131 2024年09月バブル期のイタメシブーム以来、伊料理は我が国で市民権を得て、その専門店として当たり前の存在となった。ところが、数ある伊料理店でも大半はパスタ・ピザ中心で、純然たる意味で本格的なものとなるとそこまで多くはないように思う。ましてやイタリア・ピエモンテ州の郷土料理を出す店となると、ほとんど見かけない。和歌山市の街中にある「トラットリア・イ・ボローニャ」は、純粋なピエモンテ料理を出す珍しい存在だ。聞けば、シェフの小林清一さんがピエモンテの老舗レストランで15年もの間調理経験があって、その後帰国してからオープンさせたのだそう。普段なら創作料理の類いは決してやらないという同店で、このコーナー用にと醤油・味噌を用いた私だけのスペシャリテを味わって来た。
トラットリア・イ・ボローニャ 小林清一
(「トラットリア・イ・ボローニャ」料理長)
「海中熟成醤油は、
その名の通り和歌山の海中で
寝かせていたからか、
塩角もなく、まろやかな味わい。
旨みも出ており、
これならしょっぱくならないと思って使ってみました」
ピエモンテの郷土料理に魅せられた料理人
今や日本での伊料理店舗は、8250軒あるそうだ。仏料理店が5720軒なら、それを大きく上回っている事になる。純伊料理店としてジュセッペ・ドンナロイヤが神戸・旧居留地に「ドンナロイヤ」を開いたのが1952年。それから時を経て、バブル期のイタメシブームも加味して伊料理店は、グンと増えた。伊料理が普及し出すと、やはり本場の味を求める人が出て来る。イタリアへ渡り、修業して戻って来るシェフも多い。1980~90年の前半は、ローマで修業していた人が大半だったが、90年後半には地方で修業する人が目立った。彼らは、イタリア各地の郷土料理を学んで帰国し、日本でその技術を披露している。今回紹介する和歌山の名店「トラットリア・イ・ボローニャ」の小林清一シェフもそんな一人だ。彼は、15年間イタリア・ピエモンテ州の「イ・ボローニャ」で厨房に立ち、シェフとして腕をふるった実績がある。帰国後、ピエモンテの料理にこだわりたくて和歌山の人を頼って今の店を開いた。「日本に数ある伊料理店の中でも珍しくピエモンテ州の郷土料理を出しているのは、多分この店ぐらいでしょう」と説明しているのだ。
「トラットリア・イ・ボローニャ」を紹介する前にピエモンテ州について少し述べておこう。ピエモンテ州は、イタリア北西部に位置する、アルプス山脈南西麓に広がる州だ。人口は約430万人で首都はトリノ。州の41%もをアルプス山脈が占めている。とはいうものの、州は山岳部と丘陵部、平野部に均等に分かれているらしい。ピエモンテとは山の麓の意味で海に面せず、フランスやスイスと国境を隔てる州なのだ。州内にあるブラは、スローフード連動発祥の地として知られている。州の特産品としては、「バローロ」や「バルバレスコ」に代表されるワインが有名で、ヘーゼルナッツや白トリュフの産地としても名を馳せている。
そんなピエモンテの料理になぜ小林シェフは、こだわったのか。彼の経歴を追って行くとその理由がわかる。小林シェフは、愛知県豊橋市の出身。「辻調理師専門学校」で学び、料理人の道を志した。当時、先生から「早く一人前になるには、ホテルなどの大規模な所に就職するよりも小さな店で腕を磨いた方がいい」とアドバイスを受け、卒業後はそのアドバイスに倣って静岡の伊料理店「ルチア」に入った。「当時はまだ伊料理店が少なかった時代。『ルチア』は今はなくなりましたが家庭的な店。そこで技術を修得したら先生の言葉通りに一人前になるのも早く、2〜3年後にはシェフになっていました」。その頃の小林シェフは、技術向上に邁進しており、本を買い込んだり、講習会へ出たりして9年間日本の伊料理と向き合っていたのだという。「頭の中のものを具現化して出していたのですが、ふと気づくと果してそれが正しいのかどうか、わからなくなったんですよ。そう思うと何をしていいのかわからなくなり、その答えを探しにイタリアへ行きました」。イタリアでは、外国人のための伊料理学校「I.C.I.F」で学び、それからレストランで半年ほど実践を積んだ。当時はミシュランの星付き店が最高だと思っていたので一ツ星店で働き、都合2年間働いたそうだ。ようやく本場の技術を会得し、納得できたので帰国の途に着こうとした。その前にせっかくだからイタリアの地方料理も見ておきたいと思い、ピエモンテまで足を伸ばす事に。この物見遊山的な行動が小林シェフの人生を大きく左右する。
ピエモンテ州にあった「イ・ボローニャ」で食べたタィヤリンが衝撃的で、小林シェフは「これこそ伊料理だ」と感じたという。「当初はシンプルすぎると思っていたのですが、タィヤリンのトマトソースを味わった時にびっくりしたんです。そのタィヤリンは、見た目とは裏腹に食べたら歯応えも香りも違っていました。まさに理屈抜きに旨いと思い、今まで私が習得して来た伊料理とは何だったのかと衝撃が走ったんです。それまでの私は、都会の星付き店の料理が最高だと誤解していたので、『イ・ボローニャ』のようなシンプルすぎる料理にはどこか否定的で、手を加えて格好つける事でよくなると思っていたんです。ところが、『イ・ボローニャ』で味わったタィヤリンは、私の心を揺さぶるぐらい感動的で本当に美味かったんですよ」。小林シェフは、帰国をキャンセルし、ピエモンテ州に残る道を選んだ。田舎町の伊料理店「イ・ボローニャ」で「この味が出せるまで働こう」と決意したのだ。
「イ・ボローニャ」では、いくら一ツ星店で磨いた技があっても彼らのような味にはならなかった。彼らとて作り方を教えないし、その極意を聞いても「昔からやっているから」とそっけない。「イ・ボローニャ」の料理人達は、食材を厨房に出したままにしていたり、分量も計らずに調理をする。小林シェフにとっては、なぜそんなやり方であの味が出せるのかがわからず、悶悶(もんもん)とした日々を過ごしたようだ。彼らからは「君の料理は綺麗だが、本質的な味がない」とまで言われた。よく見ると、彼らが作るものはシンプルだが、理に適っていたのだ。見よう見まねで調理してみるが思っているような「イ・ボローニャ」の味には到達しない。気がつけば5年もの歳月が流れていた。
「5年間あれほど悩んでいたのに、なぜかある日、急にその味が出せるようになったんです。どうしてできるようになったのかは、未だによくわかりません。一回できると、なぜか二回目でもできるように。要は感覚的なものなんでしょうね。こうして5年かけてようやく『イ・ボローニャ』の味が出せるようになったんです」。小林シェフは、その秘訣を料理の作り方ではなく、作業工程の中にあるものだと考えている。例えば、ある料理を作った時に村人が「焦げるまで炒めているのか?」と聞いて来る。それはオーブンで焼いてからトマトや玉葱を煮込んで作るのだが、なぜそう聞いて来るかが当初わからなかった。そうこうしているうちに野菜を皮付きのまま強火で炒めたり、放ったらかしにしたりした時間も意味がある事がわかった。単に乱暴に見えるふるまいでもそこには美味しく出すための理由がきちんと備わっていたのだ。小林シェフは何千回もやっているうちにその感覚が理解できるようになっていた。村人と話しながら土地感覚も身につくようになり、それがいつしか味に出るようになった_、今となってはそうとしか理由付けできないのかもしれない。
その後、小林シェフは、「イ・ボローニャ」で料理長を任され、15年間その店で働いた。ある時、「もういいか」と思い、帰国する道を探った。ただ日本へ帰ってもやりたいのはピエモンテの料理で、それをコンセプトに掲げて店を開きたいと思った。東京や大阪・名古屋からも声が掛かったそうだが、魚を使わないと言った瞬間、「日本にはそれは合わない」と渋る声が出る。前述したようにピエモンテ州は海に面さない。だから魚料理がなく、それを使ってしまうと純粋なピエモンテ料理は表現できなくなってしまう。その葛藤で出店を見合わせるケースが相次いだ。そんな折りに知り合ったのが和歌山の某企業のオーナー。彼は小林シェフの料理をいたく気に入り、「もし和歌山に来てくれるなら、純粋なピエモンテ料理の店を開いてもいい」と言ってくれたのだ。かくして2013年7月に和歌山市の中心街に「トラットリア・イ・ボローニャ」がお目見得する事になる。
和歌山市十番丁にある「トラットリア・イ・ボローニャ」は、小林シェフが望んだ通り純粋なピエモンテ料理を出す店に。イタリアから取り寄せたパスタマシンを使い、何十回も通したり、折ったりする事でコシを出し、タィヤリンなどの麺を作っている。ワインは、バルベラ種から造られたピエモンテ州「ブライダ社」のものを仕入れて提供。エスプレッソマシンも本場のものだし、とにかく細部に亘って同州を再現しているのだ。「向こうではメニュー数も少なく、季節ごとに替わるぐらい。なので当店も同様にメニュー数は多くなく、いくら雑賀崎でいい魚が手に入ろうが、魚料理は一切出しません。そんな風にして現地の風を感じてもらえばと思っているんです」。和歌山市街地にある「トラットリア・イ・ボローニャ」では、そんな事を理解してもらおうと、店の事、ピエモンテ州の事、ワインの事などをまとめた冊子を作って顧客に渡している。そして文化の違いを記したミニ知識も紙に認(したた)め、理解を促しているのだ。
和の調味料を使ってもピエモンテ料理らしく
さて肝心の料理だが、いつものように湯浅醤油・丸新本家から予めいくつかの商品を「トラットリア・イ・ボローニャ」に送っておき、それらを使って小林シェフらしい料理を考えてもらった。ここで念を押しておかねばならないのは、同店はピエモンテ州の郷土料理を提供する店である。だから創作料理の類いは出していない。ここで紹介する五皿は、この取材用に作られたものなので普段食す事はできない。つまり取材用のスペシャリテである。
小林シェフは、普段なら使わないであろう和の調味料を用いていかにピエモンテ料理に仕上げるかを工夫したようだ。今回作ってくれたのは、①鶏胸肉海中熟成しょう油サラダ②カカオ醤クリーム、コーンのタィヤリン③にんにく金山寺のトロツナのスパゲッティ④ジャンガウダ⑤鹿グリッシノーポリみそバニエットである。
まず「鶏胸肉海中熟成しょう油サラダ」であるが、これはピエモンテにある料理をアレンジしている。小林シェフの説明では、鶏胸肉をマリネした夏のピエモンテ料理が基になっているらしい。「セージ、イタリアンパセリ、ローズマリーなどの香草をみじん切りにし、海中熟成しょう油とオリーブ油でマリネしたもので、海中熟成しょう油とビネガーソースを合わせたものを掛けています。イタリアではもっと酸味が利いており、バルサミコ酢の甘みが出たりするのですが、今回は醤油・オリーブ油・香草でマリネしてこの味を出しているんです」。小林シェフの「海中熟成しょう油」評は、一般的な醤油と違って角が取れており、旨みが出ている点がいいとの事。一般的な醤油を使うと、どうしてもそれが勝ってしまい、やりづらいが、「海中熟成しょう油」だと塩角もなく、まろやかなので伊料理に合うようだ。流石は海中に8カ月間寝かせていただけの事はある。他の醤油とは異なるまろやかさが出ているのであろう。「一口食べて旨いのが伊料理。最後に旨さが来るのが和食。この二つにはそんな差があるんです。今回は、同醤油があまりにまろやかなのでそれが勝っておらず醤油を使っているのが気づきにくい。だからピエモンテのスタンダード料理にもうまくフィットしたのでしょう」。小林シェフが「三つの要素(醤油・オリーブ油・香草)を用いてうまくマリネができた」と言うように、夏らしいさっぱりした味わいになった一皿であった。
二品目は、「カカオ醤クリーム、コーンのタィヤリン」。ここでタィヤリンについて少し説明しておく。そもそもタィヤリンとは、細切りを意味するタリオリーニがピエモンテ州で変化した方言。同州では人気の麺で、卵を使った平打ちパスタでツルッとした喉越しが特徴的。パスタの幅は2mmくらいでタリオリーニより細めで、麺そのものの味がいいのでシンプルに仕上げる事が多い。小林シェフによると、ピエモンテ州の店では必ずあるパスタだとか。この店ではセモリナ粉と卵だけで練って作るそう。パスタマシーンに通し、折って再びマシーンに通す_、この作業を何十回か繰り返す事でコシを出すのだ。この一皿は、そんなタィヤリンを茹でてクリームパスタ風に作っている。「生クリームに『カカオ醤』を溶かし込み、ソースの中にコーンを入れて作りました。最後に炙ったトウモロコシを載せるのですが、ここに風味づけとして『海中熟成しょう油』を少し塗っています」。このパスタ料理は実に面白い。タィヤリンのコシもそうだが、口に運ぶとふわっとチョコレートの風味が広がる。そこにトウモロコシの甘みが加わってこれまで体験した事のない味わいになっている。小林シェフも「カカオ醤は、これまで世にない味だけに何に使っていいのか最初は想像できなかったほど。味噌かと思いきや、後味にカカオが来て実に面白い」と評していた。「カカオ醤」は使い方が難しいだけに素人ではその調理法が思いつきにくいようだ。料理を知るプロこそが使いこなせる逸品で、それだけに今回はタィヤリンにうまく使っていたと私も感心する事しきり。
三品目もパスタ料理で、ここには「にんにく金山寺」が使われている。小林シェフは、「にんにく金山寺」を味見した時、ペペロンチーノにどうだろうと思ったようだ。でも混ぜてみると、味がバラバラになり、金山寺味噌自体の甘みも勝ってしまった。そこで改めてイタリアを思い出して創作する事にした。玉葱をみじん切りにし、搾って「にんにく金山寺」と合わせた。そこにオリーブ油を加えて温めている。こうする事で金山寺味噌の甘さが和らぎ、丁度いい具合いの味になったという。そしてトロのツナ缶をそのまま上に載せた。これをスパゲッティに掛けて食べるのだ。見た目はミートソースのようだが、モノは全く違う。金山寺味噌自体に予めにんにくが入っているので和の調味料(おかず味噌)ながらもイタリアンっぽい風味に仕上がっている。「これならイタリア人も喜ぶのではないでしょうか。彼らが好きな味はわかっているのでそんな感覚で作ったんですよ」と小林シェフは説明していた。
四品目の「ジャンカウダ」とは、何ぞやと思っていると、「カカオ醤」のジャンとバーニャカウダを合わせた造語らしい。バーニャカウダは、にんにくとアンチョビ、オリーブ油を用いたソースを指す。ピエモンテ州を代表する料理の一つである。今回は、にんにくを牛乳でボイルし、アンチョビを加えてベースのソースを作ったようだ。そこに「カカオ醤」を入れて溶かし込んだという。「バーニャカウダ自体にコクはありますが、『カカオ醤』を加える事で別のコクが出て深い味になるんですよ」と小林シェフ。温めたそのソースに野菜などの食材を漬けて食べるわけだが、「カカオ醤」が利いているからだろう、最後にふわっとカカオの香りが来るのが印象的だった。塩分の利き具合いとうまくマッチしており、コクにコクが加わって素材にうまくフィットする。一般的なバーニャカウダとは一味違った感じになっている。
最後は、トリノ伝統の品をアレンジしたもの。グリッシーニを砕いてパン粉代わりにし、溶き卵をつけて鹿肉にまぶし、揚げ焼きにしている。ソースはピエモンテの「バニエットロット」(パプリカとイタリアンパセリが入ったトマトソース)に「赤みそ」を足して調味したものだ。小林シェフの話では、酢味噌のイメージで創作したらしく、さっぱり食べられるそう。「赤みそは、他の味噌と異なり、まろやかさがあって舌触りもいい。これが入る事で味噌感が出るわけでもなく、むしろコクを出す役目になっています。酸味もあって最後の肉料理にはぴったりかもしれませんね」。
普段ならスタンダードなピエモンテ料理しか作らない小林シェフが、取材用にと、工夫して和の調味料を使ってアレンジを施してくれたのがありがたかった。「トラットリア・イ・ボローニャ」の窓からはすぐ近くにある和歌山城が見える。18席あるという店内のテーブル席はゆったりめで寛ぎさえ覚える。屋外にテラス席を設けているものの、普段は使っていないようだ。「ビル風が強く、虫も寄って来るのであまり使用していないんですよ」と小林シェフも話していた。ただそのテラス席の空間があるだけに余計にゆったりした感覚を覚えるのだ。あまりの寛ぎ感に「ここは都心のビルの上?」と本当に思ってしまう。小林シェフに「今度は本格的なピエモンテ料理を味わいに来ます」と言うと、少し申し訳なさそうに「冒頭に100%ピエモンテ料理を出している店は日本ではここぐらいって言いましたが、少し訂正しておきます」と話し出した。聞けば、「スパゲッティたらこソースルチア風」と「フレッシュトマトと大葉のスパゲッティ」なる和風パスタがグランドメニュー内にあるらしい。だから「99%ピエモンテ料理の店です」と小林シェフは言う。どうやらこの二品は、小林シェフが若き頃修業をした静岡の「ルチア」の料理らしい。今はなき店で、しかも修業時代を偲んで「トラットリア・イ・ボローニャ」でメニュー化しているとの話だった。「魚料理はピエモンテでは出さない」とコンセプトを曲げなかった小林シェフだが、修業時代の店を偲ばせる和風パスタをメニューに組み込んでいる所が何となく人情味が溢れてていい。余計にこのシェフとこの店が好きになった。
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<取材協力>
トラットリア・イ・ボローニャ
住所/和歌山市十番丁19番地Wajima 十番丁5階
TEL/073-422-8228
HP/ 公式HPはこちら
営業時間/12:00〜15:00(14:00 LO)
18:00〜22:00(20:00 LO)
休み/月・火曜日(月曜日が祝日の時は営業)
メニューor料金/
ディナーコース 11500円、9000円、7000円
ランチコース 6500円、4000円
タィヤリン トマトソース 2500円
タィヤリン サルシッチャとブロッコリー 2500円
タィヤリン フンギポリチーニ 4100円
和歌山産鹿ロース肉 グリッシノーポリ 4000円
ニュージーランド産骨付き仔羊のソテー 3800円
和歌山県産猪もも肉のポッリート 赤緑の2種のソースで 3500円
スペッツァティーノ 3500円
アニョロッティ 3500円
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。