2022年04月
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神戸酒心館蔵の料亭「さかばやし」で、毎冬、香住から送ってもらった紅ズワイ蟹を使って食事会を企画している。食材テーマの食事会では、集客しやすいネタがいくつかある。河豚がそうだし、鱧もそう。神戸だと蛸も集まりがいい。それにやっぱり鉄板は蟹に違いない。関西人の蟹好きは有名で、通販業者が冬は蟹をやると、よく数字を獲るという。蟹といえば、北海道の毛蟹もさることながら、やはり人気は北陸の越前蟹や山陰の松葉蟹だろう。2月下旬に「さかばやし」で催された蟹の食事会は大好評。コロナ禍で鬱積したこともあって感染対策がなされた会では、心おきなく楽しめたようだ。そんな催しに気をよくして今回は蟹について書く。特に当日の主役だった香住がにに関してはたっぷり蘊蓄を述べることにする。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
蟹は茹でるから赤くなる。いえいえ初めから赤い蟹もいるのだ。

色んな要因が重なり、蟹が不漁に

 

2月に「さかばやし」(神戸酒心館蔵内の日本料理店)で紅ズワイ蟹をテーマに食事会を開いた。コロナ禍で開催さえ危ぶまれたが、通知をするとすぐに一杯になり、こんな状況下でも旨いものを求める人が少なくないことがわかった。ただ、慢防期間に当たり、以前のような40名満席にはできず、一人一人の間隔をあけるとなると、実施できても半数の20人_、店舗としては辛かろうと思ってしまう。それにしても日本人は蟹が大好きである。冬の食材の王様的存在で、蟹を食べるとなると、すぐ人が集まる。殊に関西人は、松葉蟹・越前蟹の産地が近いからか、その好き度合いは他地域を凌ぐといっても過言ではないだろう。

ただ今年は、蟹の食事会ができるか危ぶまれた。一つはコロナ禍によるもので、1月からオミクロン株の感染拡大により、新型コロナウイルス感染者が巷に溢れた。まん延防止等重点措置が1月下旬に発せられ、こんな時期に人を集めていいものかと悩んだ。ところが顧客側からは「どこにも行かず、この食事会のみを楽しみにしているのだから開催して欲しい」との声が寄せられ、感染対策をきちんとしているのであれば、やるべしとの声が挙がったのだ。もう一つの危機的要因は、蟹の不漁によるもの。近年、天然魚が獲れなくなっている。秋刀魚の不漁と高騰はニュースで毎年のように報じられている。蛸や穴子もしかりで、烏賊とて獲れなくなっていると聞く。この波がついに蟹にまで来たのだろう。石川県の漁師町では、12月になったら1/4に水揚げが減ったという。やはり地球温暖化が影響しているか。水温が34℃高いと蟹はさらに深海へ逃げる。だから獲れないのだと話す人もいた。兵庫県でも漁船が1カ月で獲ったズワイ蟹は110tに。過去5年で比べると、半分近く減っている。この上、ロシアとの繋がりが断たれれば、来年はさらに高騰するだろう。ウクライナでの戦争は、こんな所にも影を落とす。

 ところで関西人が蟹好きなのは、北陸・山陰と産地に近いこともあると書いた。北陸は越前蟹と謳っているし、山陰は松葉蟹という。この両方は、共にズワイ蟹のことで、獲れた地域でその呼び名を変えているにすぎない。ズワイ蟹を漢字で記すと〝楚蟹″となる。十脚目ケセンガニ科に属している大型の蟹で深海で暮らしている。語源は、ズワイが細い木の枝を指す言葉で、楚(すわえ)なる古語がなまったものといわれている。

 色んなものが貝塚から発見されており、それによって古代生活との結びつきがわかるのだが、ズワイ蟹の痕跡はそこにはない。「古事記」にも蟹は登場し、貝塚からその跡が出ては来るが、これらは池や川に生息するモズク蟹や沢蟹、磯で見られる岩蟹などの類いだ。室町期の貴族の日記に〝越前蟹〞なる文字があるのだが、これとて越前の蟹という意で、ズワイ蟹ではないだろう。ズワイ蟹は、水深約200400mの深海に生息しているため、当時の漁法では獲ることができない。徐々に漁法が進化し、やがてズワイ蟹の文字が現れて来るのだ。江戸中期になるまでズワイ蟹は日本人の食生活に登場しておらず、1724年の「越前国福井領産物」や1738年の「郡方(こうりがた)産物帳」にやっとその名前が見られるくらいだ。1782年には鳥取藩主から津山藩主へ松葉蟹五枚が贈られたとあり、珍しいものだからと海のある藩が山中の藩に歳暮として届けたのだろう。

紅ズワイ蟹が登場するのは昭和の戦中

松葉蟹も越前蟹も全てズワイ蟹のことだと述べたが、一つ異なるものがある。それは紅ズワイ蟹だ。子供に蟹の絵を描かせると、赤く塗った蟹を表現する。蟹は赤ではなく、それは茹でたから赤くなったにすぎない。でも紅ズワイ蟹は最初から赤い_、そこがズワイ蟹との最大の違いなのだ。紅ズワイ蟹は、我々の食生活に登場してまだ日が浅い。194310月というからまだ戦時中であろう。隠岐堆(おきたい)の生物調査中に深海で赤い蟹を発見。オス10匹とメス1匹が山陰沖にて見つけられた。紅ズワイ蟹と命名したのは、元農林水産試験場香住分場の山本孝治さんである。茹でてないのに赤いため〝紅〞の文字を付けた。

紅ズワイ蟹が昭和まで発見されなかったのは、その生息域にある。ズワイ蟹が水深200400mなのに対して紅ズワイ蟹はもっと深く、5002700mの深海に暮らすからだ。変化の少ない深海にいるからだろう、成長するのには長い年月が必要である。なので1㎏を超えるものは早々獲ることができないといわれている。紅ズワイ蟹は、茹でたような甲羅の赤さが最大の特徴だが、ズワイ蟹と比べると殻が薄い。肉厚がなく、水分が多いとされる。蟹にとって水分は旨みになる。よく漁場で蟹をひっくり返して置いている光景を目にするが、それは水分を抜かないため。ひっくり返すことでそれをできるだけ防止し、旨みを保たせる。紅ズワイ蟹は、鮮度が落ちやすい故に遠方への輸送には向かなかった。だから生ではなく、缶詰などの加工品に使われたのだ。近年、技術が発展し、鮮度を保ったまま都会まで届けることができるので、紅ズワイ蟹を街中でもきちんとした状態で味わえるようになった。

兵庫県では、紅ズワイ蟹を〝香住がに〞なる名称で売り出している。同県内では香住しか水揚げしていないからそのような名をつけて訴求できるのだろう。漁船名が記された白いタグが目印のようだ。ちなみに蟹にタグを付け出したのは、越前が最初。1997年に越前漁港で水揚げされたオス蟹の脚に〝越前ガニのタグを装着した。それまでは産地がうやむやにされていたのだが、ブランド化を目指すにあたって産地を明確にする必要があってタグを付けるようになった。その産地証明が他の浜にも広まった。タグは、加能(石川)が水色、越前(福井)が黄色、間人・舞鶴(京都)が緑色、兵庫県の津居山が青色、柴山がピンク色、香住が緑色など(白色もある)、浜坂が白色など。鳥取も白色で、島根は青色となっている。漁港ごとに色の異なるタグを付けてズワイ蟹のブランド化に努めているのだ。

ズワイ蟹は、底曳き網で獲るのだが、紅ズワイ蟹は深すぎてそれが届かない。香住漁港で聞くと、カゴ漁を行うとの話であった。1.3mのカゴに、鯖などの餌を入れ、数百個連ねて海へ投下。海底へ沈めてそのカゴに蟹が入るのを待つ。香住は24時間で帰港する小型船が多く、セリに間に合うように選別し、タグを付けて出荷。早朝のセリにかけられて売られていくそうだ。

日本人の蟹好きは、蘊蓄にも表れているようで、蟹についてはいくらでも書くことがある。今回はこれくらいにして、次なる機会にその続きをしよう。「さかばやし」の〝香住の紅ズワイ蟹とにごり生酒を楽しむ会での料理写真を併載しているので、ついでにこの日の献立も記しておこう。

先付/紅ずわい蟹の茶椀蒸し

 吸物/紅ずわい蟹真丈

 造り/香住産紅ずわい蟹

 煮物/紅ずわい蟹の飛龍頭(ひろうす)

 鍋物/紅ずわい蟹のすき鍋

 酢物/紅ずわい蟹と蕪

 食事/蟹雑炊

 甘味/酒粕アイス、苺

以上の料理には、全て香住漁港より直送された新鮮な紅ズワイ蟹が使われていた。蟹テーマの会席は、そんな突拍子もないメニューは存在しないが、それでいいのである。何せ主役は蟹そのものなのだから

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい