109 2022年10月 名店は、繁華街にあるとは限らない。最近では、都心の家賃の高さを敬遠してシェフ達が郊外に出店するケースが目立って来ている。食事も買物ついでに行くのではなく、わざわざそれを目的に足を向ける時代になっている。なので、郊外や周辺都市にも名店と呼ばれる店が一杯できているのだ。今回は、大阪のベッドタウンの一つ、豊中を取り挙げる。阪急豊中駅からすぐの所に立地する「PERTICA(ペルティカ)」は、豊中を代表する一軒にまで成長した。この店の白竹俊貴さんは、「RED-U35」でブロンズエッグを受賞した人物。今や注目を集める若きフレンチの担い手なのだ。そんな白竹シェフに、湯浅醬油・丸新本家の商品を手渡し、仏料理を作ってもらった。新進気鋭のシェフは、いかに和素材を仏料理に落とし込んだのであろう。とくとご覧あれ。

PERTICA(ペルティカ) 白竹俊貴
(「PERTICA」シェフ)
「個人的には『具だくさん金山寺
味噌』をかなり気に入っています。
シンプルで旨く、既に完成されて
いる商品なのです。
奥行きが長くて広い印象。
具材があるのでうまく調理に
その特徴をいかしてみました。」

コロナ禍を経てグレードアップした店に

 

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豊中は、大阪のベッドタウンの一つ。大阪都市圏の中でも早くから郊外住宅地として発展して来た。北摂地域では中心的な街で、民度が高いことでも知られている。2012年4月には中核都市へと成長。ベッドタウンのみならず、蛍池駅からは伊丹空港へ行けるとあって関西の玄関口としても活用されている。そんな豊中市の中心部・阪急豊中駅から歩いてすぐの所にあるフレンチを訪ねた。この店を紹介してくれたのは、チョコレートソムリエの札谷加奈子さん(名料理、かく語りき第88回参照)。以前から札谷さんが「曽我さんに紹介したい豊中の店がある」と言っていたので、今回は新古敏朗さんが食事に行くのを機に、「名料理、かく語りき」の取材をお願いすることにした。
阪急豊中駅を出て2分程歩いた所にあるのが、白竹俊貴シェフの「PERTICA」である。駅近といえど、路地を入った所に位置し、おまけに入口が細い路地向こうにあるのでややわかりにくいかもしれない。そのわかりづらい入口を入ると、整然とした空間が広がっており、いかにも美味しそうな空気が静かに流れている。…こう書くと不思議な表現だと思われるだろう。ところが私は長年、食の取材をしているので、美味しそうな空気を何となく察知できるのだ。TV関係者からは、「それはどんな空気なの?」と尋ねられるが、はっきり言って表現しにくい。強いていえば「空気が張っている」という感じだろうか。食のジャーナリストの第六感のようなものである。
近年、飲食店は苦境の時代を迎えている。新型コロナウイルスが世の中を覆い、その影響をもろに飲食店が被った。人数制限や酒提供の禁止は、どこに根拠があったのだろうか。コロナ禍という苦難の時代に、デリバリーを強化したり、新事業態を模索したりと、あの手この手で数多くの店々が乗り切って来た。ところが足掛け三年続いたコロナ禍は、社会に変化をもたらし、それによってうまく順応できた店と、そうでない所が明確になろうとしているのだ。私が「PERTICA」の白竹シェフに話を聞いた中で感じたのは、「ここはうまく順応できた」という点だろう。コロナ禍の前後で変化を見せており、その変化が世間からうまく評価された例といえよう。

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「PERTICA」の白竹俊貴さんは、まだまだ30代初めと若きシェフである。白竹シェフは、子供の頃、父親の仕事柄、転勤族で、兵庫県から広島県へと移って幼少期から青春期を過ごした。高校は調理科のある学校で、そこでパンづくりに興味を持ったという。なので卒業後は、あべの辻調理専門学校へ進み、在学中から有名店でアルバイトをして仏料理の修業を始めたそう。そして卒業後は北新地の「弘屋」で勤めている。白竹シェフは、ワインと料理が学べる場所を探し、「弘屋」で修業をすることにしたようだ。「弘屋」は、JR東西線北新地駅近くに立地するカウンターだけの店。小ぶりな店だが、料理は質が高く、グルメから評判を呼んでいる。ワインと食事をマッチングした店である。白竹シェフは、「この店で、菅沼恒さんの下で修業をし、二人で切り盛りしていた」と話している。「弘屋」で4年働いて豊中へ移るのだが、「PERTICA」がある場所は、実は「弘屋」の車庫だったとか。「黒いのは、その名残です」と床を指すその先には、タイヤ痕があった。そう思えば、かなり手を入れて店をスタートさせたことがわかる。白竹シェフは、飲食店に向くようにこの場所を改装し、働きながら週末だけの居酒屋を始めたのがスタートだと語っていた。「6年前にスタートした時は、ランチが1000円で、ディナー2800円、アラカルト250円~の店だったんです。でも、はっきり言ってこの手の料理ができなかった。そんな理由から方向転換を図ったんですよ」と本音を漏らしてくれた。西洋料理や日本料理の職人は、手に技術があるが故に居酒屋を少し下に見る嫌いがある。でも、その手の料理をやってもなかなかできない_、そう白竹シェフは指摘したかったのだろう。

カ キ

白竹シェフは、26歳の時から「RED-U35」に応募している。「RED-U35」とは、35歳以下の料理人が挑戦する大会。新時代の若き才能を発掘するために行っている料理人のコンペティションだ。毎年応募は500近くあり、「未来のための一皿」や「あぶら」「糖」といった具合いにテーマが決められ、それに応じて若き料理人達が創意工夫を競うのだ。ちなみに昨年は「祇園さゝ木」の佐々木浩さんや食プロデューサーの孤野扶実子さん、辻調理師学校の校長・辻芳樹さんといった面々が審査員として名を連ねていた。2021年グランプリに輝いたのは堀内浩平さんだった。白竹シェフは、二回目の応募で「RED-U35ブロンズエッグ」を受賞。この銅賞を獲得したのを機に「ディナーを6000円にした」そうだ。「それでもランチは1600円しか取れなかった」と笑って振り返ってくれた。
「PERTICA」は、コロナ禍前後で大きな変革を行っている。それは、ディナーを一気に1万円までアップしたことだ。二回目の「RED-U35」を獲ってからは、白竹シェフの名が広く伝わり、伊丹空港から近いこともあって東京など遠方から客が来るようになった。今は、ディナーのみで18000円と10000円の2コースのみになっている。価格をアップするというのは、言葉で表現するのは簡単だが、実はかなりの労を要する。それなりの質と材料、内容で勝負しないと顧客は納得しないからだ。「価格に見合った仕事をしないといけません。そうすると、仕込みが大変で、手間もかかる。だからランチをやめたんですよ」。料理の質を向上させるためには、自身の勉強も欠かせない。食材探しと食事の旅へと出かけ、情報や知識を収集する。いずれ「グランプリRED EGG」を獲りたいと言い、その研鑽には日本国中の食の旅へと出かけるようだ。「なので時折り休んでいます。我がままに店をやらせてもらっていますよ」と笑っていた。

和素材をわからせぬよう仏料理を作る

 

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「PERTICA」で、白竹シェフに湯浅醬油・丸新本家の商品を使って料理を作ってもらった。白竹シェフは、例え取材といえど、それだけでその商品を用いて作るのは、本意ではないらしく、本取材で創作したものを6月のコース内に二つ組み込んでいた。だからこれから紹介する三つのうち、二つの料理は実際にコース料理として出ていたわけだ。「魯山人」「白搾り」「具だくさん金山寺味噌」「赤みそ」「勢粋梅」の各々の特徴を考えながら作ったのが、①「牛テールの赤ワイン煮込み」②「ガスパチョ」③「ブータンノワール」の三皿である。①には、「具だくさん金山寺味噌」「魯山人」「白搾り」が、②には「勢粋梅」、③には「赤みそ」が使われている。
まず「牛テールの赤ワイン煮込み」であるが、元来この手の料理にはミルポアが使われる。ミルポアとは香味野菜を指す意味と、香味野菜の切り方をいう場合がある。フランスの牛肉は匂いがするから何か技が入り、そこにミルポアが必要となって来る。ところが、和牛のテールは、もとから脂もあり、きれいな味なのでテール臭さはなく、ミルポアは必要ないようだ。一般的な作り方は、塩と赤ワインを肉につけ、一日寝かせるのだが、今回は、赤ワインと「魯山人」醬油を肉につけて寝かせてから翌日肉を焼いている。白竹シェフ曰く「魯山人醬油には甘みがあり、それがあることできれいに焼けるのだ」そう。これを3時間半かけて煮込む。ここで醤油代わりに『具だくさん金山寺味噌』を用いている。「赤ワインだけだと、すっぱくなるので『具だくさん金山寺味噌』の具材で味に奥行きを持たせるのだ」とか。煮込んだものをさらに一日寝かせ、肉を取り出す。この煮汁を漉して詰めてソースにするのだ。皿に載せた牛テールには、このソースが掛かっている。白竹シェフに聞くと、塩を使わずに作ったようだ。「まさに西京漬けを魚ではなく、肉で行ったようなもの」と表現していた。皿にある根セロリのピューレは、「白搾り」で作っている。白竹シェフの言葉を借りれば、「白搾り」は、細くなくて、甘くなくてパワーのある醤油。色がつきにくいので調理に向くようで「旨いものを考える時に重宝する」そう。本来なら醤油とにんにくで作る所を、「白搾り」とにんにくで調理した。食べると、セロリとにんにくの味が利いたピューレに。「白搾りは、一般的な醤油と違って色が出ないのがいい。一見、醤油が入っていないように見えるが、でもその味はきちんと利いている」と白竹シェフが説明していた。「牛テールの赤ワイン煮込み」を作る際に用いた「具だくさん金山寺味噌」についても「既に完成されている商品」と評しており、「奥行きが長くて広いのがいい」らしい。文字通り、具が沢山入っているので、それらの要素が絡まって上手く調味素材として使えたようだ。「汁がたまるのが、これまた旨く、ちょっと焼いて香ばしさを出すのに活用した」との感想であった。

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二つめの「ガスパチョ」は、「勢粋梅」の味をうまく活用したものに。上のガスパチョは澄んでおり、この下にライムとクリームが入っている。味が細くなりがちなのをクリームで補強。今回はアスパラを使ったそうだ。トマト、にんにく、茄子、キュウリ、セロリ、生姜、パプリカに、梅干(勢粋梅)をミキサーにかけてガスパチョにしている。白竹シェフによると、梅干が入る分、ワインビネガーの量を減らせる利点が生まれるらしい。「日本人は酸度に弱い。だから酢酸のツンとした味を好みません。梅干が入ることでそれが軽減されるんですよ」。どうやらこのガスパチョは、煎り酒のイメージで作っているよう。「全てをピューレにしてから発酵させる」のだという。そうすると、糖分が分解され、同じような酢酸効果が生まれる。これを寝かせることでいい感じに野菜が固まり、それを漉すと透明になるのだと説明してくれた。ピューレを仕込み、透明にした後、梅干とベルモットで煎り酒のようにする。ビネガーだと角が立つが、梅干が入る分、丸みのある味になり、親しみやすい味に変化する。「何で酸を足そうかという時に梅干を用います。『勢粋梅』は、丁度いい酸と塩気がある。シンプルにできているので調味には使いやすいんですよ」と話していた。このガスパチョを知らずに口に入れたなら、まずは梅干が入っていることに気づかないであろう。「近年、甘みある梅干が売れているようです。私はシンプルな、昔ながらの梅干が好きで、その手のものを探すのですが、あまり見つかりません。『勢粋梅』のパッケージを裏返すと、梅・紫蘇・食塩と書かれており、シンプルに造られているのがわかります。これで探す手間が省けましたよ」と白竹シェフは、「勢粋梅」に高い評価を与えていた。

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最後は、「ブータンノワール」である。ブータンは仏料理の腸詰めシャルキュトリの一種。黒と白があり、黒いブータンノワールは、豚の血と脂とスパイスで腸詰めにする。血を詰めて凝固させ、ソーセージにしたものをいう。今回、白竹シェフは、豚ではなく、鳩を用いて作った。エシャロットとリンゴをリエットの要領で調理し、鳩の血を入れて湯煎し、固める。この時点ではまだまだ血の風味が強いので、バターでソテーしたエシャロットを用意し、ここに「赤みそ」を挿入。軽く炒めて味噌の香りを出す。「しっかり火を入れ、クリームを加えてピューレにします。このピューレが味噌ラーメンのような味わいになるんですよ」と言う。そうすれば、血の臭さを感じないブータンノワールができるのだとか。白竹シェフが言うには「味噌の味の太さが血を抑え、血が完全に隠されてしまう」らしい。そういえば、日本料理でも血の強い素材には、味噌を沢山使うことがある。ボタン鍋のように猪肉を使う時もそう。獣臭さを味噌がうまくマスキングする。それと一緒なのだと思った。白竹シェフに、ここで使った丸新本家の「赤みそ」について聞いてみた。すると、「一般の味噌は味の太さや強さを感じるだけだが、コレはシャープな感じに。なので味が引き締まるんですよ」と言う。切れがいいからか、柑橘を振らなくてもいいそうだ。「クリームにしてもエシャロットにしても野暮ったくなりにくい」と説明していた。
「和フレンチは、あまり好きじゃない」と言う白竹シェフだが、その言葉通り今回和素材をうまく仏料理に落とし込んでいたように思う。出て来たものは、和フレンチではなく、しっかりとした仏料理に。何を食べたかわからない、しっかり落とし込めていないのはダメで、きちんとした仏料理にしたかったのだろう。例えば、セロリと塩だけでは出せない味の深さを醤油を用いることで可能にした。そんな表現方法を本取材で見出したかったのだろうと思った。

筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい