146 2025年12月関西には古くから串かつの文化がある。東京の天ぷらとよく対比されるのだが、元来、串かつは、肉や野菜などを串に刺し、パン粉をつけて揚げるスタイルと認識されており、いつしか関西の下町で広まった。串かつといっても素材をダイレクトに揚げる下町発祥のタイプもあれば、和食の一品の如く創作を加えて工夫して揚げる高級品タイプもある。後者は繁華街でよく見られ、串揚げとも呼ばれていて何となく上品。一本一本揚げながら提供されてストップするまで続くのだ。そんなタイプの串揚げ店を有馬温泉で発見した。店主は新宅仁志さんで、歴とした日本料理の職人。ならば出て来る串揚げも工夫が施されているだろうと期待できる。今回は有馬温泉で評判を取っている串揚げ店「有馬楽膳 桜」に行って来た話を書こう。

有馬楽膳 桜 新宅仁志
(「有馬楽膳 桜」店主)
「舐めたとたん、
この醤油は美味しいと思いました。
『樽仕込み』は、塩角がなく、
旨みも凄い。火を入れると香りが立って特徴的です」

日本料理の職人が奏でる一本一本の串揚げ

個人的な話で申し訳ないが、最近有馬温泉は私にとって素敵な人物との出会いの場になっている。今秋、京阪神エルマガジン社から出版された「六甲山・有馬温泉の本」の取材時に訪れた「有馬楽膳 桜」で思いがけぬ人物と再会した。取材時に名刺を渡して挨拶すると、「桜」の店主・新宅仁志さんから「曽我さんの事は以前からよく存じていますよ」との一言が_。聞けば、新宅さんはかつて北新地の名店「粋餐 石和川」で働いていたとか。「石和川」にいたとなれば、私のお気に入りの料理人・浦上浩さんの弟子にあたる。おまけに伝説の寿司職人・村田さんの親戚にもなるそうだ。村田さんは、その昔「おく目」(福島区)で包丁を握っていた職人。寿司も立派だったが、彼が作る酒のアテが美味しく、昭和から平成初期にかけてその名を轟かせていた。当時私が在籍していた「あまから手帖」の重森守編集長が足繁く通っていた店でもあったのだ。重森さんのご贔屓(ひいき)は、北新地にもあって、それが浦上さんの「石和川(いわがわ)」だった。いつも編集部に遅くまで残っていると「めしでも行くか?」と誘われ、北新地の「石和川」で食事するケースが多々あった。当時はまだ浦上さんも店を出して間もない頃で、永楽町通りにあったカウンターと小あがりだけの規模の店でユニークな和食でその名を売り出していた時だった。例えば、焼魚にホワイトソースを掛けた一皿があったりと会席コースの中に洋のエッセンスが入ったものがあったりしてグルメ達の舌を魅了していたのだ。新宅さんは、浦上さんの下で約30年ばかり料理をしていたらしく、この永楽町通りにあった初期の「石和川」ではすでに厨房にいたらしい。すると私とは若い頃に知り合っていた事になる。そんな話をしていると、何だか遠縁の人に会ったかのようで実に親近感を帯びて来た。なので本が出てから「桜」に連絡をし、「名料理、かく語りき」の取材を決めた次第である。

「有馬楽膳 桜」は、有馬スプリングテラスの一郭にある。湯元坂を途中で曲がり、妬(うらなり)泉源から奥に入っていくと、何店舗か店が連なった有馬スプリングテラスに遭遇する。「桜」はその一番奥側に位置している。店の前には桜の大木があって春になるとピンクの花を咲かす。その桜の花を愛でながら食べる串揚げは格別で、そういったロケーションからも新宅さんは自店を「桜」と名づけたようだ。「桜」は、有馬では珍しく創作串揚げの店。色んな串揚げを眼前で揚げてストップするまで出続けるスタイルである。ただ一応来店客のために目安を知らせておく必要があるためにメニューには、ランチ時の「串揚げセット」が8本で2,980円、10本3,390円、12本3,790円とあり、ディナー時の「夜のおまかせコース」は5本2,480円よりと書かれている。ランチ時に「豚ヘレソースかつ重」(2,980円)があるのは、ガッツリ行きたい向き用かと思えばそうではなく、「時折り魚がダメ、野菜がダメというお客様がいて、そういった人向けにメニュー化しているんです」と新宅さんが教えてくれた。ここでの「かつ重」は福井にあるようなソースカツ丼のような内容。有馬温泉といえば、やはり観光客も多く、串揚げをコースで頼むほど時間に余裕がない人にもこの一品は需要があるようだ。コロナ禍以降は、インバウンド客が目立ち、欧米やアジアからの観光客もよく訪れるそう。彼らには串揚げという料理スタイルが珍しいのか、「桜」の串揚げに舌鼓を打つ人が続出。「喜んで食べて帰られますよ」との話であった。新宅さんは、「国内外の観光の方や地元の方など色々なお客様に来店いただきます」と言っていた。

前述したように新宅さんは、純然たる日本料理の職人だ。それが独立して有馬温泉で店を構えるにあたり、なぜ串揚げ店を選んだのだろうか?それを話すには、まず新宅さんの経歴を伝えておく必要がある。新宅仁志さんは広島県の出身。地元の高校在学中に中華料理店でアルバイトをしたのがきっかけで、何となく「料理をやりたい」と思ったようだ。そんな折りにたまたま寿司職人であった伯父の村田さんが家に遊びに来ており、「料理をしたいなら広島ではなく、大阪へ出なさい」とアドバイスをくれた。新宅さん自身は朧気(おぼろげ)な将来像だったそうだが、村田さんが甥の将来を見据えて積極的に就職話を進めていき、正月に訪れた際には「勤める店を決めたから」と新宅さんを料理人のレールに乗せてくれた。その就職先が浦上さんの「石和川」だったのである。当時「石和川」は人気が出て来た頃で、店はまだ北新地・永楽町通りのビルの二階にあった。多分、私が重森編集長に連れられ足繁く通っていた頃だったと思われる。「私が就職する一年前は夜だけ営業していたのですが、入った年からはランチもやるようになり、定食のようなものまで始め、それを宣伝するために若い職人は近隣のオフィス街にチラシをポスティングしたりしていました」と話す。ある日、「石和川」の記事が新聞に載ると、いきなり行列が出来ていたそう。当時はまだ北新地でランチをという感覚は薄く、昼間も営業を始めた「石和川」は話題に上った。そうなって来ると、チラシのポスティングどころではなくなり、昼前から厨房は大わらわ。新宅さんらは、昼の料理と夜の仕込みで忙しく働いていたという。当時の浦上さんの料理は、本格的会席料理ながらも時折り変化球があって実にユニークだった。焼魚に洋のソースを掛けたり、鱈の白子を一般的な醤油焼きにせず、バターも使ってタコ焼きのような味わいにしたりと、他の和食の職人がやらないような仕事を所々に挿入し、グルメを楽しませていたのだ。なのでウケにウケて、評判が評判を呼ぶようになったのである。その後、浦上さんは毎日放送の「ちちんぷいぷい」の料理コーナーを任させるようになる。新宅さんは、そんな浦上さんの薫陶(くんとう)を受け、一流料理人へと育って行く。いい師に出会う事で料理人としての腕を磨けたのだ。新宅さんは、「石和川」に約30年勤めた。系列店の「天味 石和川」(天ぷら)や、「おく目」を辞めた村田さんのために浦上さんが開いた「無鮨(むうずし)石和川」でも伯父さんと一緒に働いたりもした。残念ながらコロナ禍の煽(あお)りを受け、「石和川」は店を閉じてしまったが、ほぼ最後近くまで浦上さんの下で調理をしていたらしい。

コ1

「コロナ禍に『石和川』を辞めてどうしようかと思っていた時に『有馬スプリングテラス』を所有していた人から『いっそ有馬に来て独立しないか?』と声を掛けられたんです」。人の縁とは不思議なもので、真摯に調理と向き合っていると、かつての「石和川」の常連から救いの手が差し伸べられる。こうして新宅さんは、有馬温泉で独立する事になる。ところが、有馬温泉は特殊な地で、当然周囲は旅館だらけ。旅館ではあたり前のように本格派日本料理が提供されているので、和食店として独立しても目立たない。ならば、かつて「天味 石和川」で腕をふるった実績もあったので天ぷら屋でも始めるかと考えた。よくよく有馬温泉街をリサーチしてみると、天ぷら屋も存在した。ならば、温泉街に一軒もない串揚げ屋をオープンしようかとの選択に至ったという。
新宅さんは、串揚げについて一つの思いがあった。それはラードで揚げるとしつこさが出て何本も食せない点だ。それに大半の串かつは衣が厚い。これだと衣々した串揚げになってしまう。衣が分厚い分、油を多く摂取してしまうために胃がもたれてしまう。ならば、極限まで衣を薄くして揚げれば、素材を食べている風に思えるんじゃないかと考えたんです」。串揚げは、一般的によく知られているが、素材や調味のユニークさを求めるものはそんなに頻繁に食すものでもない。衣を極薄にして軽く揚げれば、普段食さない人でも沢山食べられるであろうし、胃にももたれないようにと手法を工夫するようにした。新宅さんが用いているパン粉は、微粉パン粉と呼ばれ、一番細かいものだ。小麦粉を水で溶いてバッター液にし、素材の表面について微粉パン粉をまぶす。それを客前(カウンター席の場合)で大豆と菜種の白絞油で揚げて行く。白絞油は天ぷら油より精製度が高く、サラダ油より低い。まるで薄衣の天ぷらのイメージで提供されて行くのである。「ラードで揚げる方が串かつの印象が強くなるかもしれませんが、個人的にはラードは重いので好きじゃないんです。せっかく天ぷらの名店(天味 石和川)で調理した経験もあったので、その時の雰囲気を少しでも醸し出したいと思って素材感ある上品な串揚げを目指しました」と話していた。
オープンした当初は、丁度コロナ禍にもあたり観光客もまばらで大変だったようだが、コロナ禍が明けて温泉街に活気が出て来ると、有馬には珍しい串揚げ屋として繁盛して来た。最近、有馬温泉は泊食分離も目立って来て、ホテルや旅館の素泊まり客が訪ねて来るという。温泉地はインバウンド需要もあるからか、外国人客も利用する事が多い。色んな食材を揚げるスタイルが面白いのかGoogleで外国人が喜ぶ店として「5」をつけてくれるという高評価も取得しているらしい。おまけに旅館の主人など有馬で働く人達も訪ねて来るようになって今や新宅さんの評判を目当てに来る程までになっている。「串揚げ屋をやろうか、どうしようか悩んでいた時にある人が『串揚げは皆が好きな料理』と背中を押してくれました。今ではその言葉が的を射たようになっています」。ただ忘れてはならないのは新宅さんは一介の串揚げ職人ではなく、歴とした日本料理の職人だという点。細かな技術や和食の手法が串揚げ一本一本に込められているからこそグルメを惹きつけているのだ。

あの懐かしい白子の醤油焼きの味に出会った!

さて、私は「桜」ででもいつものアレをやらねばならない。予め湯浅醤油・丸新本家より商品を送ってもらい、新宅流「名料理、かく語りき」を具現化するのだ。新宅さんには「醤油や味噌を使って創作してみて」とだけ伝えており、それが串揚げでもいいし、店では出していない和食の一品になっていいと話しておいた。

紅葉が美しく、有馬に観光客が溢れ返る11月中旬に「桜」を覗くと、新宅さんが私の取材だけのために料理を振舞ってくれた。断っておくが、これから紹介する二品は、「名料理、かく語りき」用に創作したもので普段の「桜」では提供されていない。つまり私へのスペシャリテなのだ(取材用商品でもあるが…)。

「これは、きっと曽我さんにとって懐かしい味ですよ」と出して来たのは、「鱈の白子の醤油焼き」だった。ここには、「樽仕込み」と「白みそ」が使われている。鱈の白子をほぐし、叩いて少し片栗粉を当て、それをフライパンで焼く。白子に火が通ったら上がりにバターと醤油(「樽仕込み」)で調味する。それを皿の中央に置き、周りにホワイトソースを掛けて出来上がる。ちなみにこのホワイトソースは、バターに小麦粉を足し、少しずつ牛乳を入れて延ばしたもので、新宅さんによると、延ばしながら「白みそ」を加えて作ったそう。味噌と同じ硬さになると、どっと牛乳を流し入れて延ばすのがポイントらしい。料理の仕上げには柚子とアサツキを振って香りを出している。「丸新本家の『白味噌』は、香りがよくてコクがあります。色んな味噌を使って来ましたが、他のものよりも香りがあるように思えました。だから多く入れなくても十分だったんです」と話していた。新宅さんによると、「嫌らしい甘さではなく、懐かしい味がする」そうだ。大豆本来の甘みがあるから料理がいきるとも言っていた。一方、「樽仕込み」の方は、第一声「旨い醤油です」との表現が_。舐めてすぐに美味しいと感じたようだ。「色は熟成している分、濃く見えますが、塩角がないので使いやすい。勿論、造りにも使えますが、火を入れると香りが立つので調理に用いてみました」。なぜこの一品に私が懐かしんだかというと、かつて「石和川」で出ていた鱈の醤油焼きの味を彷彿させていたから。一般的に鱈の醤油焼きというと、雲子を湯通しし、霜降りさせてから一口大に切り、焼き台で焼いて、上りに醤油を刷毛で塗って仕上げる。ところが「石和川」の浦上さんは、バターを用いてコクを出していた。仕上がりは、白子の醤油焼きだけど、食べると醤油味のタコ焼きみたいな味になっていたのだ。新宅さんは、私が来るから「石和川」時代を懐かしみ、鱈の白子の醤油焼きを作り、そこにオリジナリティを加えるために周りにホワイトソースを流し込んだ。前述したように新宅さんは、18歳で浦上さんに弟子入りした。師匠が作る白子の醤油焼きが独特の作り方だったので、自然とその手法で作っている。「他の職人なら意外な手法と思うかもしれませんが、当時私は高校を出たてなので白子の醤油焼きなんて食した事もなく、この作り方が白子の醤油焼きだと思ってずっと来ていたんです」と笑いながら若き頃の話を振り返っていた。「石和川」が閉めてすでに5年の歳月が流れているのだが、久しぶりに出合えた浦上流白子の醤油焼きに私は感動を覚えた。

セ1
ソ1

二品目は、いよいよ「桜」の本領発揮、串揚げの登場だ。皿には「九条葱の豚焼き」「豚バラの味噌かつ」「鮪のレアかつ」が載せられていた。ここでは丸新本家の商品が用いられ、創作串揚げに仕上げられており、左から「もろみ味噌」、「赤みそ」と「白みそ」、「わさび金山寺味噌」をタルタル風にしたものを、各々に配している。

新宅さんは、「もろみ味噌」を味わった時に一瞬で葱に合うと判断したようだ。「とにかく野菜に使いたいと思って生の九条葱を豚肉で巻いて串揚げにしました」。上には葱にぴったりな「もろみ味噌」を載せている。薄味のおかず味噌なので当然の如く、串揚げにフィットする。新宅さんも「あまり辛くはなく、丁度いい味」と評価していた。食べると九条葱のパリッとした食感に豚肉の旨みが重なり、そこへ「もろみ味噌」の甘さが加わる。粒々感もしっかりあっていい。丸新本家では、四代目が開発を重ねた末に結実した商品と伝えているが、質のいい麹で造っているためにきれいな味をしており、それが串揚げにちょこんと載せられて、いかにもうまそうに見えていた。

中央の「豚バラ味噌かつ」は、豚バラ肉を極薄衣で揚げ、「赤みそ」と少しの「白みそ」、それに水と酒・みりん・ちょっとの砂糖で延ばしたソースを載せている。丁度、この取材の前に新宅さんは名古屋に行く用事があって名古屋めしの一つ、味噌かつを食べて来たそう。せっかくそんな機会があったから、取材の串揚げにいかすべきだと思って創作した。「名古屋は味噌文化圏で色んなものに味噌を用います。本来は八丁味噌でやるのが筋ですが、丸新本家の取材用なので『赤みそ』ベースにソースを作ってみました。それだけでは少し辛いので「白みそ」を足す事で甘みをつけ、コクを出しました」。この「赤みそ」は、合成保存料や着色料、漂白剤は一切用いていない天然醸造。米に麹菌をつける米味噌で、生きている味噌といえよう。さっぱりとした後味と程良い風味がある。「白みそ」も同じく生きている生味噌である。麹の自然な甘さがいかされて上品な味がする。味噌かつといえば八丁味噌で調味するのだが、丸新本家の「赤みそ」は豆味噌ではないので酸味と渋みが少なく、コクと深みがある。それをベースに新宅さんは上手にブレンドして味噌かつに合う味を作っていた。三つめの「鮪のレアかつ」は、鮪を醤油漬けにし、それを極薄衣で揚げている。上には「わさび金山寺」と刻んだ葱をマヨネーズでつないでタルタル風ソースにしたものが載っている。「わさび金山寺は、ユニークななめ味噌で、ワサビの辛さと鼻に抜ける感覚が金山寺味噌にうまくマッチしています。味もしっかりしているので他の調味料は加えなくとも味がまとまりました。ワサビのピリッとしたのが魚に合うと思って素材に鮪を選んだのです」。三つの串とも創作力があって実にいい。おまけにうまく味噌や金山寺味噌を用いているので、和の串揚げっぽく演出できていると思った。

ツ1

「桜」の串揚げは、普段は赤茄子の田楽や琵琶湖の鮎、かにクリームコロッケなどシンプルに揚げたもののほかに、鶏つくねの万願寺射込み、かぼちゃの葛豆腐、ホタテのベーコン巻き香草バターなど手の込んだものが出て来る。季節によって素材が替わるため、いつ行っても新鮮な気分で味わえるのも特徴的。名物ともいうべき「山椒ウインナー」は、新宅さん自身が山に入って採って来た山椒を使っている。それを羊の腸にミンチを詰めて仕上げるそう。「実山椒を叩いたものをウインナーの中に入れるのでとにかく手間がかかるんです」と言っていた。有馬と言えば山椒が有名なので、山椒を使用したものを作りたいと思って手づくりしているようだ。「かぼちゃの葛豆腐」は、かぼちゃを牛乳で煮て、それをミキサーにかけて葛で練って作っている。中にはカシューナッツを入れてアクセントをつけ、揚げてからかぼちゃの種を付けて出す。こういった工夫も新宅さんが日本料理の職人だからこそ成し得る技だろう。一本の串揚げの随所に和の技法が見え隠れしている。我々は、古くから串揚げが身近にあって満足度が満ちればストップして提供を止めるやり方も知っている。俗に串かつと呼ばれるものには、屋台や居酒屋風の店で出す安価なもの(素材をダイレクトに揚げたタイプ)もあれば、「桜」のような創作風で上品なタイプに分かれていることも理解できている。でも外国から訪れるインバウンド客はそうではなく、料理知識も持っていないからよくある“フライもの”と違って面白がって食べるのだろう。そんな事を思っていると、新宅さんが「このところ海外のお客様もよく来てくれるんですよ」と話し出した。聞けば、昨日はロシア、フランス、中国の人が来店したらしい。一本ずつ内容を説明して出す串揚げをどのように理解させて提供するのかと聞くと、「スマホの通訳アプリを活用しています」とあっさり。便利になったものだと納得してしまった。オープン時はコロナ禍で大変だったそうで協力金で何とか凌いだみたいだが、今では日本人はもとより海外からの観光客まで訪れて活況を見せている。長きに亘って日本料理の修行を重ねた新宅さんが、スパッと考え方を切り変えて串揚げ店を経営したのは、正解だったのだ。ちょっと言い回しは間違っているかもしれないが、“郷に入れば郷に従え”を実践した好例かもしれない。これから冬に入り、有馬温泉は忙しくなって行く。それとともに「桜」もより一層賑わっていくのだろうと思った。

  • <取材協力>
    有馬楽膳 桜

    住所/神戸市北区有馬町1021-1 有馬スプリングテラス内

    TEL/078-597-8778

    HP/ Instagramはこちら


    営業時間/11:00~14:30、17:30~21:00

    休み/木曜日、第二水曜日

    メニューor料金/
    串揚げランチ 8本  2,980円
           10本 3,390円
        12本 3,790円
    ※ランチメニューはご飯・味噌汁・漬物・サラダ・自家製ちりめん山椒付き

    豚ヘレソースかつ重 2,980円

    串揚げ夜のおまかせコース 5本 2,840円~

    ※串揚げは約20種。ストップするまで提供するスタイルになっている。


筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい