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知って欲しい考え方

  • 2011年2月23日マイ醤油 誇り熟成  読売新聞掲載

    世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ

    読売新聞に掲載されました。

    マイ醤曲誇り熟成


    「なんかネバネバしてきた」「豆と食塩すいがうまく混ざらない」-。


    醤油発祥の地として知られる湯浅町。


    今月初め、もろみの香りが漂う町立山田小学校の家庭科室に子どもたちの甲高い声が響いた。


    同小は、食育の一環として4年、5年生が「マイしょうゆ」づくりに取り組んでいる。


    子どもたちが、大豆栽培から、仕込み、搾り作業までを2年かけて行う体験学習。


    地元の醸造会社の社長や農業士、保護者らでつくる「学校応援団」のメンバーが講師を務める。


    この日、4年生7人が、もろみをつくっていた。


    醸造会社「丸新本家」5代目、新古敏朗さん(41)が「プロのしょうゆ屋さんも作り方は一緒」と説明し、


    子どもたちはペットボトルをカシャカシャと振った。


    中には大豆と麦でできた麹、大豆の煮汁。金丸丈能君(10)が「本当にペットポトルなんかで、しょうゆができるの」と声をあげた。


    大豆は学校近くの畑、「わくわく山田っ子農園」産。


    子どもたちが昨年6月、種をまき、農産士の三ッ橋忠男さん(62)や農家の人たちと一緒に育てて秋に収穫した。


    三ッ橋さんは「土いじりは初めての子どもばかりだったが、


    野菜を育てることの難しさ、喜びを感じてくれたと思う」と振り返った。

    醤油づくりが始まったのは2004年。


    「昔は山田地区全体が家族のようだった」と話す三ッ橋さんは、人口が減り、大人と子どもの交流が希薄になっていることが気になっていた。


    そんな時、食育の講演会が切っ掛けで、「醤油づくりで地域を再生できないか」と考えた。


    農業士仲間や新古さん、町職員らに協力を呼びかけた。


    新古さんは快諾した。高校卒業後、大阪の専門学校で学んでいた時、友人に湯浅出身であることを話すと、大半から「醤油の町」と返ってきた。


    県外の多くの人に知られていることに驚き、それ以来、「郷土の良さを、子どもたちに伝えていかなければ」と考えていたからだ。


    食育に力を入れていた山田小が賛同してくれ、計画の実現に向けて学校応援団が結成された。

    今では、醤油づくりは学校の垣例行事になっている。



    1,2年生の頃から、「早く4年生になって、しょうゆをつくりたい」と楽しみにする子どももいる。


    活動を見守る野下康雄校長(58)は「子どもたちが様々な分野に興味を広げるきっかけにもなっている」と歓迎する。麹の胞子を顕微鏡でのぞくことから生物に関心を持ち、材料の計量から算数が身近になった。何よりも、ふるさとの産業や文化に興味を持ってくれることがうれしい。


    もろみの仕込みを終えた大西美佑さん(10)は「醤油づくりの大変さがわかった。


    自分の町で、時間をかけておいしい醤油がつくられていることはすごい」と胸を躍らせた。


    もろみは、ペットボトルの中で1年かけて発酵させる。


    毎日、それを振ってかき混ぜ、5年生になった来年2月、しょうゆを搾り出す。

    「彼らが大きくなって町を離れても、ふるさとの醤油を誇りに思ってくれるはず」。


    生き物を観察するようにペットボトルをのぞき込む子どもたちの姿に、新古さんはそう思った。

    湯浅醤油(有) http://www.yuasasyouyu.co.jp

    丸新本家   http://www.marushinhonke.com
    の新古でした。




  • 2010年11月29日船井総合研究所に講師として参加   2010年11月20日

    船井総合研究所から講演の依頼が有り、大阪に行ってきました。


    フードビジネス通販戦略研究会

    http://www.funaisoken.co.jp/site/study/mfts_1231180294_0.html

    世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ 世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ


    何で私が呼ばれるのか不思議に思い聞いてみると、マスコミ露出度が圧倒的に多い醤油屋さんだと教えていただきました。

    もう一つ「商品開発についての話」です。



    どうして、そうなったのか話をして欲しいということでした。



    何故か?




    私も深く考えたことは無かったのですが、思い起こせば、毎週のように取材が来ている事に気がつきました。

    新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど多方面から取材を受けています。


    ブログやHPにも紹介させていただいていますが、半分くらい掲載がやっとで追いついていないのが現状です。




    湯浅醤油有限会社の考え方には、「世界一の醤油をつくりたい!」と思いを看板にしています。

    そのため、海外のトップシェフ達にも今では、使っていただけるようになりましたが、当然最初は、

    小さい醤油メーカーでしかありませんでした。


    私が、代表になった時には、世界一小さい会社だと思っていました。

    なんといっても売り上げも 1年間で400万円しか無い会社だったのです。

    従業員も無いほどの会社です。


    でも、そのときから 和歌山県湯浅町(しょうゆの発祥の地)の誇りと文化を伝えたいと考えていました。

    その当時から、日本はもちろん食のヨーロッパフランスのシェフと経済のアメリカ(ニューヨーク)に

    湯浅醤油を伝えたい。ニューヨークタイムズに載せたいと言っていました。


    そんなこと誰も耳を傾けてくれる人は居ませんでしたが、思うのは本人の勝手でしたのでとにかく

    話をしていました。



    しかし、湯浅醤油には、「生一本黒豆醤油」という素晴らしい商品を持っていましたので

    この商品の良さは、必ず分かってもらえると信じて頑張ってきました。


    この「生一本黒豆醤油」は、本当に素晴らしい商品です。

    当時、日本で有名な醤油を取り寄せ、味見したり、分析機関に依頼して味の数値を調べた事が有ります。

    濃い口醤油の中では、ダントツに数値が高かったからです。

    通常、醤油を造っても、規格値というのがあり、最高グレードの規格値に達していたら各メーカーは、

    塩水で薄めて調整します。

    でも、この「生一本黒豆醤油」は、原液そのままで出していました。(今でも)http://marushinhonke.com/SHOP/157731/list.html

    通常は、特選しょうゆならその数値をクリアーしていたらOKなので、そこまで希釈してわざわざ味を

    落としてしまっているのがメーカーのお決まりです。

    その方が、たくさんの醤油が取れるので、儲かるからです。当たり前ですよね!


    でも、私は逆でした。

    ワインのように、その年々によって味が違っても、最高の物を出すことに意義が有るからです。

    「今年のは、味が良いが、香りがちょっとな~」 それも醸造のすばらしさだと思っています。

    だから、調整しないそのままの味を伝える、その良さを知ってもらう!これで良いのではと今でも考えています。



    すこし期間をおいて、気づいてくれる人が少しずつ増えてきました。

    口コミで、噂になりTV等に次第にとりあげてくれるようになっていったのです。


    世界に伝えるためにも、外に情報を発信し

    モンドセレクションで最高金賞を頂き、世界にも通用する賞品だと認識していただいたりもしています。

    今では、ミシュランシェフも愛用してもらえるほどの商品に成長しました。

    これには、親友外国人のmarcさん(下記アドレスの左の人)が私どもの商品を見つけてくれ、海外で広めてくれた事も大きな功績でもあります。

    /wp/michelin/





    また、伝統的な醤油も大事ですが、守りに入っていては時代は、変わっていくのに新しい考え方も提案しなければいけないとも思い、

    カレーに掛ける「カレー醤油」も考案しました。

    非常識な商品ともとれる醤油ですが、潜在的にはカレーに醤油を使う人は多いんです。

    実際 しょう油のアミノ酸成分が入ることにより、まろやかになるのは、使っていただいたら分かります。

    ただ、それを特化して「使えるで~」「使ってみてよ!」と意志表示した品物なのです。



    その他、地元の湯浅町で育った私の年代では、湯浅はしょう油の町という教育が、あまりなされていなかった!

    そういう時代だったのかもしれませんが、町民の意識も低かったのです。

    私は、これでは駄目だと思い、地元小学校に出向いて、しょう油造りを子供達と一緒に原料の大豆栽培から

    食べるまでを2年間かけて教えに行ってます。

    その活動は、7年間続けています。

    生徒数は、延べ1000人にも達しているほどです。


    この活動で、ヒントになって湯浅醤油「手づくりしょうゆキット」が誕生しました。





    湯浅しょう油のすばらしさを知って欲しいと願い続けて活動していることが

    結果的に、すべてマスコミさんの目にとまって取材対象になっています。



    話した内容は、幾分か違うところも有りますが、こんな内容でしょうか

    世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ


    はじめは、何でも思うことから始まっています。(形は何も無い)

    そして、その方向に少しづつ気づかずに進んでいると・・・・・


    だんだん形が見えてきている



    ぶれずに進む事 


    (私の場合は、しょうゆ発祥の地の醤油を造り、世界に伝えたい!ってところです。)


    この気持ちです!



    夜に懇親会が有りました。
    世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ

    湯浅醤油(有)http://www.yuasasyouyu.co.jp

    丸新本家http://www.marushinhonke.com  の新古です。

  • 2010年5月10日世界一の醤油をつくるために  5

    湯浅醤油(有) 新古です。

    http://www.yuasasyouyu.co.jp

    この時、湯浅醤油(有)の現場では、

    どっちの料理ショーで放送されるとあって、どれだけの本数が必要かと

    生一本黒豆醤油が、搾られ、火入れされ準備が進められました。

    5000本の醤油を準備しました。

    在庫としてあまりに多かったため、置き場にこまったくらいで、

    また、売れなかったらどうなるのと話をしていました。

    また、その頃モンドセレクションから金賞の報告を受け 6月20日

    受賞式が、ベルギーで行われるとのことでした。

    2005/5/5(木)テレビで、生一本黒豆醤油が放送されました。

    ラーメン対決で8:3で勝利しました。

    案の定電話と問い合わせが殺到

    約2週間の対応が続き 出荷されていきます。

    あっという間に在庫がなくなる勢いでした。

    わたしは、実感がわかずに 製造と出荷で頭がいっぱいでした。

    友達のコンサルタントに、話をしてみたら 「羽織袴かモーニングで行くべきだ!」

    「夫婦で行くんやぞ!」って 「何で?」 「外国は、そうゆう儀式は、2人で行くのや」

    「何を放ってでも行かなあかん」ときつく言われました。

    この忙しい時にそんな事言われてもと言う思いでしたが、

    それで、初めて目が覚めて、航空券の手配とホテル、服を用意する事になります。

    呉服やさんに、話を持って行ったら、「1ヶ月も無いのに無理」とのこと

    そこで、今回は、その呉服屋さんで貸していただく事になりました。

    嫁さんも着物を着るので、定期的に、着付けを習い

    2人で着せ合い出来るように間に合わせました。

     

    出発の日が近づきます。

  • 2010年4月26日世界一の醤油をつくるために  4

    湯浅醤油(有) 新古です。


    http://www.yuasasyouyu.co.jp



    黒豆が無い! どっちの料理ショーの取材が決まったのに


      まずは、丹波の農家から聞き込みましたが、この年は、不作なので


        こんな時は、まず農家から無くなるそうです。



    湯浅醤油 生一本黒豆を生産するには、致命傷でした。



      次に、豆問屋さんを当たりましたが、これも無かった。

    丹波豆ところか、北海道の黒豆も無かったのです。

    あきらめずに、人づてに知り合いの黒豆の納豆屋さんから豆が有ると聞き

    何とか手に入れることが出来ました。

    デレクターさんと電話で打ち合わせをして、私と父とで出演と言うことに決まっていました。

    ところが、撮影日前日の朝、 父がお腹が痛いと言い出して苦しんでいました。

    あまりにも痛そうだったので、父に母を付き添いにして

    湯浅町内の胃腸外科に 無理矢理 車で送って行きました。

    ところが、先生が胃腸では無いので近くの市民病院に転送され

    心筋梗塞だと診断されました。

    この後、ドクターヘリで和歌山市の医大病院に空中搬送されました。

    そして、緊急オペが始まったのです。

    私は、その次点では会社で、明日の撮影の準備をしていましたので 全く知らされていません。

    母から電話が入り、手術をしていると言うことだけが、情報で入ってきました。

    「え~」 何で? 聞いてみると母は、先生から説明を受けていたのですが、

    あまり意味が分かっていなかったようでした。

    夜に病院に行くと、父はポンプ三台を使って生命維持をしていたんです。

    心臓の血管が4本の内3本が詰まっていたそうです。

    20分遅かったら死んでいたと聞きました。

    ヘリコプターで飛んだのが大正解で、車で搬送していたら間に合わなかったと聞きました。

    とにかく一命をとりとめたので一安心でしたが、まだ 血管は詰まった所を残した状態で

    とりあえず処置を済ませた状態でした。

    一応成功でしたが、いつどうなるか分からない状態でしたが、母の説明は、

    楽観的でたいした事が無いように私には伝わったのでした。

    夜でしたので、直接主治医から話を聞かずに帰路につきました。

    この状態で、次の日に「どっちの料理ショー」の撮影が始まりました。

    撮影当日、デレクターさんに事情を話をしたのですが、

    その場で、親子のシナリオを変更して、職人さんの式谷さんと出演することになりました。

    このとき社員全員が、今の状態を知った状態での

    しょうゆの麹造りの3日間と桶への仕込みの撮影が始まりました。

    さすがに、デレクターさんからてきぱきと指示をしていただけたので

    無事撮影を終える事が出来たのと

    父の状態が、悪くならなかったのが救いでした。

    この3日間、こうじのムロの管理が有ったので、私は、病院には行けなかったのでした。

    また、病院の母からは大丈夫だとの報告で 安心していました。

    先生の話を聞いていなかったので、深刻な状態が伝わらなかったのが良かったのかもしれません。

    後から聞いたのですが、結構やばかったと言うことでした。

    それから、ポンプが1つ外れ 2つ外れ回復に向かいながら、手術を繰り返しながら

    回復に向かっていったのでした。

    この間に、番組側では、編集作業が着々と進められていました。


  • 2010年3月25日NHKラジオ取材 2010年3月24日


    湯浅醤油(有)の新古です。

    食育の取材で昨日NHKさんがラジオの取材で大野アナウンサーが来てくれました。

    取材の目的は、和歌山県を良くしていこうとして活躍している人を対象に回っているそうです。

    実は、私の嫁は、フードアナリストで地元食材を外に伝えようとしていまして

    その活動と私の食育活動の取材になりました。

    放送日は、4月30日(金)23時20分~翌1日(土)朝5時までの深夜便


    最初の方で出していただけるそうです。

    連日食育の事が対象となっての取材が多くなりつつあるのですが、この活動がなぜ始まったかを

    書いていなかったので書かせていただこうと思います。

    きっかけは、

    大阪の学生時代に、自分は地元なのに和歌山県についてあまり説明できず、

    反対に他地方から来た仲間の方がよく知っているのにショックを受けました。

    それだけ、地元に興味が無く都会にあこがれていたのかもしれません。

    それと、子供の頃の教育に問題が有ったのだと思います。

    紙の上では、勉強した思い出が有りますが、頭にあまり残っておらず、

    記憶に有るのは、修学旅行や遠足、運動会、社会見学などの体を使った思い出など

    体験から来る物が多く 勉強した事は、忘れていることが多かったりします。

    その後家業に就いてから、自分が携わる金山寺味噌・湯浅醤油について次の世代に伝えたいという思いが 強くなり

    始まることになりましたが、こだわりが有りました。

    種から食べるところまでを学校ですべてする

    大人は、出来るだけ手を出さない補佐役

    失敗は O.K 次の成功の元となる教育の場になる

    何よりも大事なことは、楽しむ事!(子供も大人も)

    いろいろな不安も有りましたが、地元の小学校、農業士、役所に働きかけて子供達による醤油作りが始まりました。

    完成まで2年かかりますが、その作業行程には説明を聞いて書き留める国語、材料や手順の計算で算数、

    大豆の成長やもろみの熟成を観察・記録して理科、もの作りの現場を体験して社会という風に、

    自然と4教科の勉強にもなってしまうんですね。

    普段使わない、計りの使い方、上皿天秤の使い方、もろみを搾る布の袋の裁縫などさまざま

    発酵、酵母、酵素など 小学生には無縁の言葉も終わる頃には、体で感じるようになります。

    自分のペットボトルのもろみがどんどんふくらんでくるからです。

    また、学年を超えた子供同士の協力がうまく出来るようになったり、

    先生が生徒に「去年はどうやったの?」と聞く場面など、おもしろい事や発見も沢山あります。

         ある生徒がもろみを見ながら「マイ醤油や。マイ醤油がいい!」と言った事がきっかけで、

     

           一人一人の醤油をペットボトルで醸造できる方法を考案し、


             今では自分だけの完成品を楽しめる「マイ醤油方式」になりました。



    2年後、自分の醤油を家に持って帰る子供には達成感と自信、


         受け取る親御さんには感動が生まれます。


        


        先日生徒のお母さんが訪ねてこられて、


            「2年前の醤油を1本大事に残しています。(1人3本半くらいできたうちの1本)


              子供の作った醤油だからキャップを開けずに冷蔵庫に置いて居ました。


                食べられますか?」って  


     

          大事な醤油なので手がつけられなかったそうです。(感動しました!うれしかった!)


        

             そんなに大事にしてくれていたなんて やっていて良かったと思いました。            



      この活動は、当時のテレビ番組を文字った「プロジェクトS(醤油)」と名付けました。

    インタビューで話したことは、色々だったのでラジオで聞いて頂ければと思いますが、

    最後に聞いてくれている皆さんにメッセージをと言われたので伝えたことは、

    「自分の生まれたこの町を世界一の町」だと言いました。

    このことをいつもみんなに話しています。

    もし、あなたが友人と話をしていて その友人が自分の町は最低だ!と言ったらどう思いますか?

    行きたいと思いますか?

    でも、食べ物は美味しいし、空気は良いし、人も親切で・・・・・・

    その人が本当に大好きだと分かれば 行ってみたいと思いませんか?

    だから、小さいことでもいいから あなたの世界一の心かららの自慢話をして欲しいと伝えました。

    喋り忘れましたが、

    「子供達に世界の調味料 湯浅醤油を自慢してもらえるようになって欲しい!」と願っています。

    食べ物の事を知ってもらうことと、故郷を愛する心を持ってもらう それが食育だと思います。

    世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ-NHK 大野チーフアナウンサー

    一緒に撮った記念写真です。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい