カテゴリー一覧

プロジェクトS(醤油) 2005年の最初の子供達との再会

2013年1月5日

湯浅醤油(有)、丸新本家の新古敏朗です。

2005年に始まった、マイ醤油プロジェクト (プロジェクトS(醤油))

今年2013年1月5日に当時の発足メンバーが山田公民館に集まって、

当時4年生5年生の生徒さんに声かけして

その後のプロジェクトSをしました。 約8年の歳月が経っています。

記念写真の1枚です

その時の大西校長先生と子供達 久しぶりの再会に笑顔

 

当時のエピソードを語りました。

初めは、農水省の方が、私の所にゼロエミッションをしているから訪ねて来てくれ、話をして私と一緒に何かできると

思ってくれ、小学校での醤油造りをしたいと提案しました。

その理由は、子供の頃、この地区は、日本一のみかんの産地の教育で、湯浅醤油や金山寺味噌の教育がほとんど

無かったこと、私の場合親からも教育を受けていなかった事。

そのまま、大阪に2年間出た時に、大阪の人に和歌山の良さ、美味しいものの事を教えてもらい、初めて良さを知りました。

この経験から、大人が子供に教えていないと言う反省から、学校でしょう油造りをやりたいと言うことにつながりました。

農水省の人は、県庁の合鴨農法の水田を手がけていた人に話をして、そこから役場に声かけし、役場の人が学校をまわって

山田小学校の大西校長先生に話をし 承諾を頂いたと言う経緯です。

ただでさえ、忙しいカリキュラムの中に取り込んでくれた凄い校長先生です。

教育委員会も動き、何も無いところからでしたので、補助金で種や道具を揃えていただきました。

そして、学校応援団になる農業士さん達に声かけをして頂いて、人員がそろいました。

農地も農業士さんが、探し求めて学校に一番近い田んぼを借りる事に成功

着々と準備が整っていきました。

そして、大豆作りから、食べる所までを計画し、失敗しても良いからやろう、失敗も経験しなければ成功しないということを

学んでもらえる。

大人は補佐をして、子供達の手でしょう油造りをさせたいと思いました。

また、農業士さんは、別の思いが有り、自分の子供にも農業を教えていない。

その子供は、都会に就職してしまった。

農業の苦しさ、出来上がりを食べる喜びを認識してもらおうと、反省の意味も込めて始まりました。

農業にも誇りを持ってもらうチャンスだと思ったそうです。

色々な思いと、期待の中から始まった、プロジェクトS

大豆は、豊作にはならなかったのですが、成功し

子供達の要望でマイ醤油を作りたいと・・・・・

考えて、考えて、考えて・・・・・

ペットボトルで醤油のもろみを管理することを思いつき

麹ムロは、発泡スチロールで箱を作って代用しまし、

醤油を完成することができました。

校長先生が変わっても、子供のあこがれの授業となり今でも続いています。

当時の事は、新聞やNHKなど多く取り上げられています。

これは、教育委員会の山下さんが、書いてくれた記事です。

これらの内容を7年後の子供たち大人たちの意見をまとめてくれた 報告書です。(JTB)

●7 年前のマイ醤油づくり参加者(現在高 2~3 年生)の意見
①最初の醤油作りは大豆の植え付け、雑草取りなどをやって、2006 年 12 月に醤油を絞
ったが醤油作りを通じて印象に残ったことは?
・現在、大阪の高校に通っているが、大阪の子達は醤油作りのような地域の文化を体験
するような経験はないと聞いた。他の地域ではやっていない、そんな体験ができてよ
かった。
・毎日、ペットボトルを振らなければいけなかった(大変だった)ことの記憶が強く残っ
ている。ペットボトルを振った記憶ばかりで、醤油を絞った記憶がない。大豆を育て
た畑の草抜きがきつかった。
・面白かった。小さな豆から植えて、できた醤油はすごいと思った。とても楽しかった。
・TV が取材に来たが、インタビューをされた時に何も答えることができなかった。
・醤油を絞る時のことが印象深い。醤油を絞るために押していることや味見をした記憶
がある。絞りたての醤油を家に持って帰って食べたときに売っている醤油とは味が違
うことに気づいた。
・枝豆を収穫したこと、醤油が美味しかったことを覚えている。
②原料の豆から作るという発想で醤油を作ったが醤油作りの体験はその後の生活に役に< /div>

立ったか?
・特にないと思う。(複数の意見)
・豆から作ったことで、毎日食べているご飯も大変な過程を経てできていることを感じ、
ありがたいと思った。周りに農家もあり、食べ物ができていくことに興味を持った。
・(当時の担任)総合学習として子供たちと一緒に外に出ることを楽しんでいた。草取り
はしんどいと言っていたが、湯浅の伝統的な食を材料から作ることで、作り方も知る- 3 –
ことができてよかったという感想を持った。(醤油作りが)何年も続いていることは、
学校だけでは無理なので、色々な人たちの協力があってやっていることは素晴らしい
と今になって改めて感じている。今思うと子供たちも幸せなことだと思う。今では湯
浅町内の全部の小学校で醤油作りをやっている(大豆から作るのは山田小だけ)。

●7 年前のマイ醤油づくりに関わった大人たちの意見
・長いこと続いていると思っている。当時は、町の産業担当→教育委員会という異動を
した。観光→教育→地域とのつながりという流れのなかで良い関係ができた。当時は
小学校のカリキュラムが詰まっている中に乗り込んでいった。校長先生が快諾してく
れたことと、県や地元の農業士会、学校応援団などもついていてくれて心強かった。
山田地区の人の協力を色々な手立てでつながりを持ってできたから続いているのでは
ないか?当時は、このような形で広がるとは思っていなかったことが町内に広がり、
醤油発祥の地が発信できていると感じている。(当時の町の担当者)
・始めに全小学校をまわった。(大豆を育てる)土地を探すのも大変だった。山田小学校
の大豆を作った畑は、稲を作っていた土地が空くかもしれないということで土地を見
つけることができた。わくわくチャレンジという予算でマルチシートや絞り機を購入
した。ここまで続くと思わなかった。取り組みの背景には、色々な人が付いていると
いうことも大きなポイント。町の担当者として、良い仕事をさせてもらったと思って
いる。(当時の町の担当者)
・始めに全小学校をまわった。(大豆を育てる)土地を探すのも大変だった。山田小学校
の大豆を作った畑は、稲を作っていた土地が空くかもしれないということで土地を見
つけることができた。わくわくチャレンジという予算でマルチシートや絞り機を購入
した。ここまで続くと思わなかった。取り組みの背景には、色々な人が付いていると
いうことも大きなポイント。町の担当者として、良い仕事をさせてもらったと思って
いる。(当時の町の担当者)
・醤油を作って活動が続けられていることが良いと感じている。今は県を辞めて農家民
泊をやっているが、有田地域とは縁が続いていて、有田地域の小学生が合宿に来る。
自分が育ててもらった土地を汚すことが嫌で、土地を汚さない農業をやりたいと思っ
ている。有田川や日高など他の周辺地域でもアイガモ農法やミカン作りなど色々な取
り組みが進められている。湯浅は醤油発祥の地を伝える取り組みが続いていることが
良い。学校の先生をはじめとして、取り組みの陰に色々な人がいたから醤油作りが続
いているのだと思う。希望としては、今度、醤油作りをした子供たちが醤油を使った
まちおこしをやっていってほしい。若い人が新しい発想で町おこしをやってほしい。
(当時の県有田振興局担当)
・農水省に勤務している。当時、初めて新古さんに会ったとき、この人とは友達になれ
ると感じた。それは、(町や地域のためになる)何かをやりたい、ものづくりをしたい、

 

 

湯浅醤油(有) http://www.yuasasyouyu.co.jp
丸新本家   http://www.marushinhonke.com
フェイスブック http://www.facebook.com/yuasasoysauce

ツイッター  http://twitter.com/#!/yuasasoysauce
新入社員ブログ http://ameblo.jp/yuasasyouyu1

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい