2013年12月
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報道では東日本大震災の被災地をよく目にするものの、画面を通じてみた景色と、自分の目で確かめた景色とではかなり隔たりがある。そんなことはわかっていたつもりだった。震災から3年近く経ち、自身で体感した状況は、1995年の神戸の夏と変わらなかったことに愕然とした。一向に進まぬ復興にも関わらず以前の生活レベルを取り戻そうと頑張っている気仙沼の水産関係者達。今回は復興支援も兼ねて取材に行った時の彼らの声を通じて今の気仙沼の様子を語ってみる。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
震災3年後を控えた港町・気仙沼は・・・

津波の影響からか、カキが早く生育する

神戸産の野菜

震災から2年半以上経ってようやく気仙沼の地を踏んだ。関西では兵庫県が宮城県支援を打ち出している関係上、私の知り合いである幾人かの人が復興支援のために同地を訪れている。特に熱心なのは、神戸市東灘区にある岡本商店街。1995年に発生した阪神淡路大震災では自分達も被災したからと、いち早く気仙沼支援を打ち出し、交流するためのバスを走らせたり、商店街内に気仙沼産の商品を扱うショップを設けたりと、あらゆる面からの支援を打ち出している。私が今回訪れたのもその一環、今年の春頃までに岡本=気仙沼のコラボ商品づくりをしようというプロジェクトの取材のためである。取材といっても何かを書くわけではない。気仙沼の水産関係者の所を巡り、面白いコラボ商品をプランニングする。そのための前知識と情報収集のために訪ねたわけだ。

神戸産の野菜私は淡路島に親戚がいるために島内の漁場へは度々訪れることがある。それに私が座長を務める関西食ビジネス研究会にかつて鷲尾圭司さん(元林崎漁協職員で現在は下関の水産大学校に在籍している先生)が会員として参加していたので林崎や明石浦といった明石の漁協へも行ったことがあった。だが、東北の漁師町は初めての体験で、サンマやカキといった具合いに獲れるものも瀬戸内とは違ってくる。

神戸産の野菜

気仙沼港の対岸にある大島は、フェリーで20分ほどで行ける。ホテルの窓から眺めると泳いで行けそうな錯覚に陥るが、港から港までは距離があるらしく、気仙沼港内を縫うようにしてフェリーが大島まで渡っていく。大島で訪ねたのは、ヤマヨ水産の小松武さん。港から細い山道を車で10分弱行った海辺にあるカキの養殖場だ。10月~3月まではカキの出荷時期で、この日もカキを水洗いしたり、殻からはずしたりと、忙しく出荷に亘る作業を行っていた。地元では津波が襲った後はカキの生育が早くなるとの言い伝えがあるそうだ。その噂が本当かもしれないと思うのは、東日本大震災の被害から立ち直り、カキを養殖し始めると、その言い伝え通りに生育が早かったらしい。

神戸産の野菜神戸産の野菜海の底を津波が洗い流したのが要因と考えられているそうで、今年も1.5倍の速度でカキが生育していると話していた。海から揚げられたカキは、ゴミなどを取り、紫外線殺菌を行う。それから22時間以上浄化して出荷するそうで、生ガキとして使えるのはむき身した日から4日間、加熱してもそれにプラス2日ぐらいが限度らしい。加熱用(加工用)といっても別に粗悪なものではない。粒が小さかったり、殻を取る時に少し傷がついたりしたものがそれに回る。ただ正規のものが10㎏25000円ぐらいなら、それは15000円ぐらいなのだそうで、価格的にはかなり安いことになる。フライにしたり、佃煮やスモークにするなら加熱用で十分ではないかと思いながら小松さんの説明を聞いていた。正規のものは、味的にはかなりいいらしい。特に気仙沼のような漁場で食べれば、鮮度も高く、その情報が都会へ流れるので、全国の有名店がここのカキを狙っていると聞く。

2013年はサンマが不漁

神戸産の野菜

気仙沼では、マルトヨ食品の清水浩司さんやカトーの加藤由紀枝さんの所にもお邪魔し、いろんな話を伺った。マルトヨ食品の清水さんの話では、昨年はサンマが不漁気味で、夏の暑さのせいか、全体的(全国的)に漁がおかしくなっているようだ。サンマ漁は12月前半に終わるらしく、その後は冷凍したサンマなら供給できると話していた。マルトヨ食品では骨まで食べられるようにサンマを加工している。これを味付けせずに送ってもらって神戸で料理に使う。それも神戸らしく洋食のエッセンスが入ったものに仕上げるのも一考ではないだろうか。このように現地まで赴き、ひとりひとりと話していると、用途は広がっていく。漁場では思いつかぬあの手この手を施しながら新たな形を提案していく。ここにフードプランニングの醍醐味がある。

神戸産の野菜カトーでもマルトヨ食品と同様にサンマを多く扱っている。サンマの他にイカ、タコ、穴子、若布、昆布、海藻類といったところがこの会社が扱っているものである。加藤由紀枝さんの話で興味深かったのは、イカの内臓が残るとのこと。漁場では肝を“腑”と呼び、味噌や醤油の代わりに大根をいっしょに煮たりするそうだが、その他にうまい使い方も思い浮かばないために大半は捨てられているらしい。加藤さんは、鮮度がよければ旨いと言う。しかし、使い方が現地ではパッと思い浮かばないと話していた。これは興味津々とばかりに一度送ってもらうことにした。大阪や神戸の有名料理店や有名シェフに渡せば、面白い使い方をしてくれるに違いない。そして出来上がったレシピを現地に送って加工してもらう。そんな企画も面白いのではなかろうか。

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気仙沼で会った水産関係者は、前向きで何とか考えて以前の生活を取り戻したいと思っているようだった。そのための手伝いを神戸の人ができればいいと私は思う。しかし震災後の町はまだまだ復興が進んでいない。更地が目立つのは、帰りたくてもそこに家が建てられないかららしい。津波の被害に遭った地域は、盛り土をしないとダメだそう。徐々には行われているようだが、3年近くなるのに、阪神淡路大震災から半年後の神戸の町のようなレベルしか進んでいない。国は津波に備えて港に大きな防波堤を造りたいと考えているようだが、そんなものができてしまうと、観光資源が台無しになってしまうと地元では猛反対している人が多いと聞く。津波被害は大変なことで、二度とあの二の舞だけは避けたい。けれど、その防止策(防波堤)を造ったが故に、今日や明日喰えない人が出てくるのも事実。そんな現実を踏まえて国は復興策を進めていくべきではないだろうか。人は年々歳をとる。ゆっくりしていては、家を建てることができた人でさえその体力をなくしていく。神戸が阪神淡路大震災が起こった年の暮れには、ある程度町が戻っていたことを考えれば、遅いと言わざるをえない。色んな人の話を聞くのもいいが、聞きすぎては物事が進まない。ここに難しさがある。この町の人が明日食べていくためには、どうすべきか。もう少し現実を見据えた復興を国は考えなければならないのでは…と気仙沼の町で考えた次第である。(文/曽我和弘)

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