148 2026年02月「当たりものが当たり前に旨い」_、実はこれが最上の店への褒め言葉だ。基本がわかっていてそれを上手くアレンジして調理して行く。そんな調理人が最近減ったように思えて仕方ない。そう思っている所に新古敏朗社長より食事の誘いがあった。聞けば、淀屋橋近辺の割烹で「出て来るものが、何を食べても旨いのだ」と言う。忘年会ではないけれど、心置けなく飲める面々と、新古さんが薦める「まごころ料理 庖丁一本」で一献傾けた折りに店主の佐藤光義さんに「名料理、かく語りき」の取材を申し込んだ。快く受けてくれた和の職人・佐藤さんは、いかに湯浅醬油・丸新本家の商品を使って料理を作ってくれたのであろうか?その取材料理からもきっと冒頭のフレーズが窺えるはずである。
まごころ料理 庖丁一本 佐藤光義
(「庖丁一本」店主)
「魯山人醤油を舐めたら
他の醤油とはまろやかさ
が違うと思いました。
味もすっきりして舌から消える_、
まさに切れがいいとはこの事かもしれません」
普通のものが旨いから行きたくなる


「庖丁一本、晒(さらし)に巻いて旅へ出るのも板場の修業」_、昭和オールド世代には有名な歌謡曲・藤島恒夫の「月の法善寺横丁」の一節である。この唄は日本料理の板前の修業を表したもので、少々時代錯誤は否めないが、かつての板前修業は忍耐力のいる過酷なものとされていたのだ。今のようにレシピもなく、「師匠の背中を見て覚える」とよく言われたもので、調理技術は師匠の仕事ぶりを見て盗むのが当たり前の時代だった。和食の職人は、追い回しと呼ばれる下積み期からスタートし、焼き場・揚げ場・蒸し場を経て煮方になる。煮方を卒業するとやっと板場の仕事が任される。人にもよるが、花板になるには都合10年はかかるとされていたようだ。現在ベテランの域に達している日本料理の職人は、このような労苦を経て一人前になっている。過酷な修業は、その時は大変だったかもしれないが、確実に技術を向上させ、伝達させた技を身につける。当たり前の事を当たり前にやれる事自体が生半可な事ではないのだと料理を食べながらしみじみ思ってしまう。
「月の法善寺横丁」ではないけれど、淀屋橋に「まごころ料理 庖丁一本」という名の割烹がある。営んでいるのはベテランの日本料理の職人・佐藤光義さんである。実はこの店は数年前まで私の事務所があった北浜(伏見町)近くに位置していた。湯浅醬油の新古敏朗さんから「何を食べても旨い店があって」と聞いた時はてっきり北浜の店だとばかり思っていたのだ。12月に「じゃあ、藤田美術館の藤田義人さんを誘って飲もう」となって新古さんが「庖丁一本」を予約したのである。店の場所はわかっているものの、一応検索しておこうと思い、「庖丁一本」をネットで探してみると、なぜか淀屋橋のガスビルの北西側になっていた。店に行って佐藤さんに聞くと6年前に今の場所に移転して来たのだとか。「庖丁一本」という目立つ名前だったので、北浜のそれとは別の店だとは思わなかったが、どうして北浜から淀屋橋に移ったのだろうとその食事会の時は思っていたのである。食事を終えて新古さんが「いい店だから取材して欲しい」と言い出し、いきなり取材交渉を。でも佐藤さんは、快く「名料理、かく語りき」の取材を受けてくれたのである。


それから一カ月ぐらい経った1月中旬に「庖丁一本」を覗くと、佐藤さんが湯浅醬油・丸新本家の商品を使った取材用料理を作ってくれた。そこで佐藤さんに経歴についていろいろと話を聞いた次第である。佐藤光義さんは、静岡県富士市の出身。本人曰く「富士山の山の中で生まれ育った」らしく、百軒くらいの小さな村の出身だそう。高校を卒業すると料理人を志し、「あべの辻調師理専門学校」に入って調理を学んだ。卒業後、当時北新地にあった割烹「菊屋」に勤めて日本料理の職人の「いろは」を歩んでいる。佐藤さんは「菊屋」の井上師の下で追い回してからスタートしたのだが、師匠の井上さんはそれはそれは厳しい人で、料理人としての名声も轟いていた。かつて料理人紹介所としてあった「京繁」で、こんな唄が囁かれていた。「鬼の門三、蛇の菊屋、二度と来るな水明館」と_。これは親父(師匠)が厳しい三大名店の例え唄で、指導や仕事が厳しい事で若い料理人の中では密かに唄われていたようだ。「若い料理人の中でも『菊屋』にいたというと鼻高々。井上さんは本当に仕事に厳しい方で、仕事場では若い子はまず直立不動で話を聞かねばなりません。まさに技は盗めの時代で、高下駄を履いて仕事をしていました。その時は私を含め5人の若手が入ったのですが、一週間経つと私一人になってしまいました。修業が厳しいとみんな逃げ出したんですよ」と佐藤さんは笑いながら修業時代を振り返ってくれた。佐藤さんは、井上師の背中を見ながら日本料理の仕事を覚え、約4年程「菊屋」で修業を続けた。その後、住吉の日本料理店へ移っている。色んな店で修業を重ね、北新地にあった「井奈川」では煮方まで出世していた。ところが運悪く身体を壊してしまって入院。医師からも「退院しても仕事をすると余計に悪化させる」と脅(おど)されたそうだ。もう過酷な板場には戻れないと踏んだ佐藤さんは、24歳という若さで独立を果たす。他人に使われるのではなくて自分のペースなら仕事ができるだろうと踏んでの独立であったわけだ。鶴橋で構えた店は、割烹というより飯屋的な所。「なけなしのお金で作ったのでベエヤ張りのボロボロのような店で、家庭用のガスコンロで調理していたんです」と話してくれた。そんな8坪余りの店で二年半やっていたが、ある時、近所にあった某社の社長が「こんな所でやっていたのでは男が廃る」とばかりに物件を探してくれ、支援までしてくれて北浜・高麗橋に店を構えるように。それが昭和59年の年で、店名を改めて「庖丁一本」と名乗った。それからはとんとん拍子に進み、三年目に天満橋に支店を出し、バブル期の好景気にも後押しされ、本町に三店目も出店する程の勢いを見せた。ところがバブル崩壊によって三店とも閉める羽目に。本店も伏見町へ移したようである。



私がイメージしていた北浜の割烹とは、まさに伏見町にあった「庖丁一本」の事で、ここでは板場に5人くらい雇って10年間くらい忙しく店を切り回ししていたとの話である。結局、「庖丁一本」は22年間伏見町で繁昌しながら運営していた。ただ人を雇っての仕事が面倒になって行き、佐藤さんは店を閉めて引退しようと決意する。ある程度日本料理の分野での仕事を果たせたとの思いもあったのだろう。一旦「引退を」と口にしたのだが、それを聞きつけた常連客に怒られた。「ここが閉まってしまうと行く所がなくなる」と常連客は抗議したのだ。「ならば他人(ひと)を雇わず一人でできれば…」と考え、小さな店ならと物件を探しを依頼した。その要望に応えてくれたのがサントリーの営業マンで、今の物件を紹介してくれたのだという。「サントリーの白洲さんが熱心に探してくれたんです。だからその恩に報いようと、うちでは生ビールは『サントリー・マスターズドリーム』のサーバーを入れています」と笑っていた。真摯に料理に向き合っていると、いつでも支援してくれる人達が現れるという好例を佐藤さんの道のりから見えような気がした。
淀屋橋にある「庖丁一本」は、カウンター席とテーブル一つという陣客の小さいながらも割烹然とした店である。佐藤さんは、毎日取引店や市場へ食材を仕入れに行く程熱心で、魚をメインにして献立を作る。献立は手書きで毎日替わるスタイル。それが本来の割烹の姿だとばかりに真摯に食材と向き合っているのだ。「魚は鶴橋の魚屋がいいものを仕入れてくれますし、週に一度は木津卸売市場にも足を運びます。食材は産地で味も変わって来るので自分なりの目での見極めも重要。魚はどこ、貝類はどこ、野菜はどこと決めて探して来るんですよ」。毎日書き替えるという献立表からわかるようにアラカルトを頼んでもいいし、コースも6600円から提供している。特に「おまかせ三品」(6600円)が人気があるそうで、二人でうまくシェアすると計6品出る形になるそうだ。佐藤さんは、自身が作る一品一品を「別に際立ったものではない」と表現する。「古い料理が多いだけです」と謙遜するように言っているが、スタンダードがきちんと出せるかどうかにその店の資質が問われると私は常々思っている。だから「庖丁一本」を評して多くの顧客が「普通のものが旨いから来る」と言うのだろう。佐藤さんもその言葉が一番嬉しいらしく、日々精進している。「変に凝らない方が良く、基準がしっかりしていたら旨い」という言葉は、けだし名言でもある。
魚を三種使って調味料で表現方法を変える



さて、当方は「庖丁一本」でもいつものアレをやらねばならない。12月に佐藤さんに取材依頼を取り付けてから湯浅醬油・丸新本家より幾つかの商品を送ってもらっていた。それを佐藤さんが味見をし、今回の取材用に調理をしてくれたわけだ。「スタンダードな料理づかいでもいいですか?」と佐藤さんが言いつつも湯浅醬油関連商品で具現化してくれたのは、いかにも割烹料理然とした魚を使った三品だった。やはり佐藤さんは和の職人で、魚を用いての表現方法にしたかったようだ。出してくれたのは、①甘鯛の塩麹焼き②鰤の煮付け③鯛かぶらである。①には「塩麹」と「青唐辛子金山寺」を、②には「魯山人」醤油、③には「塩麹」が用いられていた。
まず「甘鯛の塩麹焼き」だが、丁度加太のいい白甘鯛が入って来たので、それで作る事にしたようだ。「長年取引してくれている鶴橋の魚屋が加太の甘鯛を入れてくれました。湯浅醤油も和歌山の会社なので、逆に和歌山繫がりで用いる事が面白いとばかりに作る事にしたんです」と佐藤さん。白甘鯛は値は張るが、割烹にとって使い易いからよく用いるそう。「クセがなく、邪魔するものもないので」と言っていた。佐藤さん曰く「本来なら塩焼きで食べるのが旨い」らしいが、それでは取材ネタにならないので届いていた「塩麹」で調味する事にした。元来、塩麹は肉系に使うのが多く、漬け込む事で味がしっかり入る利点がある。今回は素材が甘鯛なので6時間「塩麹」に漬け込んでそれを焼いている。そして何も落とさずに焼いて提供してくれたのだ。丸新本家の「塩麹」は味がしっかりしている分、甘鯛に塩を当てなくてもいいとの判断で作っている。佐藤さんは、たまに自身でも米麹を買って水と塩を合わせて塩麹を作るらしい。それは一般的な商品だと、さらっとしすぎて深みがないからだ。そんな佐藤さんの丸新本家の「塩麹」評は、「塩味は少ないけれど、まろやかでコクがあって味に深みがある」というもの。味の深みがある分、塩麹自体量も少なくて済むし、甘鯛自体に塩を当てなくてもいいとの判断を下して作っている。だからシンプルに塩麹だけの調味になったと思われる。付け合わせは、今の季節からうるいを用い、「青唐辛子金山寺」を載せ、叩きゴボウと中に無塩バターを忍ばせた市田柿を添えていた。「一般的な金山寺味噌は甘いばかりが目立ちます。ところが『青唐辛子金山寺』は、辛くて旨い。それが金山寺味噌の持つ甘みと相まって丁度いいおかず味噌になっているんですよ」と驚いていた。


二品目は「鰤の煮付け」である。「鰤の煮付け」は、普段からよく作る料理で、いつもなら大手メーカーの醤油を用いる所を今回は「魯山人」醤油を使用して調味したそう。鰤というと氷見(富山)がブランドだが、最近は値が高く、なかなか入手しにくいようだ。「北海道のは淡泊だし、和歌山のは造りにはいいが、焼物に向かない」らしく、思案していた所に対馬(長崎)のいい鰤が手に入った。そこでこの鰤を使って「魯山人」醤油で煮付けようと考えた。「魯山人」醤油・みりん・酒・ほんの少しの砂糖で煮付ける。初めは水・酒・みりん・砂糖で10~15分鰤を煮て、その後「魯山人」醤油を加えて10~15分煮て行く。まず醤油以外で煮込むのは、中に甘みを染み込ませないと、後から醤油が入って行きにくくなるから。「初めから全て合わせて煮ると味が染み込みにくい」と指摘していた。佐藤さんは、この取材まで「魯山人」醤油の存在は知らず、送られて来て初めて味見をして驚いたという。「見ために色が濃いので比例して味も濃いと錯覚していたのですが、舐めてみてびっくり!他の醤油とはまろやかさが違っていたんです。味もすっきりして舌から消えるから切れがいいんでしょうね。昔、私の家でも醤油を送っていたのですが、造り立てを舐めた時の味に似ていました。これなら造り用の醤油を自店で作らなくても使えそうと思いましたね」。「魯山人」醤油で煮た鰤は、流石に黒く濃いが、食べるとあっさりして、また箸を伸ばしたくなる。醤油が替われば、これほどまでに煮付けが替わると実感した次第である。勿論、佐藤さんの技術があってこその話ではあるが…。鰤の付け合わせは、一緒に煮たゴボウと九条葱。ゴボウは共に煮る事で臭みが取れ、味が出て旨くなる。九条葱は最後に入れて煮る。2~3分も煮ればしんなりして出来上がる。




三品目は「鯛かぶら」だ。鯛のアラを素焼きにし、みりんを打って「塩麹」を入れて煮込む。蕪は後から湯がいたのを入れて10~15分程煮込めば出来上がる。「鯛のアラを『塩麹』・みりん・昆布・鰹で作っただしで煮ます。普段は塩・淡口醤油・みりんでやるのですが、今回は醤油や塩を用いずに『塩麹』で調味したんです。『塩麹』は、まろやかでコクがあるからそれだけで充分。淡口醬油や塩の役目をそれ単体で果たしてくれるんです」と話していた。「庖丁一本」では、蕪のある時季は、よく「鯛かぶら」をコース内で提供するそうだが、「いつもやるよりは、あっさりしている」との感想を持っていた。「甘みは少し薄くとも充分な味わいになっている」と言っていた。
今回の取材した料理を見てもわかるが、佐藤さんの出すものは、和のスタンダードが多い。奇をてらってはいないが、常連客が評すように「普通のものが旨い」のである。これは偏(ひとえ)に佐藤さんが今まで歩んで来た日本料理の王道路線をひた走って来たから出た味わいなのだろう。厳しい師匠について修業を我慢して来たが故に身についた技術でもある。近年、ハラスメントなる言葉が横行し、若い子に少々気を遣い過ぎる嫌いがある。ハラスメントはよくないが、厳しい事とそれとは別のものだと思ってしまう。現在一線級で板場で仕切る味の職人達は、決まって厳しい修業に耐えて技術を修得して来た。それを“古い”と指摘されるとそれまでだが、そこに日本の技の良さが垣間見られるのも現実である。かつて“蛇の菊屋”と唄われた名門で修業をしたからこそ佐藤さんの技が「庖丁一本」の板場で完成された。そう思ってしまう私の人生観は、いささか古くさいのだろうか。
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<取材協力>
まごころ料理 庖丁一本
住所/大阪市中央区道修町4-4-4
TEL/06-6202-5218
HP/ 公式HPはこちら
営業時間/11:00~14:00、17:00~21:30
休み/日祝日、第2土曜日の夜
メニューor料金/
お昼の御膳 1760円
夜 コース(8品) 6600円~
おまかせ三品 6600円
造り盛り合わせ 2300円
蓮根まんじゅう 1200円
薩摩地鶏黒胡椒焼き 1800円
フルーツトマト玉子あんかけ 1200円
※価格は全て税込み
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。




















































