のタレをかけて仕上げる。京都の寺などで見られる炙り餅に近いと思ってもらえればいい。郷土色が強いとはいえ、どこでも売っているのかといえばさにあらずで、観光名所になっている仙巌園やその付近の磯の浜で売られているのが有名だ。磯街道には「ぢゃんぼ餅平田屋」や「中川両棒餅家」「桐原家両棒餅店」があり、各々に味に特徴があるために食べ比べする観光客も多いと聞く。そもそも両棒餅の呼び名は、両棒が転化したものだろうが、二本の串が刺されている理由は上級武士が二本脇差しだったことによる。薩摩では郷士や下級武士が一本差しだったので庶民が皮肉り、菓子でそれ(皮肉)を楽しんだのではないだろうか。
「土地が変われば醤油や味噌の味が変わる」と以前、関西の味噌屋の主人が話していた。この甘ったるい両棒餅も鹿児島独特の甘い醤油が用いられているのだろうか。では、これを関西の醤油で作れば自ずと個性や味も変化してくるに違いない。鹿児島の甘い醤油は、観光で現地に行ったときは、それなりに使い方に納得がいくが、土産に買って来て関西の家庭で使ってみたらそれほどでもないように思える。所変われば嗜好も変わり、調味料も変わっていく。そんなことが鹿児島の醤油に垣間見られるようで面白い。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい