115 2023年04月和歌山県は、素材が揃う地域で、それらを使った名店が見られる。和歌山県庁から程近い「鮨 藤左ヱ門別館 輝」もそんな店の一つだ。同店は岩出市にある「すし藤左ヱ門」の別館的扱い。完全予約制の寿司屋で、ハイレベルな内容の「おまかせコース」が売りとなっている。この店のオーナーである中谷嘉幸さんは、文久年間(江戸時代)から続く海産商を営んでおり、その背景をいかして寿司店を開いた。岩出の店が間口の広いタイプなら、こちらは子供・未成人お断りの隠れ家のような店。いいネタを使い、独創的な和食・寿司が売りとなっている。幻の木・榧の一枚板のカウンターや彫刻が素晴らしいテーブル席を見ただけでもそのこだわりようが実感できる。今回は、そんな和歌山市の評判店で中谷社長の話を聞きながら中泰人さんが握る寿司を味わって来た。

鮨 藤左ヱ門別館 輝 中谷嘉幸
(「鮨 藤左ヱ門別館 輝」店主)
「初めて『魯山人』醤油を
味わった時に衝撃が走りました。
めちゃくちゃ旨い醤油で、
即使いたいと思ったんです。
和歌山市の店は、ハイクラスでネタが特別。
それに合う醤油は、これしかありません。」

歴史ある海産商が出したハイレベルの寿司店

エ

握り寿司というのは、不思議な食べ物である。寿司飯とネタ(魚)の単純構成なのに店々でかなりの差異が生まれる。新鮮な魚をいかに扱うかで差が生じると言ってしまえば、それまでだが、私はそんな簡単な問題ではないと思っている。某有名料理家は、「寿司とは酢飯を食べるもの」と言ったが、最近関西で流行の赤酢を使ったものもあれば、関西らしく米酢で白を強調した酢飯もあるし、関西人は嫌うが、関東には人肌のように少し温かめの酢飯で握る所もある。そもそも日本の寿司は、ホンナレから始まっており、最初は魚を保存するために考え出された。その時は、飯で発酵して日持ちをさせた。なので発酵した飯部分は捨てて保存した魚だけを食べたようだ。元来、寿司とは魚の保存目的に考案されたもののようで、これが酢が製造されるようになり、早寿司が登場して来てからは魚の用い方も様変わり。江戸後期に握り寿司が誕生した後は、魚も新鮮なものを求める傾向にある。
寿司の歴史を書き出すと、長くなって本論になかなか辿り着けなくなりそうなので、ここらで和歌山の寿司屋に話を移したい。「いい寿司屋の定義とは何か?」と問われたら多くの人がネタの良さを挙げるだろう。専門家は寿司飯云々というが、それくらい一般人にはネタのレベルが重要視されて来ると思っていい。
和歌山県庁に程近い、和歌山城そばに「鮨 藤左ヱ門別館 輝」がある。大きな看板が掲げられているわけでもなく、店舗が寿司屋然としているわけでもないので、ここが和歌山で評判を取っている寿司屋であるとは、いささかわかりづらい。何せ、店を示すものは扉横の「鮨 藤左ヱ門」の文字のみ。ちなみにこれは京都の伝統工芸の金具職人が作ったもので、看板の大きさも控えめ。つまりここは隠れ家的な寿司店なのだ。この店を営むのは、(有)藤左ヱ門の中谷嘉幸さん。阪南市で魚の卸しをやっており、創業150年の歴史を有す老舗である。聞けば、中谷家は、文久年間から海産商を営んでおり、中谷嘉幸さんは5代目に当たる。事業内容は海産商(卸売業)、市場部門(地魚)、藤左ヱ門となっている。もともと小売や仕出しもやっていたそうだが、本業でいい魚が入ることからある時、寿司屋を出そうと思い立ち、10年前に岩出で「すし 藤左ヱ門」を開いた。「今、世間では魚離れが囁かれており、どうやって魚を食べさせるかが課題となっています。消費者がいい魚を購入できないのもその一因ですが、やはりいいモノを安く提供できる場を設けなければいけないのでは…と思い立ったんです」と中谷さんは寿司屋を始めた理由を語ってくれた。

ケ
コ
サ

岩出に出店した「すし藤左ヱ門」は、どちらかというと間口の広い店。本業からいいネタが入って来るのは同じだが、一般消費者に広くネタのいい寿司を食べてもらおうと考えたために決して高級店のジャンルには属していない。そんな中谷さんが、なぜハイクラスな寿司店を和歌山で開くに至ったかについては、「鮨 藤左ヱ門別館 輝」で板場に立つ中泰人さんとの出会いにもあるようだ。岩出の店の寿司職人が辞めることになり、中谷さんは腕のいい職人を探した。ある人から中さんの話を聞き、「紹介するが…」と言葉を濁されながらも電話をかけたそう。なぜ濁されたかというと、当時、中さんは中国で働いていた。中国ではかなりメジャーな料理人でTVにも出演するほどの有名人だったらしい。「もともと和食・寿司の職人で、ある時300kgのマグロを仕入れて観客の前でそれを捌いたんです。人気TV番組だったので一躍有名になりました」と中さんが中国でのエピソードを披露してくれた。そんな中さんに惚れ込み、「すし藤左ヱ門」の職人としてスカウトした。ただ岩出の店は、繁昌店だったので仕事に追われ、中さんの思いとは異なる仕事を強いる結果となっていた。中さんの腕をいかせる場を設けるべきだし、現状に飽きる前に新たな店をやるべきだとの思いが頭をもたげ、和歌山市に高級店を出すことになった。「岩出がリーズナブルなので、和歌山ではハイレベルな寿司屋をやろうと思いました。皆が価値を認める寿司店で、これならお金を払ってもいいと思えるものをやりたかったですね。せっかく出すなら、目指せブランド寿司(笑)という感覚ですかね」と中谷さんは冗談まじりに「鮨 藤左ヱ門別館 輝」を開くきっかけを話してくれた。
「鮨 藤左ヱ門別館 輝」は、アップグレードな寿司屋である。完全予約制で、カウンター6席と個室一つ(6人収容)という陣容。メニューは、1万円、1万5千円、2万円の「おまかせコース」のみで、それ以上の価格でも対応可である。ちなみにこれまでの最高は、一人5万円のコースであったそう。中谷さんが本業の海産商をいかし、天然ばかりを仕入れて寿司ネタや料理に使っている。「阪南で事業を営んでいるから泉州に限らず、大阪湾で獲れた魚が得意ですね。湾内は人間でいう母親の胎内と同じで栄養が一杯。ゆるやかな環境下で魚が育つんです。大阪湾内の鰯や鰆がそのいい例でしょう。その日、いいものが水揚げされると、それを和歌山のこの店へ持って来るんですよ」と中谷さん。板場に立つ中さんは泉佐野の出身で、毎日本社に寄ってその日の魚を運ぶのだとか。「魚は中谷社長が目利きしたものなので折り紙付き。近隣産の魚だけではなく、本社の持つルートから色んないいものが入って来るのもうちの強みですね。豊洲から大間のマグロも来ますし、北海道産はだてのウニも入荷しますよ」と中さんは、その仕入れの良さを自慢する。全ては中谷さんの人との付き合いで、ネットワークが広いからいいモノが入って来るのだ。ちなみにはだてのウニは、銀座の寿司屋なら一貫ン万円はする代物であろう。
中谷さんは、天然魚のいいものを入れるだけではなく、その扱い方にもこだわりを見せる。魚は鮮度が命だが、決してそれだけではない。大事なのは、いかにストレスをかけずに扱うか。泉州は一級の漁場で、魚種も多い。釣っても港が近い分、ストレスはかかりにくい。かつて水産大学校の人にこんな話を聞いたことがある。「魚は水中で暮らしており、釣られて初めて水から出される。この先、どうなるのだろうと思っていると、不安が一杯で、全身にストレスが回ってしまう。そんな時に締めたものを食べても美味しくない。だから釣った魚を一旦、生簀で活け越し、ストレスを柔らげてから処理するのがいい方法なんです」と_。中谷さんも右に同じで、活け越してストレスを取ってから締めるのがいいと言う。「昔は、神経抜きをし、氷水に浸けて出荷していたんです。天然魚は強い弱いがありますから個体によって差が生じます。元水産庁の上田勝彦さんと出会い、血抜きの大事さを教わってから魚の扱い方が変わりました」と中谷さんは話す。神経よりまず血抜き。血抜きし、それから神経を抜く。そうすると鱗もきれいに取れるし、魚自体がきれいに発色するようになるそうだ。同じ手順でもそうならないのが時にはある。それはストレスが原因で、一日余分に生簀で泳がせ、ストレスを静める。締める時に驚かさぬよう、魚に負荷をかけずに行う。すると、天然魚の良さが上手く出るのだという。「天然魚はデリケートなので扱い方で変わります。以前は地の魚がいいという頭しかなかったのですが、上田さんに教わったことで魚を見る目が変わりました」と話す。魚を氷に直接載せるのも肌が焼けると言ってやらない。そんな細かな点が「鮨 藤左ヱ門別館 輝」のネタに出ている。だからこの店は高く評されているのだ。
値段が異なれども「おまかせコース」の一般的な内容を中さんに尋ねてみた。料理は、先付・前菜・椀物・焼物・天ぷら・デザートの順。そこにプラスαで主役の寿司13貫が付く。「かなりの分量ですね」と私が言うと、横にいた中谷さんが「経営者が大喰いなもので…」と笑っていた。中さんも握るだけではなく、料理も作るのだが、厨房内には瀧澤さんも一緒に働いており、彼が調理を担当しているようだ。中谷さんの話では、瀧澤さんもベテランの職人で、日本調理師連合会の最高師範の資格を有している。茶懐石の料理長も経験しており、上品な料理を作るそうだ。上海の日本料理店で活躍していたのを、コロナ禍で帰国し、7月からこの店で働くようになった。「鮨 藤左ヱ門別館 輝」で寿司以外にハイレベルな和食の品が出るのもこの人の腕があるからなんだろう。同店は、中さんといい、瀧澤さんといい、各々のプロが集って調理をしている。中谷さんは、「こうしたら売れるというアドバイスはするものの、料理は全て職人任せ」。味付け云々は一切言わない主義を貫いている。だからいいのだろうと思った。

寿司には「魯山人」をベースにしたむらさきを塗って出す

ところで、この店では、寿司のむらさきに「魯山人」醤油を用いている。それを「獺祭(だっさい)」(日本酒)で延ばしているのだ。そうすることで、角が取れてよりまろやかさが出ると言う。「魯山人」醤油を知ったのは、中谷さん。岩出の店で知って「めちゃくちゃ旨い!」と感激したらしい。ただコスト的な問題から岩出では使いにくかった。和歌山に高級寿司店を設けた時に「使おう」と思ったようだ。中さんも「魯山人醤油を知った時は衝撃が走った」と言っている。「本来ならうちのようなネタには、いい醤油を使わなくてもいいというのが本音ですが、どうしても使いたいと思わせてくれる魅力がありますよね」と語る。寿司だけでなく、鯛の荒炊きにも「魯山人」が使われている。「この醤油で煮るとコクがあってまったりしており、天然鯛の持ち味を壊さない。味が柔らかいんですよ」と絶賛する。私の目の前に出ていた「鯛の荒炊き」も当然、「魯山人」で調味したもの。この日の鯛は1.5kgの一番よく肥えたものを使ったそうだ。

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造りとして提供してくれたのは、その真鯛と、千葉産の金目鯛と本マグロのトロ。金粉をかけて菊花を散らしている。「千葉県はマグロの隠れた名産地。大間が終わったら次は千葉で獲れると言われています」と教えてくれた。「金目鯛も勝浦(千葉)が有名で、真鯛も当然天然もの。うちで造りを食べて、鯛がこんなに旨いなんてと言う人もいますね」と中さんは弁舌がますます冴えてきた。
握り寿司は、金目鯛、はだてのウニ、貝柱、中トロ、鯖の順で出してくれた。基本的にこの店では、寿司はあらかじめむらさき(醤油)を塗って供している。その方がつけすぎに寿司ネタの味をいかせるからだろう。金目鯛の寿司は、とろけるような味わい。中さんによると、調理時に昆布水に浸けたりして多少の味を加えているらしく、そこに「魯山人」をベースにしたむらさきが塗られ、この店の味になっていく。はだてのウニは、前述したように高級品。甘みがあってとろっとしている。それをこの肉厚で出すのだから銀座の寿司屋ならいくら要求されるだろうと、下世話な推測をしてしまいそうになる。ちなみにはだてのウニの握りは、何も漬けずに食べる。貝柱も北海道産。上に少しライムを振っており、酸味を足すのと香りづけに用いているようだ。中トロも贅沢品。今回のは生だが、焼いて牛肉のような感じで出すこともあるらしい。最後は鯖。こちらは自慢の大阪湾で獲れたもの。中谷さんによると、「脂が乗ってなかったら長崎や下関のものでも買わない」そう。大阪湾で獲れた鯖でも脂乗りがよかったら買うと言う。食べると、甘みが感じられる。これも脂乗りの良さが一因かもしれない。締め鯖でも東西で違いがあるようだ。関東は酢締めがきつい所もある。関西は酢締めを弱くして食べやすいようにする傾向がある。東の鯖はきめが粗く、西のは身の質がきめ細かい。だから西日本のものを好むそう。「鯖は塩をしてから酢締めします。締める酢だけでも3〜4種使っているんですよ」と説明してくれた。「最近は関西でも赤酢がブームで、シャリにそれを使う所が出て来ました。でも個人的には赤酢は赤身向きで、関西のように白身魚を多用する向きには白酢の方が合うと思うんですよ」。シャリは白く輝いてないとダメという考え方は、関西の寿司嗜好。「シャリの白酢が口に合う」とは、まさに関西らしい寿司店であろう。〝高級”を売りにしていてもコースの充実ぶりを聞くと、決して高いとは思えない。「これが和歌山の寿司である!」とばかりに出された一品一品が素晴らしく、ダイジェスト版としてこの日は味わったのだが、当然後ろ髪を引かれる思いで店をあとにした。

  • <取材協力>
    鮨 藤左ヱ門別館 輝

    住所/和歌山市雑賀屋町東ノ丁21

    TEL/073-488-9078

    HP/ 公式HPはこちら


    営業時間/17:00〜22:00

    休み/不定休

    メニューor料金/
    おまかせコース  10000円 15000円 20000円



筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい