2023年11月
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夏から秋にかけて出回るのがいちじく。不老長寿の果物と呼ばれるくらい栄養価が高いフルーツとして知られている。殊に女性には、水溶性食物繊維のペクチンや、カリウム、カルシウム、マグネシウム、鉄分と、ミネラルが一杯含まれているとあって人気の的に。「いちじくを使って食事会をやります」と言うと、「ワッー!」と黄色い声が挙がるくらいだ。実は、夏から秋へかけて採れるいちじくが神戸の名産品だと知っている人はどれくらいいるだろう。私は、今年の初秋に神戸産いちじくを使って会席料理を味わう会を企画した。神戸観光局と「さかばやし」が共同で催した食事イベントである。今回は、その時の裏話と、生産者に取材した話を書く事にする。時期的には、もういちじくではないだろうが、記事を読んで来夏・来秋に思いを馳せて欲しい。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
いちじく栽培は大変。その苦労も含めながら味わう神戸産いちじくは、格別なのだ!

「神戸のとびら」にていちじく食事会を企画

スイーツ、西洋料理、ファッションなどオシャレなイメージを有す神戸だが、実は土の匂いがする農業が盛んな地でもある。神戸市の市街地は海沿いに多く、六甲山を挟んで北側(北区)や明石市の上にまでかかる西区では、都市近郊型に根ざした農業が行われている。有名な産物は、春菊・小松菜・ホウレン草などの軟弱野菜。これらは日持ちがしにくいため消費地が近い方が有利。その農業技術は秀でており、他地域から見学に来るほどだと聞く。野菜のみならず、果樹も盛んで、二郎苺で知られる苺の栽培や柿、ブドウなども沢山採れるようだ。果樹栽培の中でも有名なのはいちじくだろう。いちじくは、愛知県と和歌山県が1〜2位を争う生産量らしいが、その次に兵庫県が来る。その主要栽培地は、神戸市と川西市だ。いちじくも軟弱野菜同様、日持ちがしない。だから繁華地や消費地が近い神戸では盛んに栽培されるのだろう。これとて都市近郊型農業の好例である。
今年の9月下旬に私は、「さかばやし」で神戸のいちじくを楽しむ食事会を神戸酒心館と一緒に企画した。きっかけは、神戸観光局が掲出する「神戸のとびら」からの依頼である。かつて私は、神戸市の観光キャンペーン「おとな旅神戸」に観光アドバイザーとして参加していた。同キャンペーンは、何かの専門家が、その専門性をいかして神戸の旅を考え、それに合わせてツアーを募集するというもの。私は食の専門家として参画し、「さかばやし」にて淡路島の鱧や三年とらふぐを食す会などを企画した。そのキャンペーンを行なっていた神戸市の片山泰輔さんが久々に観光事業に戻って来て神戸観光局に籍を置いたので、かつてのようなツアーを立ち上げようと、神戸酒心館・広報の幸徳伸也さんと私を訪ねてくれたのだ。

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その初っぱなに神戸産いちじくの食事会を開催する事にした。実は、いちじくを主素材に据えた食事会は、前年にも開催した実績があったのですんなりと決まった。この時は、今年ほどいちじくを前面に押し出した内容ではなく、タイトルを〝神戸のいちじくと神戸旬菜を食べる会″とし、軟弱野菜や柿なども素材として加えた。「さかばやし」のこういった食事会企画は、〝旬を楽しむ会″として月一回の割りで催している。香住蟹、三年トラフグ、明石鯛、由良の鱧といった、いわゆる客を呼べる食材ならともかく、いちじくでは集客が弱いだろうと考えていた。ところが、女性にはいちじく好きが多く、「いちじくで食事会を企画します」と言うと、「ワーッ」と喜びの声が挙がるほど。この反応に接し、前出の食材同様に客が呼べる企画だとわかったのだ。ただ、調理をする側からしたら会席料理の中に全ていちじくを使った料理を入れるのは困難らしく、前年は献立の中のいくつかにそれを使用する程度に収まっていた。
今回は、神戸観光局も企画に参加しているので、全面的に神戸産いちじくを押し出したいとばかりに調理場と交渉してみた。幸い「さかばやし」では、今年初めから大谷直也さんが料理長に就任(名料理、かく語りき第118回を参照)し、フレッシュな発想があるからそれも可能だろうと思っていた。大谷料理長も今回の企画にやる気を見せており、「全献立に神戸産いちじくを使ってみましょう」となった。
企画のあらましが決まれば、産地との交渉である。神戸観光局から神戸市の農林水産課に頼んでもらい、JA兵庫六甲を通じていちじく農家を紹介してもらった。私は、かねてから生産者に取材をしたいと思っていた。その方が食事会の解説に信憑性が出てくるからだ。7月にJA兵庫六甲の石井宏典さんに、西区のいちじく畑に連れて行ってもらい、神戸西いちじく部会の部会長を務める西馬良一さんに取材した。西馬さんは、自身でもいちじくを栽培しており、県の果樹協会会長をも務める人物。この人に聞いておけば、まず間違いないと思われた。

いちじくは、完熟のものを皮ごと食べるのがいい

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西馬さんによると、西区でいちじくを栽培しているのは約60軒。神出・岩岡・平野・伊川の四地区で栽培しているそう。そもそも神戸でいちじく栽培が盛んになったのは、昭和36年頃からの事らしい。水田からの転作奨励がきっかけで西馬さんの所もいちじく栽培に踏み切ったそうである。
現在、日本では8割方が桝井ドーフィンなるいちじくが出回っている。その昔は、蓬莱柿(ほうらいし)が多かった。よく庭先で見かけるのはそれだ。蓬莱柿は、酸が強くアクがあったが、桝井ドーフィンはそうではなく、ほのかな酸味が特徴で、皮部分にはアントシアニンが多く含まれて甘い。生産もしやすいのか、いつしか桝井ドーフィンが主流となって行った。桝井ドーフィンについては、もう少し説明しておこう。日本でのこの品種の発祥は、川西と言われている。広島県佐伯郡宮内村出身の桝井光次郎さんが明治41年に米国よりドーフィン種を持ち帰り、育苗したのが始まり。当初は、夏果しか採れないビオレドーフィンだったが、その後、本来のドーフィンを取り寄せて栽培すると夏果と秋果ができるドーフィンが実った。そこで以前のドーフィンと区別するために後のものを桝井ドーフィンと呼んだのだ。神戸がいちじくの産地なのも川西の影響があったのだろうと思われる。ちなみに夏果は、前年伸びた枝に実がついたもので、秋果はその年の春から伸びた枝に実るものをいう。
「神戸も川西同様、初めは開芯型で栽培していました。でもそれでは作業効率が悪いので畝に添って栽培していく一文字整枝なるやり方を開発。やがて神戸のこのやり方が全国に広まり、栽培の主流になったんです」と西馬さんは語っていた。西馬さんによると、神戸のいちじくは8月中旬から10月半ばまでだとか。熟すのに90~100日ぐらいかかる。一本の木から22~23個採れ、2個ずつ熟して行き、次の実が熟すのに6日かかるらしい。その栽培たるや大変で、夏の天候がかなり影響する。雨が天敵で、一回降ると皮がズルズルになって商品価値を失う。春先が寒いと、これまた夏の栽培に影響する。栄養を十分吸わねばならない時期に温度が下がると、凍害にやられ細胞がボロボロになる。「雨が影響すると、水っぽくなったり、色が悪くなったりします。だから夏の天候がいちじくの出来、不出来を左右するんですよ」と教えてくれた。
収穫も大変で、熟したら一気に採らないと商品価値がなくなるそう。西馬さんらは、午前0時から収穫し出し、午前3時ぐらいには終える。それから箱に詰めて出荷作業をし、午前7時までには採れたいちじくを送り出さねばならない。そうでもしないと朝採りのいちじくが市場に並ばないのだ。つまり収穫期は、昼夜逆転の生活を強いられるわけである。

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いちじくの食事会当日は、JA兵庫六甲が西馬さん宅まで車を走らせ、朝採りのいちじくを「さかばやし」に届けてくれた。我々は、朝採れと評価基準を決めているが、そこには農家の人たちの苦労が隠されている。聞くと、頭が下がる思いで当日を迎えたのだ。ところで、西馬さんのいちじくを手にした大谷料理長は、当日の献立を下記のように組んだ。あれこれ工夫し、頭を悩ませながらオールいちじくの料理(吸物と食事を除く)にしたのである。
先付/神戸いちじくの白衣掛け
冬瓜、丸十、むかご、胡桃、枝豆、クコの実
吸物/清汁仕立て 海老真丈
揚げ長芋、椎茸、菊花、梅肉
造り/神戸いちじくと鯛昆布締め 煎り酒ジュレ掛け
マイクロリーフ、穂紫蘇
強肴/神戸ポーク塩麹焼き いちじくソース
南瓜、ズッキーニ、ペコロス
揚物/神戸いちじくの揚げ出し
紅葉おろし、刻み葱、天出汁
食事/但馬の棚田米コシヒカリ
秋茸の佃煮、赤だし、香の物
甘味/神戸いちじく 酒粕アイス

取材時に西馬さんに「いちじくが一番美味しく感じられる食べ方は?」と質問すると、「やっぱり丸かじりですよ」と答えていた。ならばとばかりに先付が出て来る前に参加者にいちじくを配り、丸かじりしてもらった。西馬さんは「熟したものを皮ごと丸かじりするのが旨い」と言っていたので、あえてみんなにそうしてもらったのだ。いちじくは、皮の所にアントシアニンが一杯あって甘みも高い。だから「皮ごと丸かじりすべきだ」と言っている。一般的には、皮を残すのだろうが、それは完熟のものが出回っていないからのようだ。仮に神戸で他地域産のものを売るとなると、熟す手前で収穫し、輸送の間に熟すのを待つ。だから皮が硬くて食せない。消費地が神戸で、神戸産ならばギリギリまで待って完熟のものを収穫する。つまり皮は気にならないくらい熟れているという事。流石に部会長のいちじくだけあって美味である。皮ごと食した参加者は、その味に納得するとともに、皮まで食べる完熟さに感動を覚えたようだ。「皮ごと実を食べた」_、そう言っていたが、明確にはその表現に誤りがある。割った中にある白いブツブツした箇所は、実ではなく花なのだ。いちじくは、変わり種で実と思われる中に花を咲かせる。漢字にすると“無花果”と書くのはその形容を表している。いちじくは、13世紀にペルシアから中国へ伝わり、17世紀に日本へ入って来た。江戸時代は食用ではなく、観賞用だったらしい。中国では“映日果”と書き、「インリークオ」と読む。ペルシア語の「アンジール」を音読して映日と記し、そこに果物をさす果の字を補足したと思われる。日本では映日果が転化して「いちじく」となったようだ。イラサク目クワ科イチジク属の果実。西アジア原産で、今では果樹として世界中で栽培されている。日本では果実としてそのまま食べるのが一般的だが、西洋料理ではソースにしたり、ジャムやコンポートにしたりと、その甘みを使って多用する。流石にオールいちじくの会席とは大谷料理長も考えるのに苦労したろうが、出て来た中でも揚げ物は秀逸だった。揚げ出し茄子はよく見かけるが、揚げ出しいちじくは面白かろう。天だしとよく合っていたように思う。それともう一つ、造りにいちじくを使ったのがユニーク。昆布締めした鯛の造りといちじくを一緒に味わう_、漬け醤油ならぬ煎り酒ジュレで塩味を加えるとは恐れ入る。いちじくを鯛で包み、煎り酒のジュレを載せて口へ運ぶ。淡泊な鯛の旨みといちじくの甘味が融合し、そこへ煎り酒の塩味が加わっていい。西馬さんが絶賛していた「神戸ポーク塩麹焼き」も良かった。こちらは仏料理よろしくいちじくの甘いソースが利いていた。
この日の食事会は、かなり好評だったよう。参加者からは「来年も企画して」との声が続出。帰りのバスに乗り込む時に西馬さんに「来年もいいものを持って来てください」と話す一幕も。参加者はもとより、生産者もご満悦で「神戸いちじくの旬菜会席を楽しむ会」を終えた。

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