108 2022年09月 神戸というと、思い浮かぶのは何だろう。人によっては洋食をまっ先に挙げるのかもしれない。日本の洋食は、出島のオランダ商館で修行をした草野丈吉に端を発するが、本格的になったのは、第一級の港を持つに至った神戸と横浜であろう。特に神戸は、船内コックが陸に上がり、洋食店を開いた歴史がものを言うようで、今でも街の随所にその名残が見られる。今回取材した「グリルDAITO」は、今年3月に「北野工房のまち」前にオープンした洋食屋だが、話を聞くと、神戸洋食の歴史がぎゅっと詰まっている。オーナーシェフの大東文彦さんは、色んなジャンルの店で働きつつも、「独立するなら神戸で洋食屋を」との思いを胸に、念願の店を開いている。そこには祖父から脈々と続く、洋食への系譜が垣間見られる。今回は湯浅醬油・丸新本家の商品をうまく洋食に使った例を紹介しよう。

グリルDAITO 大東文彦
(「グリルDAITO」店主)
「丸新本家の『白みそ』は、米から
3カ月以上かけて造っているからか、
京都の白みそとは全然違います。
味がしっかりしているので、
それを使って甘めのソースに
仕上げました」

まるで、神戸の洋食の歴史を見るが如く

 

イウ

日本には、洋食なる料理ジャンルがある。それは仏料理から派生したものではあるが、仏料理や伊料理とは一線を画している。洋食の意味を紐解くと、広義では西洋料理から西洋風の料理全般を指し、狭義では日本独自に発展した西洋風料理をいうそうだ。つまり西洋料理であって厳密にはさにあらず。北新地の「西洋料理店ふじもと」の藤本直久シェフに言わせれば、「洋食という名の和食に当たる」らしい。では、日本における洋食とは、どこがルーツであろうか。洋食は、幕末から明治初期に亘って徐々に現れる。元来は、日本人向けの料理ではなく、日本に住んでいた欧米人向けの店として発足したものだ。そのルーツを辿ると、やはり江戸期に唯一港を開いていた長崎・出島から端を発する。1863年(文久3)に日本初の西洋料理店「良林亭」が長崎でお目見得している。その店主兼コックは、草野丈吉。出島のオランダ商館で皿洗いをしながら料理を習得した人物だ。その後、「良林亭」は、「自遊亭」「自由亭」と名前を変えて行き、草野は五代友厚の薦めもあって大阪・川口居留地の外国人止宿所の司長に就く。そして大阪発の洋式ホテル「自由亭ホテル」を開業するまでに至っている。
少々話の枕が長くなった。肝心の「グリルDAITO」の話をしよう。洋食の創世記に話が及んだのには理由がある。今春、神戸・北野町にオープンした「グリルDAITO」が、神戸洋食の発祥といささか縁りがあるからだ。日本での洋食のメッカは、横浜と神戸だろう。両都市とも第一級の港があるからで、幕末に開かれてからどっと外国文化が押し寄せ、いち早く街にそれが馴染んだ。俗に神戸洋食といわれ、仏料理や伊料理が一般的になった今でも洋食なるジャンルを当たり前のように継承して来ている。神戸洋食は、ルーツを大きく分けて二つのパターンに持つ。第一は、外国人居留地にあったオリエンタルホテル系。ここでは、日本での仏料理の父と呼ばれるルイ・ペギューが影響を与えている。彼は東京の外国人居留地にできた「築地ホテル」の初代料理長で、その後、「横浜グランドホテル」でも腕をふるい、1887年(明治20)に神戸へ移り、「オリエンタルホテル」の社主になっている。このホテルは、神戸の西洋料理をリードしており、ここから巣立ったコック達が一つの系譜を作った。もう一つは、船内コックあがりの系譜。その昔、外国航路で働くコックや豪華客船の厨房で働くコックは、評判のソースやブイヨンをシェアし合う文化があったそうだ。そんな彼らが陸に上がり店を持ったり、飲食店の厨房で就労した。ちなみにもう一つは、この二つとは別路線組みもあるのだが、ここではそれに言及しない。要は、オリエンタルホテル系か、船のコック系が、神戸洋食の礎を築いたと、あえてここでは言いたいのだ。

エ

かつて神戸に「ハイウェイ」という洋食屋があった。1932年(昭和7)にオープンした同店は、北野の異人館から旧居留地へ仕事に行く途中のトアロードに位置し、かの谷崎潤一郎が命名したことでも知られ、神戸を代表する店の一つであった。阪神淡路大震災後は、転々とし、残念ながら閉店している。そもそも「ハイウェイ」は、「グリルDAITO」のオーナーシェフ・大東文彦さんの祖父・大東八郎さんが営んでいた。厳密にいえば、開いたのは大東八郎さんの弟で、大阪の「アラスカ」で働いていた人だった。彼は谷崎と知己があり、開業するにあたって、かの文豪が「ハイウェイ」と命名してくれたそうである。大東文彦さんの話では、創業者は谷崎の「細雪」にもモデルになって登場するとのこと。小説で四女の彼氏が急死するのだが、「ハイウェイ」の創業者も店を開いてから急死したらしい。当時、大東八郎さんは、「浅間丸」という船でコックをしていた。ある日、谷崎から手紙が届き、そこには「ハイウェイ」を継いで欲しいとの内容が書かれていた。この手紙は、大東文彦さんの父で、八郎さんの長男・大東五郎さんが今も大事に残してある。かくして大東八郎さんは、神戸に戻り、弟の店を継いだ。まさに神戸洋食のルーツである、陸に上がったコック同様にだ。大東八郎さんの店(「ハイウェイ」)は、彼の長女の婿で「ハイウェイ」でも働いていた村上さんが継いだのだが、大東家は料理一家で、長男の五郎さん以外は、皆飲食店に関わっている。次男の大東二郎さんは、今も元町にある「ビストロジロー」を営んでいるし、三男の大東一郎さんは、「オリエンタルホテル」で働いた後、独立して南京町でステーキハウス「サンセール」を開いていた。そして唯一、飲食業に就かなかった五郎さんの息子・大東文彦さんが現在料理人として活躍しているのだ。この家族自体が神戸洋食の系譜を紐解くようで面白い。

オ カ キ ク

「ハイウェイ」のDNAを引き継ぐ大東文彦さんだが、いささか私とも関わりがある。彼は、北海道の酪農学園大学でチーズやハム、酪農についても学び、戻って来た。大学卒業後に辻学園TEC日調へ入り、料理人の道へ進んでいる。スペイン料理などを学んだ後に卒業後は箕面の「オーガニックキッチン」で勤めた。ここで先輩から伊料理の手ほどきを受け、その後の自身の料理にも影響を与えているようだ。同店を辞した彼を私に紹介したのが当時、彼の叔父さんで、朝日放送のプロデューサーをしていた古川さんだった。「誰かいい人の弟子に就いて学びたい」との話だったので、お初天神にあった和食「五事五有」の永谷さんを紹介した。ここで大東文彦さんは、和食を学んでいる。その影響を残すのが、今も「グリルDAITO」で出されている「仔牛タンのやわとろ煮風たまねぎソース」。当時、「五事五有」の名物で、洋食のタンシューとは異なり、和食要素を取り入れた料理であった。たっぷりの野菜と一緒に長時間煮込んだ仔牛のタンを、仕上げにフライパンでカリッと焼いて提供しており、和風オニオンソースが実にマッチしているのだ。大東文彦さんは、焼酎バー「心空」、パティスリー「カフェ・アンジェラ」、「カファレル」、「先杯」とジャンルの異なる店々で仕事をすることにより、料理の幅を広げている。そろそろ独立をと考えた時にやはり神戸で洋食屋をやりたいと考えたそう。そこで「先杯」で働きながら昼は「洋食屋ふじ家」で仕事をした。「洋食屋をするにあたって改めて洋食に触れた方がいいと思った」のがその理由らしい。祖父や叔父の影響があったからそうしたいと思ったのか、かつて「ハイウェイ」があったトアロードに「グリルDAITO」をオープンするに至った。大東文彦さんにとって祖父・八郎さんは、尊敬の念は抱きつつも「子供の頃にはすでに隠居的存在だった」らしい。店で厨房に立っていた記憶はなく、家で料理を作ってくれたのを食べたことがあるくらいだと話す。「ハイウェイ」も高級洋食屋のような印象で「高校卒業の祝いに友達と食べたくらい」と話していた。料理については、どちらかというと叔父の二郎さんの影響が強く、祖父のレシピも二郎さんから教わっている。それが反映されているのが「グリルDAITO」の「香住産カニクリームコロッケ浅間丸風」だ。浅間丸とは、その昔、祖父が乗っていた船で、そこでの料理を具現化している。船内コックの特徴は、油で揚げる料理を極力減らしていること。波がうねり、油に火がついたら大変なので大胆に油で揚げたりしない。「グリルDAITO」のコロッケもそれを踏襲し、油で揚げずにオーブンで作る。だからコロッケといえど、揚げているイメージはなく、あっさりした趣になる。色が薄いのは、そうした手法のせいである。「グリルジローでも叔父さんは、ビフカツをフライパンで揚げ焼きのように出していました。薄切りにした牛肉を衣づけしてエスカロップ風にしていたんです。そんな叔父さんの手法を学び、この店でも1.5㎝厚の牛肉をフライパンで揚げ焼きのように作っています」。ここでのメニューは、「ビーフカツレツ エスカロップ風」がそれで、まさに船内コックが作る料理を上手く踏襲しているといえよう。

和のエッセンスで、洋食スタイルを貫く

 

ケ

さて、私は「グリルDAITO」でもいつものアレをやろうとしている。予め湯浅醬油・丸新本家から商品を送っておき、大東文彦さんにそれらを使って洋食っぽい料理を考えてもらった。盛夏の某日、新古敏朗さんと覗くと、創作ができたのか、四つの料理を披露してくれたのだ。大東文彦さんが、本取材用にと考えたものなので、これらはグランドメニューとしては提供されておらず、私達へのスペシャリティなのだ。当然この時点ではメニュー名は存在せず、簡単な名称で紹介しておくことにしたい。今回、披露してくれたのは、①タコと小夏の塩麴和え②鰆のフライ 白みそのソース③鱧の冷製パスタ 柚子梅つゆ仕立て④にんにく金山寺を使ったスコッチエッグの四品である。
まず一つめの「タコと小夏の塩麴和え」だが、ここで使われている小夏とは、みかんの一種。高知県では、土佐小夏と呼ばれて3月半ばから7月頃まで長く出回る。土佐文旦を小さくしたような形で、甘酸っぱい柑橘類だ。大東文彦さんは、「塩麴」と酢、きび糖にオリーブ油を加えてタコと小夏を和えて作った。「塩麴だけだとしょっぱいので酢ときび糖でドレッシング風にして使いました。小夏は、甘すぎず、酸っぱすぎず丁度いい酸味に。このフルーツの甘さ・酸味をドレッシング風にしたものと一緒にタコの和え物にしたんですよ」。夏に旨いタコと、暑さを忘れる小夏の甘酸っぱさ。そこにフルーツトマトやイタリアパセリが加わり、彩りのいい一皿になっていた。ドレッシングのように合わせた「塩麴」の味わいは、うまく残っており、酸味・塩味・甘みのバランスがよくとれた味になっている。

コ

二品目の「鰆のフライ 白みそソース」は、鰆の西京焼きからイメージして創作したもの。パン粉をまぶした鰆を、先の頃で述べたように船内コックがするようにフライパンで揚げ焼きにした。「30~40㎖の油で焼き目をつけたら、ひっくり返してオーブンへ入れ、パリッと仕上げます。そこにラディッシュ、人参、コーン、ワカメを添えてソースをかけて提供します」。ソースは、「白みそ」と酒、生クリーム、砂糖で延ばして作っている。「丸新本家の『白みそ』は、京都のそれとは違いますね。米から3カ月以上かけて造っているからでしょう、甘さが異なるんです」。大東文彦さんによると、生クリームを使うことで優しい味にしたそう。甘めにしたので、ワカメと野菜は柚子胡椒オイルをかけてピリッとさせた。「甘ったるくならぬよう、あえて周りをそうしたのだ」と説明していた。厚めの鰆にソースがかかり、まさに西京焼の洋食版というところか。

サ

大東文彦さんが「既に味が完成している」と絶賛していた「柚子梅つゆ」を用いたのが三品目の「鱧の冷製パスタ 柚子梅つゆ仕立て」である。何も入れる必要がなかった「柚子梅つゆ」だが、それでは取材にならぬだろうと、気を遣い、あえてオリーブ油を加えてアレンジしたという。「油と味のバランスのみ考慮した」という冷製パスタには、鱧の湯引きと紫蘇、みょうが、ミニトマトが具材として使われている。「柚子梅つゆとオリーブ油を和えて盛り付け、具材を加えてからドレッシングでさらに和えます。そうすると、夏らしい一品になりました」と言う。夏の鱧とミニトマトが利いた一皿は、ボリュームもあるが、食欲が減退した人にも薦められるものに。「ドレッシングをかけるのではなく、和えているから味が乗る」らしい。

シ

最後の「スコッチエッグ」は、「にんにく金山寺」ありきで考えた料理だそう。普段は、使わない金山寺味噌で、しかも「にんにく金山寺」なら、あえて洋食で使うとしたらハンバーグがいいと思ったようだ。当初は、ハンバーグに目玉焼きを載せる案も出たが、「それでは面白味がない」と、ハンバーグの中に玉子を射込んで作っている。これは常連客から「大東君、スコッチエッグを作って」とのリクエストがあり、それに応えた形に。ハンバーグの中に玉子を入れて作り、半分に切って出す。本取材では、その下に「にんにく金山寺」を敷くパターンで仕上げている。「にんにく金山寺は、既に味ができているのでそのまま使おうと考えたのですが、それでは芸がないので、八方だしと合わせて作っています。味噌だけだと味が強いので、だしを合わせることで軽減させました」。洋食では、金山寺味噌はほぼ使わないのだが、大東文彦さんは「先杯」で働いていた時に、時折り使っていたという。ただ「にんにく金山寺」は、その名の通りにんにくがよく利いており、個性的な味わいになっていると評していた。大東文彦さんが、色んなジャンルで働いて来た経験がこんな所にも発揮された瞬間であった。

ス セ

色んな厨房を経験した大東文彦さんにとって今回の商品は使いやすくて、悩む瞬間もなく調理ができたのだろう。ただ、「グリルDAITO」での表現となると、それらをうまく使って洋食を作らねばならない。だからあれこれと思案したと言っていた。「店では、一つの料理ばかり食べないから、何を挟むべきか考えるのが、彼の調理ポイント」だそう。そういった意味では、バラエティの溢れる四品ができたのではなかろうか。外は、まだまだ酷暑が続いている。でも冷房の効いた店内では、暑いにも関わらず食欲が出てしょうがない。夏らしい洋食を前に、グルメの仕事も悪くないと改めて思った。

 

 

  • <取材協力>
    グリルDAITO

    住所/神戸市中央区中山手通2-25-5 有本ビル1階東 グリルDAITO

    TEL/なし

    営業時間/11:30~15:00、18:00~23:00

    休み/月曜日(祝日の時は翌日)

    メニューor料金/
    香住産カニクリームコロッケ浅間丸風 1650円
    芳寿豚カツレツ 1850円
    ビーフヘレカツエスカロップ風 2750円
    DAITOオニオングラタンスープ 1650円
    DAITOハンバーグ200gNickだんご 1650円
    仔牛タンやわとろ煮和風たまねぎソース 1200円
    DAITO海老フライ 一尾650円



筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい