64 2018年07月かつてテレビ番組でもよく見かけていた川本徹也さんが独立を果たした。川本さんといえば、あべの辻調で長年教壇に立ち、その後、鳥取県の倉吉北高校で調理師の卵達を育てていた。そんな有名料理人が5月に独立し、念願の自店を構えたのだ。川本さんは、湯浅醤油の新古敏朗さんとも親交があり、「生一本黒豆」をメジャーの道へ引き寄せた人物ともいえる。「縁がなかった」という岡本(神戸)の街でなぜか割烹を開き、その噂を聞きつけてか、いきなり地元グルメから注目を集めているという。そんな彼の店にお邪魔し、湯浅醤油・丸新本家の商品を用いた四つの料理を作ってもらった。今回は「どっちの料理ショー」でも活躍したスターシェフの店と料理について触れてみたい。

日本料理かわもと 川本徹也
(日本料理かわもと店主)
「赤だし味噌は、八丁味噌と違って
米味噌で仕上げた関西人好みの味。
豆味噌のような渋みや苦みがなく、
まろやかです。今回はしょっぱさ
を緩和させる意味もあって白味噌
や煮切りみりんをまぜて豆腐を漬
けてみました」

有名料理人が満を持して独立

 

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一時期、調理師専門学校の先生がテレビ界を賑わした時代があった。料理番組や料理をテーマとするバラエティ番組が増え、専門的知識を有した彼らの存在が必要だったのだ。特に関西ではその傾向が顕著で、関西ローカルはもとより、朝日放送や読売テレビなど関西制作の全国ネットにも度々、調理師学校の先生が登場した。5月にJR摂津本山駅前で「日本料理かわもと」を開いた川本徹也さんもそんなひとりだ。彼は長年、あべの辻調理師専門学校で働いていた。教壇に立って調理師の卵達を育成するのは勿論、時折りテレビにも出てその調理技術や蘊蓄を披露していたのだ。川本さんがレギュラー出演したのは、読売テレビ系「どっちの料理ショー」。この番組は1997年春から2006年秋まで放映されており、かなりの評判を取った。関口宏と三宅裕司の二班に分かれ、似通っている素材で選択に迷いそうなものを勝負させる内容だった。くしくもこの番組で新古敏朗さんは、川本さんと出会う。湯浅醤油で産する「生一本黒豆」を川本さんが見つけ、番組の爼上に載せたのである。その後、つきあいは続いており、マグロを美味しく食すために開発した「トロ醤油」は、彼の意見がきっかけで誕生することになったそうだ。
川本さんは辻調時代に調理を教えていただけではなく、国内外の日本料理店立ち上げに携わったり、公邸料理人としてケニアの日本大使館に派遣され、そこで料理をしたりしながら多方面で活躍している。同調理師学校で30年働き、いよいよ独立をと考えた時に、倉吉北高校(鳥取)が調理科を作る話が舞い込み、その立ち上げに鳥取まで足を運んだ。頼まれると、中途半端なことはできない質(たち)なのだろう、この高校でも8年教鞭を取っている。そんな川本さんも50代後半になり、一念発起して店を持とうと思った。そして念願の割烹を岡本の街(神戸市東灘区)で開いたのが、今回紹介する「日本料理かわもと」なのだ。

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川本さんが今年の5月9日に開いた同店は、JR摂津本山駅北口すぐという至便な所に位置している。ただ、サン岡本というビルの裏手の方に入口があり、しかも地下1階なのでいささか場所がわかりにくい。和菓子屋の横の路地を曲がればすぐに地下へ下る階段があるので、そう記しておくと、迷わないかもしれない。
店はいかにも割烹然とした造りで、カウンターが10席、奥に4人掛けのテーブル席が一つある。料理は夜が8000円(税別)のコース一つ、昼は4800円のミニコースと3000円の松花堂というシンプルな構成で、月替わりで献立を変更する。「オープンして間もないですが、すでに何回も来てくれるお客様がいます。こんな丁寧な仕事をしているのだからもっと値段を上げたらどうだと口々に言ってくれますが、それだと敷居を高くしかねないので、この価格内で表現できる料理をと頑張ってやっていくつもりです」と川本さんは話している。あべの辻調で長年日本料理を教えて来ただけにその技は折り紙付き。創作に走らず、本格派で勝負するものの、その中には驚きのある料理を入れたいとするのが川本さんのモットーである。旬や旬の走り、名残を入れながら遊びすぎず、かといって遊び心も持たせながら料理を表現している。

豆腐をチーズのように表現した一品

 

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川本さんは、倉吉から関西に舞い戻り、念願の自店を持ったことで、久々に新古敏朗さんと再会、それを祝した私達にこんな四品を作ってくれた。一つは「赤だし味噌」で豆腐を漬けた「鼈甲豆腐(べっこうどうふ)」。川本さんは、赤もろみで豆腐を漬け、チーズのような味わいのものを作って先付に出すことが多いらしい。「鼈甲豆腐」は、その「赤だし」バージョン。丸新本家の「赤だし」味噌は、豆味噌ではなく、米味噌で造ったもので、3~4日漬けると、鼈甲色になって面白いのだそう。「この味噌は美味しいのだが、何日か漬け込んでしまうと、どうしてもしょっぱみが残る。なので白味噌と煮切りみりんを加えてそこで生じるしょっぱさを抑えました」と説明してくれた。「赤だし」味噌と白味噌、煮切りみりんをよく混ぜ合わせ、バットにその味噌を半分敷き、ガーゼを敷いてから豆腐を並べてさらにガーゼを載せて残りの味噌を載せる。そして冷蔵庫で3~4日寝かせるのだ。すると、豆腐は鼈甲色に変わり、チーズのようになる。見ためにはしょっぱく思えるが、白味噌を加えて煮切りみりんで硬さを調整しているのでそうならない。一口食べるだけでは豆腐と気づかないくらいの食感で、酒のいいアテになる。「私達、和の職人は、『赤だし』味噌というと、八丁味噌に白味噌を加えて作ったものを想像します。でもこれは米系の赤みそで、米麹の量が多い。独特の渋みがない分、使いやすいですね。この味噌で田楽みそや味噌汁を作ると旨いでしょうね。」

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二品目の素麺は、「柚子梅つゆ」をゼリー化して表現した皿。素麺は夏の風物詩の一つだが、麺つゆで食べると、どうしても最後はその水分でつゆが薄まってしまう。川本さんは、その対策としてゼリー化させた。「柚子梅つゆ」を漬けだしとして使用するのではなく、ゼラチンを用いてゼリーにする。そうすると、見ためにもきれいだし、水切りした素麺を皿に載せておくことで延びることも、つゆが薄まることもない。「本来なら素麺に海老でも添えるのですが、ここでは素麺の白と『柚子梅つゆ』の紅が引き立つので、あえていらないと思いました」。ちなみに川本さんは「柚子梅つゆ」100ml、だし汁200ml、ゼラチン6gでゼリーを作っている。ここでは素麺とゼリーをいっしょに味わう。このゼリー自身が十分デコレーションになるので涼し気にも映る。

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三品目は「わさび金山寺」をホワイトソースに混ぜてグラタン風に表現した和食だ。具材にはこの季節らしく鱧とブロッコリーが使われている。「当初は塩焼きした鱸(スズキ)に金山寺味噌をかけてもいいかと思ったのですが、それでは遊び心が一切ないのでやめました。基本は西洋料理のホワイトソースですが、『わさび金山寺』を入れることで、しっかりした和食になっています」。丸新本家では、この商品をおかず味噌としているので、その要素を損なわぬように1/2以上の金山寺味噌を入れて仕上げたそう。牛乳だけでなく、豆乳を入れることで和の趣を強調。味付は何もせずに金山寺味噌だけで調えているとの話だった。

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最後はデザート。「みかん甘酒」を用いたアイスクリームである。川本さんがストレートに飲んだだけでいい商品だとわかると言いながら冗談まじりに「これに氷を浮かべただけで十分料理(デザート)になる」と絶賛していた「みかん甘酒」は、早和果樹園とコラボして造った商品。昨今の甘酒ブームを背景に商品化したものであろう。「甘酒が有す甘みをいかすために極力砂糖を減らして作りました。『みかん甘酒』、牛乳、生クリーム、上白糖、日本酒(浦霞)を泡立て器でよく混ぜてアイスクリーマーにかけて仕上げます。こうすることで甘酒本来の甘みがいき、みかんの香りも残って、米の食感をも持ちそうな、何ともいえない美味しさになります」。アイスクリームとジェラートの間のような感じになり、砂糖の甘みではなく、甘酒の味わいをいかした一品として表している。清涼感があるから夏場にはぴったりなデザートだろうが、川本さんは献立の途中の口直しでも使えると話していた。

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ところで、「日本料理かわもと」は、まだまだスタートしたばかりの割烹。現在は彼の古くからのスタッフであった山岨沙織さんと二人で懸命に顧客のニーズに応えている。「食の現場から」でも度々その動きを紹介しているこの店の地元・岡本商店街でもスターシェフの独立を機に色んな研究を頼みたい向きもあるようだ。満を持して店を開いた川本さんが、今後神戸の和食シーンに登場することは必至である。そんな一端を垣間見た今日の四皿であった。

  • <取材協力>
    日本料理かわもと

    住所/神戸市東灘区岡本1-3-31 サン岡本地下1階西号室

    TEL/078-431-1231

    営業時間/11:30~14:30 18:00~21:30 ※要予約

    休み/月曜日(昼は月・火曜日)

    メニューor料金/
    昼 ミニ会席料理 4800円(税別)
      松花堂弁当 3000円(税別)
    夜 会席料理    8000円(税別)


筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい