140 2025年06月TVを観ていると、グルメリポートでシラス丼が紹介される事がある。全国ネットなので関東や静岡のものが多く、殊に「かながわブランド」の湘南シラスがグルメの間では話題だとか。ところが関東のシラスより私は関西のシラスの方が味がいいと思っている。某グルメも「転勤時に食べ比べたが、圧倒的に和歌山産や神戸産、淡路島産の方が上だ」と話していた。春はシラス漁の季節である。そこで久しぶりの湯浅のシラスが食べたくなった。先日、湯浅醤油の蔵に行った折りによく新古敏朗さんに連れて行ってもらう有田川町天満の「しらす屋ゆあさ湾則種」に立ち寄った。その時に食べたシラス丼と、シラス漁の話を書く事にする。珍しい生シラスが載った丼と、釜揚げシラスがたっぷり載った丼を「ゆずぽん酢」を掛けて味わって来たのだ。
しらす屋ゆあさ湾則種 芝田あゆみ
(「しらす屋ゆあさ湾則種」店長)
「湯浅醤油の『ゆずぽん酢』は、
醤油と果汁のバランスがいい。
シラスに掛けて味わうと、
酸味が味を締めてくれ、食べ易い丼になります。」
湯浅湾で獲れるシラスを用いた名物丼


先日、新古敏朗さんと「北新地ふじもと」で食事をした。その際、オーナーシェフの藤本直久さんが「久しぶりに湯浅の醤油蔵(湯浅醤油)に見学に行きたい」と話していた。藤本シェフが湯浅醤油に行くと、ついでに覗きたい所はシラス屋さんらしい。「あそこのシラス丼はいい!」と絶賛で、「シラスの量が凄い」とまで言っていたのだ。藤本シェフがいうシラス屋さんとは、湯浅醤油からわりと近い有田川町に位置する「しらす屋ゆあさ湾則種」を指す。湯浅にあって創業百年以上の歴史を持つ「則種海産」がやっているシラスのアンテナショップ的な飲食店である。かく言う私もその店によく行く。自身が行くというよりは、新古敏朗さんに連れて行ってもらうといった方が正しいかもしれない。午前中に神戸を発つと、昼飯どきに湯浅に着く事が多々ある。そんな時は、私は決まって「しらす屋ゆあさ湾則種」でのシラス丼を所望する。ある時、うちの生徒(大阪樟蔭女子大学)を連れ立って醤油蔵見学に行った際もそう_、彼女らと一緒に同店で食事をした。「しらす屋ゆあさ湾則種」には、地元(湯浅)で獲れた生のシラスがあって、それを珍しがって彼女らは喜んでシラス丼を注文していた。中には釜揚げシラスの丼を頼んだ娘(こ)がいて、新古敏朗さんがよく注文するという「しらすめんたいDON丼」に欲張ってミニうどんを追加して食べていたが、華奢(きゃしゃ)な身体にその量は流石に多すぎたみたいで、最後は音を上げてしまったみたいだ。同店の店長を務める芝田あゆみさんもこの店の売りを「とにかくシラスの量が半端なく多い」と挙げる。店を開いた則岡義弘さん(則種海産三代目・故人)が「シラス屋がやるんだからその量はケチるな」と言っていたらしく、丼一面にこれでもかというぐらいシラスの釜揚げが載っている。ご飯が全く見えないくらいの分量だ。シラス専門の海産物会社が運営しているだけの事はあると思ってしまった。




今回は、その「しらす屋ゆあさ湾則種」で自慢のシラス丼に「ゆずぽん酢」を掛けて味わった話をレポートするのだが、その前にシラスについての蘊蓄を少しだけ記す事にしよう。シラスは、身体に色素が乏しく、白っぽい(透明な)仔稚魚の総称で、主に片口鰯の稚魚を指す。カルシウムが特に多く、ビタミンD・E12やタンパク質、EPA、DHAなど栄養素も豊富だ。柔らかく、骨が気にならないために小骨の食感が苦手な人でもすっと口に入ってしまう。漁獲しても足が早い事からほとんどが生でなく、加工処理した上で市場に出回っている。よく「シラスとちりめんじゃこはどう違うの?」と聞かれる事があるのだが、答えは同じものと言っておこう。含有する水分量で呼び名が違って来て水分率の多い順から生シラス→釜揚げシラス→シラス干し→ちりめんじゃこと呼んでいる。シラス漁で有名な地域は神戸沖や淡路島なのだが、その淡路島の対面に位置する和歌山県も当然その漁が盛んに行われている。和歌山県下でも主なシラスの漁場は湯浅湾、和歌浦湾、田辺湾、新宮沖で、漁獲から加工まで短時間で行える所でしか漁が成立しない。私達がよく目(食す)にする釜揚げシラスは、水揚げしたシラスを釜茹で加工したもの。その水分含有率が80〜90%のものをそう呼んでいる。和歌山での漁は3〜5月頃を春シラス、9〜10月頃を秋シラスといい、主に4月下旬〜11月末ぐらいまでの漁とされている。農林水産省の「うちの郷土料理」を見ると、和歌山県の欄に「シラス丼」が出て来る。そこには3月下旬から5月にかけてがシラス漁の最盛期で、友ヶ島から日ノ岬沖までの紀伊水道では片口鰯、真鰯、潤目鰯などの稚魚が豊富に水揚げされるとあり、特に有田郡湯浅町は県内有数のシラス産地で、釜揚げシラスの生産が盛んと書かれているのだ。それくらい湯浅湾はシラス漁が有名だとの証しだろう。
そんな中でも「則種海産」は有名で、1905年創業というからその歴史は百年以上経っている。HPにも獲れたての風味とプリプリとした食感を保つために水揚げから30分〜1時間以内に急速冷凍され、添加物を使わず塩のみで仕上げていると表記されているのだ。セリから加工、出荷までを自社で行なっているのも強みで、最新設備と熟練職人の技術で品質を保っているようだ。
そんな「則種海産」が16年前に有田川町天満にシラス丼専門店「しらす屋ゆあさ湾則種」を開いた。きっかけは自社で冷凍技術を開発し、それによって旨い生シラスを提供できる事になったから。「則種海産」三代目の則岡義弘さんが息子の則岡生晋さんにその経営権を譲ったのもあってそれを機に店を開いたのだという。当時店主だった則岡義弘さん(今は奥さんの則岡由美子さんがオーナー)は、「シラスは売る程あるからケチケチするな」と言って釜揚げシラスをふんだんに載せた丼をメニュー化したそうだ。
シラス丼を「ゆずぽん酢」で味わってみた


さて私は、今回も新古敏朗さんに伴われて「しらす屋ゆあさ湾則種」を訪れた。目的は生シラスと釜揚げシラスを食べるためである。対応に出してくれたのは、芝田あゆみさんで、以前は「則種海産」で働いていたのだが、9年前に会長(則岡義弘さん)が体調を崩した時期があってそれを機に店を手伝っているうちにいつの間にか専任になってしまったらしい。現在、「しらす屋ゆあさ湾則種」では、芝田さんの他、松林幸代さんと大野霞さんが働いており、芝田さんは店長格にあたる。「三人とも別嬪揃いで接客も最高(笑)と書いておいて」と笑いながらアピールしていた。
芝田さんによれば、「会長だった則岡義弘さんは、生シラスの再生開発に情熱的だった人物で、試行錯誤の末に自社の急速冷凍技術を開発した」と話していた。そして自信を持って提供できる生シラス丼ができたからこの店を開いたのだと教えてくれた。その頃の話が新聞記事に載っており、そこには当初は大手の水産会社へシラスの細菌検査を依頼し、何十回も失敗しながらやっと冷凍技術開発に辿り着いたと書かれていた。ライバル機の冷凍シラスの味がやや水っぽかったのに対して「則種海産」のは、生シラス本来のやや甘みがあるのを実現。なので自信を持って生シラスを提供できるようになったからメニュー化したようだ。



私と新古敏朗さんは、「しらす屋ゆあさ湾則種」で「ゆあさ湾セット」と「しらすめんたいDON丼」を食べる事にした。前者は、この店で一番人気のメニューで、自慢の生シラスが載っている。その内容は、生シラス、刻み海苔、葱、卵黄、ワカメ、大葉、紅たて、生姜、胡麻で、そこにミニうどんが付く。片や後者は、釜揚げシラス、明太子、錦糸玉子、刻み海苔、大葉、紅たてという内容だ。普段は醤油を掛けて食すらしいが、私達は湯浅醤油の「ゆずぽん酢」で味わうようにした。店のテーブルには「ゆずぽん酢」は置いていないが、注文すれば持って来てくれる。芝田さんによると、顧客からもぽん酢で食べたいと所望するのが多いらしく、「その度に『ゆずぽん酢』をテーブルへ運ぶんです」と言っていた。これまで私は、シラス丼に醤油を掛けていたが、ぽん酢を初めて掛けて味わうと、あら不思議!?酸で締まって丁度いい塩梅(あんばい)になるのがわかった。ほのかな柚子香が漂い、ぽん酢の酸味で釜揚げシラスの塩味がバランスよくなる。まさにシラスにマッチしている。
珍しい生シラスを載せた丼は、若干シラスの苦みが出て、これまたぽん酢が合う。黄身を割ってまったり感を出し、そこに「ゆずぽん酢」を掛けて食べる。ぽん酢だから醤油と違って掛けすぎても辛くなりにくいのが、またいいのだ。新古敏朗さんに聞けば、則岡さんとのつきあいは古いらしく、彼の祖父の代からの繋がりだとか。則岡義弘さんは、新古さんの会社の醤油が好きで、「できたら丼用のオリジナル醤油を造ってくれたら仕入れるのに」と生前よく話していたという。残念ながら則岡義弘さんは亡くなってしまい、生前中にその商品化が叶う事はなかったが、その代わりにと言っては何だが、以前から「ゆずぽん酢」を常備してくれているとの話であった。 ここで「ゆずぽん酢」の開発秘話を少し。同商品が誕生したのは約30年前。きっかけは地元のJAから「柚子果汁が余っているから使って欲しい」の声掛けによる。湯浅醤油では、その余った全量を引き取り、それまでになかったぽん酢を造ろうとなった。いざ柚子果汁と醤油を合わせてみると、そのバランスが難しい。酸味が強くなるのが嫌だったので、醤油屋が造るぽん酢にしようとあまり酸味を強調しない味付けにした。だから一般のぽん酢のように酸味を勝たせず、醤油とのバランスを摂ったのだ。香料も使用せず、天然の柚子香が出て、醤油もしっかりしている_。そんな調味料に仕上げたのである。



「しらす屋ゆあさ湾則種」は、和歌山県でも有名なシラス丼屋で、店内で食せる他に土産品として釜揚げシラスなどが買える。大抵の人は、店でシラスを食べてその味に惚れて買って帰るそう。店前には珍しくシラスの自動販売機が設置されていて、閉まっていればそれで求めて行く人も多いという。ちなみにその自動販売機では、冷凍の釜揚げシラスや生シラス、それにちりめん山椒まで売っている。やはり店で生シラスが食べられるのが珍しいのか、県外からの客が8割も占めるのだとか。それにリピーターも多いという。芝田さんは、「うちのシラスが一番旨いと思っています。塩加減もよくてふわっとしている。食べてもそのふんわり感が伝わって来ます」と話していた。則岡義弘さんが「お腹一杯シラスを味わって欲しい」と作ったシラス丼は、かなりの量の釜揚げシラスが使われており、私の目からは多分100g以上は載っていると思われた。なので丼のご飯が見えないのも当然だろう。「まもなく白浜からパンダがいなくなります。そのパンダを観るために全国各地から観光客がどっと押し寄せています。その行き帰りにうちに寄ってシラス丼を食べてくれるんですよ。パンダ効果で今年のGWは凄い人だったんです」と芝田さんは最近の混みようを話してくれた。では夏からは…?!いえいえ、「白浜アドベンチャーワールド」からパンダは去ってもこの店のシラス丼人気は変わらないだろう。そんな事を考えてたっぷりのシラス丼を味わいながら和歌山県名物の料理(丼)に舌鼓を打った次第である。
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<取材協力>
しらす屋ゆあさ湾則種
住所/和歌山県有田郡有田川町天満28-15
TEL/0737-52-7769
HP/ Instagramはこちら
営業時間/11:00〜15:00頃まで
メニューor料金/
ゆあさ湾セット 1400円
しらすめんたいDON丼 900円
しらすしゃけDON丼 900円
しらすえのきDON丼 900円
ちりめん山椒DON丼 950円
よっちゃんDON丼 950円
生しらすDON丼 1200円
ごっつあんDON丼 1600円
べっぴんDON丼 1800円
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。