122 2023年11月和歌山県の白浜は、全国でも有数のリゾート地。海水浴から温泉までリゾートを兼ねて多くの観光客が訪れる。そんな白浜にあって多くのグルメに愛されている日本料理店が「竹寳」だ。地元では知らない人がいないくらい_、いやそれどころかその評価は今や全国区。首都圏からは白浜空港を使ってこの店で食事をするためだけに訪れる人もいるくらいだ。店主・竹中和也さんは、和食の世界をリードする人物で、凛とした雰囲気を自店に醸し出し、和歌山の素材を多用して調理を行っている。以前から新古敏朗さんにその噂を聞いており、私も一度行ってみたいと考えていた。そんな折りにこのコーナーの取材が浮上し、善は急げとばかりに車を飛ばして「竹寳」に行くことになった。さてベテラン職人は、湯浅醤油・丸新本家の商品を使っていかなる表現をしたのだろうか。とくとご覧あれ。

御料理 竹寳 竹中和也
(「竹寳」店主)
「丸新本家の『赤みそ』は、
深みがあります。
三年熟成と説明するが、
十年ぐらい寝かせたのではと思ってしまうほどの味わいです。
タイトルにある『赤だし』よりもむしろ料理に使う方が面白いと思って調理しました」

白浜の居酒屋がいつしか全国でも名を馳す日本料理店に

和歌山県にある白浜といえば、誰もが知っている関西のリゾート地である。町を支えるのは観光業と水産業。一年を通じて温暖な気候で知られ、温泉を目当てに多くの人が訪れる。関西では、有馬温泉と並ぶ人気で、その歴史は古く、奈良時代には保養の地として活用されていたとも聞く。今回は、温泉に入りに行ったわけでもなく、ましてやパンダのいるアドベンチャーワールドを目的に訪れたわけでもない。主たる目的は、白浜で評判を取る料理屋「竹寳」へ行きたかったからである。車で田辺白浜線を進み、白浜温泉線を海を眺めながら走る。「シャトー白浜」を横目に見て左折。「洋食ひかり」の前を右へ曲がれば、一戸建ての立派な建物に遭遇する。そこが日本料理店「竹寳」なのだ。
「竹寳」と書いて「ちくほう」と読む。日本料理の世界で活躍している竹中和也さんが営む店で、白浜では誰もが知る存在となっている。竹中さんによると、「竹寳」の命名は、「自分の一字を取って」。そこに宝の俗字である「寳」を合わせて店名をつけたそう(宝の旧字体は「寶」)。何でも寺の住職に名前をつけてもらったのだとか。

店主・竹中和也さんは、白浜の出身。10歳ぐらい歳が離れた兄が料理人で、兄の影響もあって竹中さん曰く「自分の希望とは別に料理人の道へ進まされた」らしい。約25年ほど県外の料理屋や旅館で働き、生まれ故郷の白浜へ戻って来た。県外では、主にオープンの立ち上げ役として活躍したようだ。長野県にあった「仁科の宿 松延」で若くして料理長になり、そこで長く厨房を指揮していた。その後、縁あって竹中さんは、「星のや軽井沢」の「日本料理嘉助」で、西尾さんの下で日本料理の神髄を学んだ後に和歌山県に帰って来た。帰郷時に料理人を辞めてもいいかとさえ思っていたそう。ホテルなどに手伝いに行き、小さな居酒屋を白浜で構えた。その店は、カウンターと小あがりの小規模なもの。奥さんと息子さんとの三人で切り盛りしていたという。その時の店名がすでに「竹寳」で、内容は居酒屋だった。ところが「腕に覚えあり」の竹中さんには、居酒屋にも関わらず、顧客から「会席料理を出して」とか「おせちを作って」との依頼が殺到。「そんなニーズに合わせていたら、いつのまにか今の形になった」と笑って説明してくれた。

居酒屋は都合8年ほど白浜の町で営んでいたが、前述したように顧客からのニーズもあって会席料理を提供する店へとコンセプトを変更し、三年前に今の場所に移って来た。店は立派な建物で和を意識したものになっている。「シンプルで凛とした建物にしたかった」らしく、竹中さんがこだわり抜いて依頼したせいか、完成までに2年半の歳月を要している。玄関からすでに料亭風の佇まいが広がっており、格子戸や植栽からもその雰囲気が窺える。外壁は、九州の火山灰を用いたそとん壁で、植栽には枝垂れ桜やいろはもみじが見られる。入ると、左手に熊野の檜のカウンター、右手に三つの個室が_。その間を竹で仕切り、竹林の印象を抱かせているのだ。「個室のテーブルには龍神の杉を使うなど、紀州材や紀州塗りを用いて造ろうと考えました。一週間に一度は自らが建築現場に入って指示を出したほど。カウンターのバックには和紙で漉いた上に漆を塗って造ってもらいました。とにかく私なりの和へのこだわりを表現したかったんです」と竹中さん。料理だけではなく、その表現方法も相まって「竹寳」を名店へと押し上げた。聞けば、今では地元客(県内客)と観光客が半々の割合だそうで、地元グルメのみならず幅広いファン層を持っている。特に最近は外国人客が目立つらしく、「あなたをYouTubeで観て知っている」という訪日観光客も。「彼らは動画をアップするので有名になっているみたい」と今時のインバウンド需要を笑いながら話してくれた。そんな訪日客に「竹寳」では徹底的なサービスを行っている。同店では、懐石コースに抹茶を提供するのだが、少しでも和の心に触れてもらおうと、グループの一人をカウンター内に入れて自身で抹茶を立てさせる。「白衣を着て外国人に抹茶を立ててもらうのですが、物凄く喜んでくれるんですよ。少しでも日本の良さを知ってもらいたくて、そんな事も行っています」と語っていた。

ク2
ケ2

竹中さんの料理には、サービス精神の他にもう一つ大切なコンセプトがある。それは、身体にいいものを食べてもらう事だ。「料理には、嘘つきの料理と正直な料理があるんです。人柄は料理に表れます。だから私達、職人は不安を抱えていてはいい料理を作ることができません。身体にいい材料を用い、食べたら自然と笑顔になるように…、それが正直な料理だと思うんですよ。時に百歳のおばあちゃんが、うちのコースを完食するんです。それは変なものを使わず、自然に受け入れられる材料と調味料だから、身体にすっと入るのだと思われます。それとは別にお母さんが『うちの子供が、好き嫌いなく全部食べた』と喜ぶ人も。皿にあれこれ飾らず、食べるものばかり載せる。それもうちの信条の一つです」。殊、職人は料理だけに重きを置きがちになるが、接客も大事だと彼は言う。出迎えと送り迎えは欠かさない。それはどんなに忙しい時でも行うサービスなのだ。「色んなことを忘れてゆっくり過ごしてもらえる_、それが『竹寳』の特徴だと思うんですよ」。

醤油・味噌の特徴を出すためにあえてシンプルに

ところで今回は、予め湯浅醤油・丸新本家から商品を送っており、取材用としてそれに合わせた料理を作ってもらうようお願いしていた。取材日に「竹寳」へ行くと、「今日の主役は、あくまでも醤油・味噌。いつものうちの料理と違ってシンプルにその良さが引き立つように表現しました」との第一声が。つまりあれこれと技術を使ったいつもの料理ではなく、この取材のために考えたものだという事だ。飾り気はなくとも調味料の良さがわかるように作ったと言いたかったのだろう。ちなみに「竹寳」では、日頃から湯浅醤油・丸新本家の商品を使っているのでその良さについては熟知している。取材用に送った「魯山人」「具だくさん金山寺味噌」はすでにお馴染みの品で、「白搾り」と「赤みそ」が初めて使ったと言っていた。
まず初めに出て来たのは、造りである。タイトルを「鮃の昆布締め 魯山人醤油の寄せで」とでもしておこうか。料理は、竹中さんが言うようにシンプルなもの。新鮮な鮃の造りに「魯山人」醤油の寄せで作ったものを付けて食べるスタイルになっている。竹中さんの話では、寄せは「魯山人」醤油を煮切って延ばし、厚切りの鰹で炊いて作るそう。それを一週間寝かせてから寄せる。つまり醤油のジュレのようになっている。「一週間寝かせる事でより深みが出るんですよ」と説明していた。「竹寳」では、その良さに惚れ込み、日頃から「魯山人」醤油を使っている。竹中さん曰く「この醤油は、旨みが強いわりに優しい味がする」との評価。「作ってすぐに使ってもいいが、より深みを持たせたいからあえて一週間寝かせる事にし、そこから寄せにした」と言っていた。鮃にその寄せを巻き込んで食べると、醤油と鰹の味がうまく融合し、造りを一層楽しませてくれる。「このスタイルにしたのは、女性客を意識して。醤油のままだと、時には垂れて服を汚してしまう事があります。寄せにすれば、その心配はいりません」と説明していた。こんなちょっとした気遣いが「竹寳」を一流店に押し上げているのだろうと思った。本来なら寄せはこの半分ぐらいの大きさでもいいのだが、今回は撮影サイズにしたらしい。鮃の身は、淡泊な中にも旨みがあって、そこに寄せにした「魯山人」醤油が優しい味わいを持たせている。醤油の中に鰹が利いて上品な造りになった。単にシンプルなだけではなく、細かな技が利いた一品だ。

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二品目は、三年熟成の「赤みそ」を使った料理で、竹中さんは「キハダマグロの赤だし漬け 芥子の実よごし」と名づけていた。この料理は、和菓子の松風に見立てて作っている。「赤だし」を少し延ばした地にキハダマグロを二日間漬け込む。こうする事で表面だけではなく、中にも均等に味が染み込む。それに粒々にした芥子の実を表面に付けて出す。竹中さんは「八寸の中に入れるといい」と言って出してくれた。「本マグロのようないい魚を使わず、シビなどの味気のない身の方が向いているんです」。二日間地に漬けて濡れるような感じにして芥子の実をまぶすらしい。食べると、キハダマグロの身に粘り気を感じる。水分が抜けているからそうなるので味気の少ない魚に「赤みそ」の味が上手く入っているのだ。竹中さんは「赤みそ」を初めて嘗めた時に、「大徳寺納豆と同じような味がする」と驚いたという。三年熟成しているせいか、大徳寺納豆のような旨みや甘みを覚えたようだ。「この味噌は深みがあります。インパクトがあるのに角が立っていないのもいいですね。新古社長は三年熟成している証しと説明しますが、三年どころか十年ぐらいの旨みがあるように思えるんですよ」。まさに味噌を食べているような旨みが伝わり、何となく羊羹を彷彿させるから不思議だ。「赤みそ」の塩気が魚の身の中に入り、水分を飛ばそうとする_、それがこの料理のベースになっているのだ。「赤だしと商品名にあるが、むしろ料理に使う方が面白いと思ってこれを作ったんです。酒のアテにぴったりでしょ。酒の旨みに負けないくらいの味になっています」と竹中さん。八寸に挿入するといい一品だが、説明せずに出しただけでは何を食べているかわからないぐらいだろう。

三品目は、「秋蕪の含め煮」で、ここでは「白搾り」が使われていた。竹中さんの説明では、蕪を昆布・鰹のだしで戻し、その戻し汁と「白搾り」、塩、酒で含め煮にしたと言っていた。今回は千葉産の蕪で作ったらしいが、和歌山の布引大根が出て来たら、ぜひとも作りたいと語っていた。「わかやま布引だいこん」は、砂質土壌で作られる青首大根。根部の上から下まで太さが揃っており、ヒゲが少なく、肌がきめ細かい。取材時にはまだ出荷されておらず、市場に出回ってなかったのだが、竹中さんは、その含め煮にすると確実に旨いと踏んでいるようであった。「初めて使った『白搾り』は、一般の醤油と違って色がつかないのがいい。淡口醤油よりも塩味が少なく、その分、香りがいいんですよ。嘗めた時に甘みを感じ、だしに入れるとなじみがいいと思いました。根菜類を煮るのに丁度いいですね」と評していた。だしは甘みがある。調理時にみりんを用いておらず、秋蕪だけの甘みでこの味が出ているのかと感心する事しきり。

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最後は、普段から使っている「具だくさん金山寺味噌」での創作。料理名を「秋鮭の金山寺味噌漬け焼き」としていた。「具だくさん金山寺味噌」をそのまま使うのかと思いきや、竹中さんは、その中にある具を除けて別々に用いようと考えていた。外した金山寺味噌の具材は、大根おろしと和えて焼いた魚に添えて出す。主役の秋鮭は、塩を当てて水分を出してから金山寺味噌を塗って一日寝かせておき、眼前で焼いて供すのだ。「金山寺味噌がメインの一品。だから魚は何でもよかったんです。金山寺味噌の旨みさえあれば、他は何もいりません」。大根おろしと和えた具材を焼き魚に載せて味わってもいいが、竹中さんの言うように別々にして食すのも手。大根の辛みと具材の甘みがいい塩梅(あんばい)になっている。大根おろしの中で具材がコリコリ感を持たせており、これはもはやおかずだと思った。味噌は漬ける用で、具材は別のおかずと言った意味がよくわかった。
「竹寳」では、できるだけ和歌山産のものを使おうとしている。食材もそうだが、調味料も右に同じ。湯浅醤油・丸新本家の商品は、他府県に誇ることができる地元の雄だとも話していた。「我々料理人は、安心して使えるものではないと用いる事はできません。発酵食品は、身体にいい菌を有しており、おいそれとは造る事ができない代物_、長年培って来たものがいいんですよ」。竹中さんが白浜に帰って来て「竹寳」を営むにあたって、せっかくこの地にいいものがあるのだから、地のものを使って調理をしようと決めた。そこには、紀州の果樹や野菜、魚介類…、その他、調味料だって秀でたものがある。なので積極的に使用したいと考えた。「職人だってそうだし、お客様だってそう思っているはず。ましてや観光客は、せっかく白浜まで来たのだから地のいいものを味わいたいと考えているはずなんです。湯浅醤油・丸新本家では、昔ながらの製造で醤油や味噌を造っています。やっぱり受け継がれたものには、勝てないですよ」。竹中さんは、今回の取材で改めてその価値がわかったと言っていた。和歌山には、いい幸とそれを使ういい職人がいる事を立証したような取材であった。

  • <取材協力>
    御料理 竹寳

    住所/和歌山県西牟婁郡白浜町3720-12

    TEL/0739-43-2510

    HP/ 公式HPはこちら


    営業時間/昼11:30か12:00のどちらかのスタート〜14:00
    夜18:00入店〜22:00(入店は20:00まで)

    休み/毎木曜日、第二週の水曜日(昼営業は水・木・金曜日が休み)

    メニューor料金/
    昼 懐石コース  3500円
      懐石コース  8200円 
    夜 懐石コース  22000円
    ※「竹寳」では、2024年から新しいコース形態に変わる予定。上記価格は、2024年からのもの。

筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい