105 2022年06月 地域には、その町を代表する店がある。何年もその地で営業しているのだから、町の人に愛されてもいるし、年数を重ねれば重ねるだけ地域に根づいてもいる。今回は、和歌山県紀の川市にあり、日本料理の提供と仕出しを行う「岩鶴屋」を訪ねた。同店は、この地で百年以上も営む老舗和食店で、6代目の岩鶴裕介さんと彼の父が営んでいる。店は完全予約制で、決まったメニューはないのだが、個々の要望に応じて季節の食材を用いて料理を提供してくれる。産地にこだわった旬の素材を用いながら顧客のニーズに合った会席料理などを提供しており、地域の人達は、個別の食事はもとより、宴会や法要などの会食に利用するという。岩鶴裕介さんは、ことさら地元愛が強く、地域に根ざしたプロジェクトも実行しながら紀の川の農家などともパイプを強く持って食材を仕入れる。そんな「岩鶴屋」に湯浅醬油・丸新本家の商品を送り、いつものアレを行った。岩鶴裕介さん曰く「今回のテーマは、紀の川の産物との融合」らしい。さて、どんな料理ができあがったのか、とくとご覧あれ。

岩鶴屋 岩鶴裕介
(「岩鶴屋」6代目)
「しっかりとした風味を持つ醤油で
コクがあり、香りも高いのが
『魯山人』醬油の特徴。
割るのには勿体ないぐらいの
代物なのですが、思い切って
その逸品と紀の川の柑橘を
合わせてポン酢を作りました。」

町に根ざした料理を掲げる和食店

 

イウ

紀の川市_、和歌山県北部にあるこの町は、農業が盛んな地として知られている。和歌山といっても大阪府に隣接しており、岸和田や貝塚、泉佐野、泉南という大阪府下の町々がすぐそばなのだ。紀の川市は、和泉山脈と紀伊山地の間を東西に走る紀の川が流れており、それが市の名前にもなっている。もともとは、打田町・貴志川町・粉河町・那賀町・桃山町の5つの町だったのだが、平成17年の町村合併によって紀の川市となったのだ。前述したように農業が盛んな市で、殊にフルーツ王国と称されるほど果樹栽培に力を入れている。中でも桃山町で採れる「あらかわの桃」は、レベルが高く、グルメ垂涎の的。私の友人でもある「いただきますねっと」の杉森史明さんは、現地からそれを仕入れて販売の目玉商品にしているほどで、良質な桃として認知されている。桃の他、同市では苺、八朔(はっさく)、無花果(いちじく)、キュウイなども有名で、玉葱や茄子の野菜類も栽培が盛ん。また花弁栽培も行われており、葉牡丹の生産は日本一だそう。

エオ

今回の話の舞台となる「岩鶴屋」は、そんな紀の川市に古くからある和食店だ。最寄りの駅は、JR和歌山線下井阪駅で、そこから20分程歩いた所に店がある。店前の道は車一台が通るくらいの道幅だが、昔は参勤交代が通ったほどの幹線だったらしい。「岩鶴屋」は、この地で明治から商売を営んでいる。そもそもは米屋だったらしいが、岩鶴裕介さんの祖父が魚の行商も始め、それを機に料理屋へと発展させた。料理屋がこの地になかった時代なので、結婚式や宴会の需要も取り込むようになり、徐々にその名が地域で広まっていったのだとか。岩鶴裕介さんは、「岩鶴屋」の屋号ができてから6代目に当たる。彼の話では、「祖父は馬力のある人で、時代の先駆者だった」らしい。地域の人との交流も盛んでこの地で商売を成功させた。第26回黒潮国体では選手団も泊まっており、常陸宮正仁殿下からの感謝状もいただいていることを見れば、この地域を代表する店舗だったことがわかる。
私と岩鶴裕介との関りは、大阪府日本調理技能士会の室田大祐会長を介してのもの。室田さんは、その肩書きが示す通り、日本料理界の重鎮で、昨年、黄綬褒章を受章したほどの人物だ。大人物ながらも私の友人である。その室田さんが「弟子が紀の川で日本料理店をやっているので行ってあげて」と「岩鶴屋」を取材先に推してくれた。そんな縁もあって今春、取材に訪れたのである。

カ キ

岩鶴裕介さんのお父さんも料理人で、「岩鶴屋」の厨房では今も腕をふるっている。今の同店は、裕介さんが小学5年生時に建て直して拡張したもので、平成に入ってからはお父さんが「岩鶴屋」を継いでいた。蛙の子は蛙ではないが、岩鶴裕介さんも父親の背中を見て育ったからか、やはり料理人を志した。辻調理専門学校で勉強をしていた時に、先生に「大阪で一番厳しい修業先を教えて」と尋ねている。それほど彼は真摯に料理と向き合いたかったのだろう。学校から紹介されて行った中で「最も旨かったのが『むろ多』だった」そう。当時、室田さんは天保山と北新地で日本料理店を営んでおり、料理内容もさることながら人物的にも惚れ込んだようで、岩鶴裕介さんは彼の下で修業をしようと決めている。「むろ多」は住み込みでの修業。岩鶴裕介さんによると「部活の延長のような感じだった」そうで、辛労もあるけれど、それ以上にやりがいもあって楽しい修業時代を過ごしたという。華やかな板前割烹(カウンター割烹)の仕事だけではなく、いずれ「岩鶴屋」に戻ることも考えて、「仕出しも勉強したい」と願い出て、天保山の調理場でも仕事をした。「むろ多」には5~6年在籍したそうだが、その間、技能五輪全国大会にも大阪代表として出場を果たしている。いい師弟関係が育まれたのだろう、調理技術もさることながら料理への思いは師匠譲りに。話していると、所々に料理への情熱が垣間見える。「地域の産物をいかしながら料理を作って行きたい」との思いが随所に表れており、地域と料理を結びつける活動にも余念がない。この姿勢は、今回の取材にもよく表れていた。「紀の川の農家ともつながっており、友達のお父さんからも情報を聞いたりします。同級生に猟師をやっている家があってそこで猪肉をもらって来て調理してみたんです。だから今回は、周辺も巻き込んでの取材用メニューづくりになったのかもしれません。テーマは〝紀の川市の旨いもん〞なんですよ」と話していた。

オール紀の川の産物で臨んだ取材用メニュー

 

クケコサ

そんな事を言いながら岩鶴裕介さんが披露してくれたのは、①桜鯛と季節野菜の蒸籠蒸し②鯵の小袖寿司③メバルの煮付け④猪の金山寺味噌ソースの四品である。一品目が出た瞬間に私はその仕事ぶりに目を見張った。やっぱり室田大祐さんのDNAを引き継いでいる料理だと一瞬で判断できたのである。味は勿論のこと、盛り付けに見る繊細さや彩りが名人(室田さん)の料理を彷彿させるような一品一品だったのだ。
まず初めに出て来た「桜鯛と季節野菜の蒸籠蒸し」だが、鉄板に載っているのは、鯛と鱈の白子、ホタルイカ、鯛の子、ブロッコリーである。その下には昆布を引いただしが入っており、それを蒸すことにより、昆布香が立ち上がり、素材を温めるとともにその香りがつく仕組みになっている。「桜鯛は生でも食せるものを使っています。それを昆布締めし、一度蒸してから皮目をバーナーで焼きました。いわば昆布締めの炙りを載せているわけです。鱈の白子は、塩と酒で一回湯通しています」と岩鶴裕介さんは説明してくれた。それらを蒸し上げたものをポン酢に漬けて食べる。ポン酢は「魯山人」醤油1に「白搾り」0.5、米酢0.5、そして紀の川産の八朔、はるみ(みかん)、デコポンで酸味を加え、追い鰹をして作っている。「合わせだしを沸騰させ、昆布を加えてさらに追い鰹をするんです。最後に果汁と柑橘類の皮を加えます。柑橘系は熱いと酸味が飛んでしまうので冷めてから加えるようにしました。本来はみりんで調味するのですが、今回は紀の川がテーマなので、市内産の柑橘類で酸味を出すことにしたんですよ。八朔はすっぱさを出す役目。デコポンやはるみみかんの甘い汁が利いています。柑橘が主張しすぎてはいけないので追い鰹をして味を調えます。果実に加え、皮が入っている分、フルーツの苦みも加わり、いいポン酢になりました」と岩鶴裕介さん。紀の川の柑橘が酸味や甘味をポン酢にうまく調和させているようだ。この味が表現できるのも「魯山人」醤油のピュアさがあってこそだろう。岩鶴裕介さんは、「魯山人」醤油を「コクがあって香りが高い醤油」と評している。初めて味見した時に「物凄くいいものに手を入れるのは勿体ない」と思ったそうだ。ただ、紀の川の柑橘と合わせると、間違いなく料理が旨くなるとの判断に、「魯山人」醬油をベースにポン酢を仕上げた。フルーツの甘みや苦みが出すぎてしまうのを抑える塩味が欲しく、白醤油(白搾り)を用いて味のバランスを調えたと説明していた。岩鶴裕介さんは、醤油の味を勝たせ、そこに酸味があるという、若干醤油寄りのポン酢に仕上げている。そうすることで、食べた後に八朔の苦みや柑橘の風味が残るように設計しているのだと思われる。「この手の蒸籠蒸しは、実は初めての試みなんですよ」と言う。普段は、牛肉のしゃぶしゃぶか、鯛ちりを出しているらしいが、今回の取材用に初めて蒸し物のスタイルで出したのだそう。「取材前に常連客に出したところ、かなりの高評価でした。まだまだ改良の余地はありますが、今後コース内に入れてもいいかと思っているんですよ」。

シス

二品目は「鯵の小袖寿司」だ。鯵を酢締めして、シャリの中に煎りゴマと山葵菜の葉と軸、刻んだガリを混ぜて小袖寿司の要領で巻いている。その上にバッテラの昆布を載せているのだ。岩鶴裕介さんは、送られて来た商品の中に燻製醬油(燻ししょうゆ「燻」)があったのでどうしても使いたかったらしく、このメニューを考えたと話していた。「燻製醬油は、香りが違います。当初はチーズと混ぜたらと思ったのですが、酢で締めたものと合わせると面白いのではと思い直し、小袖寿司にしたんです。そうしたら思いの外、旨いものができましたよ」。山葵菜は紀の川市産で、葉と軸を用いることで山葵香が立って味も締まる。「コレだけでも完成度が高いのに、さらに燻製醬油を垂らすことで風味はさらにアップする」と上々の出来映えぶりである。

セソ

三品目のメバルの煮付けには、和歌山近海で獲れたメバルが使われている。この良質素材を「白搾り」と「魯山人」醬油、みりん、酒で煮付けたのがこの料理である。器には、このシンプルな煮付けに、小芋、ゴボウ、きぬさや、梅麩が盛り付けられている。白髪葱に、本来なら木の芽を載せるところを、今回は紀の川がテーマなのではるみみかんの皮を盛り付けた。はるみは、見ためはオレンジに近い。果肉がしっかりしており、甘くてジューシーで酸味も少ない特徴がある。はるみの香りなら「魯山人」の醤油香を邪魔しないだろうと考え、木の芽の代用としたのだと言う。「味付けは、和歌山らしく甘辛く煮ています。仕上げの段階で、火を止めてから『魯山人』をなでかけます。こうすることで『魯山人』醬油の香りも生きてくるんですよ。だから山椒香が勝ってしまう木の芽を敬遠し、はるみの皮にしたんです」と話しており、解説はどこまでも理路整然としている。流石は室田さんの弟子だと思った。

タチ

最後は、紀の川の猟師が獲った猪肉を使用した一品。前述したように岩鶴裕介さんの同級生の家は、農家を営みながらも猟師として鉄砲撃ちを行っている。この「猪の金山寺味噌ソース」に用いた素材は、彼の家が獲った天然の猪。その肉をさっと焼き、一旦冷ましてからフライパンにサラダ油を薄く敷いてじっくり弱火で焼いていく。強火だと、匂いも出て硬くなるので弱火でじっくり火を通すのがコツなのだそう。仕上げに脂のある皮目の方をバーナーで炙り、香ばしい香りをつける。添える野菜は、素揚げにしておく。ソースは「具だくさん金山寺みそ」に「あわせみそ」を加え、酒、みりん、鷹の爪で。香りづけに「魯山人」を少し用いた。猪肉にこのソースを漬け、サラダ菜で巻いて食べるのがいい。それくらい猪肉と金山寺味噌は合うのだ。「焼肉をエゴマの葉で巻いて食す要領で_。実はこの食べ方はお客様に教えてもらったんですよ」。そう言いながら岩鶴裕介さんは、「楽しい一品ができた」とご満悦。これらの材料は、全て紀の川産で構成されており、自分の足で探して一つの品ができたのが、特に嬉しい理由らしい。金山寺味噌が獣臭さを消しているし、味の調和も取っている。私が思うに今後、「岩鶴屋」では、この料理がお目見得するのは必至ではなかろうか。

ツ テ

今回の料理構成でもわかるように岩鶴裕介さんは、地元のことをよく考えている。自称〝紀の川の旗振り役〞だそうで、地元の組合でも理事を務めているのだ。岩鶴裕介さんらが行う〝天晴(あっぱれ)プロジェクト〞もその一例だ。「岩鶴屋」では、コロナ禍になり、人とのつながりが薄れたことを危惧し、家庭で余っているアベノマスクや不織布マスクと消毒液を無料で交換する試みを実施した。そこで集めたマスクを介護施設や養護施設へ寄付するのだ。また、「オードブル」や「ちらし寿司」などの売上の一部を、紀の川市や岩出市に寄付しており、少しでも地域の人に貢献できるようにと考えている。医療従事者などに感謝の意を示す取り組みとして企画しているのだとか。そんなちょっとした動きから〝天晴プロジェクト〞は始まっており、今では色んな店が参加して一大ムーブメントになりつつある。「コロナ禍で人と人が会わないケースが増えて来ました。でも料理屋はふれあいの場でもあるのです。ならば人と会いたくなる仕組みを打ち出そうと思っているんです。今はためらうより、一歩踏み込む勇気の方が必要だと思います」と岩鶴裕介さんは語っている。「勢いのまま走ろう」が彼の今の心境なのだろう。そう思って聞いていると、なぜか紀の川が身近に思えて来た。時には、車を走らせて「岩鶴屋」まで食事に出掛けるのもいいだろう。

  • <取材協力>
    岩鶴屋

    住所/和歌山県紀の川市中三谷127 岩鶴屋

    TEL/0736-77-3024

    営業時間/9:00~22:00(完全予約制)

    休み/なし

    メニューor料金/
    会席料理 4400円・5500円・7150円
    <仕出し>
    幕の内 1500円・2000円・3000円
    すし入り会席膳 5000円
    箱膳幕の内 5000円


筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい