2022年12月
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 街には、それぞれ色がある。そして飲食店も同じ。街と、そこに行き交う人によって育まれ、特徴づけられる。阪急高槻市駅近くにある「創作ダイニングTAKÉ」は、地域でも親しまれている創作ダイニングだ。一皿ごとにボリュームがあり、満足感の出る内容は、店主・竹田卓生さんの考えもあるだろうが、高槻という北摂随一のベッドタウンならではの嗜好もあるからそうなるのだろう。「創作ダイニングTAKÉ」は、基本はフレンチ。だが、竹田シェフの考えもあってか、メニューに「スンドゥブ」があったり、「エビとアサリの和風だし」があったりもしてとてもユニークなラインナップで、顧客を迎えてくれる。何を隠そう、オーナーシェフの竹田さんは、本場フランスのホテルで勤めたり、「東京ステーションホテル」「ホテルオークラ神戸」と名門ばかりを歩いて来た経歴を持つ。そんな職歴を持ちながらも気取らずに、自由な発想で料理づくりをしているのがいいのだ。今回は、高槻で評判を取る街場のビストロにて、湯浅醤油・丸新本家の和商材を使ってフレンチを作ってもらった。どのメニューも特別ではなく、調味料は異なれど普段からあるらしいのでもし気になったら食べに行くといい。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
鯨漁で名を馳す太地。
そこから新鮮な鯨肉がやって来たぞ!

歯クジラを狙って追い込み漁をする太地の漁師

 

あ い う

「鯨を仕入れるルートはないか?」、これが私に課せられた命題である。事の発端は、藤本喜寛先生(名料理、かく語りき第96回参照)が食材をテーマにして、自身のキッチン(Fujimotoキッチンスタジオ)で食事会を企画したことにある。鱧、蟹、牛肉と人を呼べそうな素材ネタは、漁協や卸しなどに声を掛ければ、いい食材が集まるのだが、藤本先生にとって鯨だけはルートがないらしく、その仕入先探しを私に委ねて来たのだ。私も幾つかの漁協には顔見知りがいるが、鯨を扱っている所となると皆無であった。
鯨漁といえば、まず思い浮かぶのが太地(和歌山県)。そこで和歌山繋がりで湯浅醤油の新古敏朗さんを介して紹介してもらうことにした。新古さんが知己があるのが、太地で「カネヨシ由谷水産」を営む由谷章さん。太地には鯨を扱う業者が五つあるそうで、そのうちの一つが由谷さんの会社である。電話で話した由谷さんは、気さくな人物で、知識の乏しい私に丁寧に鯨のことを教えてくれた。由谷さんによると五社のうち一つは生だけを扱い、残りの四つは、生の卸しに加え鯨肉の加工も扱っているとのこと。「カネヨシ由谷水産」は、そのうちの後者の方で生と加工を扱う会社だそうだ。ちなみに加工とは、オバケやコロ、大和煮、そして鯨のハム・ジャーキーなどを指す。
そもそも太地は、古式捕鯨の発祥として知られている。地の豪族・和田一族が漁師らと共に捕鯨技術を研究し、慶長11年(1606年)に太地浦を基地として捕鯨を始めた。その後、延宝3年(1675年)に和田頼治(後の太地角右エ門)が網取り法を考案したことで同地の捕鯨は飛躍的な進化を遂げる。紀州藩の保護もあって太地の鯨漁は、江戸時代に隆盛を極めるのだが、明治になってからは徐々に衰退している。昭和、特に戦後になってからは南氷洋漁業が盛んになり、太地の人達も南氷洋捕鯨の乗組員として参加する向きも多く、優秀な砲手を輩出していたようだ。ただ1988年に日本国内でIWCの商業捕鯨モラトリアムが実施されて以来、鯨の捕獲はグンと減少する。ちなみにIWCが管理対象とするのは、シロナガスクジラ、ミンククジラなどの大型鯨類13種で、それ以外は対象になっていない。ツチクジラとゴンドウクジラを捕る小型捕鯨と、イシイルカなどを対象とするイルカ漁は、国や自治体の管理で行われているようだ。
由谷さんの話では、太地の鯨漁はゴンドウクジラやハナゴンクジラなど、いわゆる歯クジラを捕っているそう。鯨はヒゲがあるのか、歯があるのかで分かれるらしく、大型のミンククジラはヒゲクジラに部類する。一方、歯のある鯨は小型で、大きさは3mぐらい。大きくても5mだという。太地では南氷洋のように鉄砲を用いるのではなく、昔ながらの追い込み漁で鯨を捕っている。鯨漁を行うのは二人乗りの小型船。それ16Km沖まで行く。太地には12隻の船があり、一団で10マイル沖へ行き、鉄管を海に浸け、金槌で叩いて鯨をおびき寄せる。現れた鯨を船で囲んで入江まで追い込んで捕る昔ながらの漁法を用いている。由谷さんは「鯨を囲んだら、そのうちの2隻は入江に戻り、網を張って鯨が来るのを待ち受ける役目を果たすんですよ」と教えてくれた。太地では10マイル以上沖へは行けないために漁は日帰りで行うそうだ。一方、7〜10mにも及ぶヒゲクジラを捕る大型船は、三陸に基地がある。そこで捕られた鯨は、太地町開発公社が買い受け、それを由谷さんらが仕入れるシステムになっている。基本的に太地ではゴンドウクジラ、ハナゴンドウクジラといった歯クジラを捕るのが決まりだそうだが、時折り迷い込んで、定置網に引っかかる大きな鯨(ヒゲクジラ)もおり、それは仕方がないので捕ってしまうこともあるらしい。こういった例外を除いては、小さな鯨の漁に限っているということであった。

 

神戸で育った人には懐しい給食の鯨料理

 

え お か き

鯨によっては、好まれる地域性があるらしく、ハナゴンドウクジラは関西や中部に出荷するのが多く、ゴンドウクジラは九州へ流通される。特に博多の人は、ヒゲクジラより歯クジラを好む傾向にあるようだ。鯨肉の中に鹿の子(かのこ)なるものがある。これはミンククジラのあごの付け根部分で、筋肉に脂肪が粒状にあってその模様が子鹿に似ていることから、そう呼ばれている。この部位は、脂乗りがよく、旨みも強い。値段も高いので多くが東京へと流れて行くそう。鯨肉としては、鹿の子の他に尾肉(刺身で食すのが旨く、鯨肉の中では最も旨いといわれている)、赤肉(鯨の背側の部分で鯨肉といえば大抵はここを指す)、本皮(表皮の下にある脂肪層)、畝須(うねす)(ミンク鯨の胸部を使う。加工するとベーコンに。畝須をベーコンにしたものを畝須ベーコンと呼ぶ)、さえずり(舌をいう。ボイルして加工品として流通するのが一般的)などがある。関西では、ハリハリ鍋にして食すケースがよく見られるが、由谷さん曰く「ハリハリ用には背の身(赤身)がよく使われる」そう。腹身は筋が多いのでそれには向かないらしい。ちなみにハリハリ鍋とは、鯨肉と水菜を用いた鍋料理をいう。水菜がシャキシャキした食感があることからそんな名がついた。戦後日本では、牛肉などはまだまだ高嶺の花だった時代があって、その頃は肉代わりとして鯨を食べた。かつて大衆魚(肉)だった時代にそんな鍋料理が流行したと思われる。由谷さんの話では、太地ではハリハリ鍋はあまり食べず、身近に新鮮なものが入るからだろう、ほとんどが刺身として食していると話していた。ただ皮をすき焼き風にして味わう文化はあるらしく、ネギと白菜で甘辛くして味わうようだ。
前述したが、太地では12隻の小型鯨漁船があって計24名がその仕事に従事している。その他に大型船(6〜7人乗り)でヒゲクジラを狙う漁師もいて、彼らを合わせると、30人ぐらいが鯨漁をしていることになる。鯨漁は9月1日から、だいたい4月ぐらいまで行うが、それまでに捕獲数に達してしまうと、春を待たずしてやめてしまわねばならない。組合は一旦解散し、夏は個々でケンケン鰹漁をしたり、素潜りでアワビなどを獲って生計を立てているとの話であった。
ところで10月に大阪の某百貨店にて数十年ぶりかに生の鯨肉が売られたとのニュースが報じられた。冷凍ではなく、生が入荷したのが珍しかったようで、ニュースネタになったのだと思われる。私達も由谷さんと知己を得たおかげでFujimotoキッチンスタジオにて10月初旬に鯨会を行うことができた。ニュースに先んじて太地から生の鯨肉がやって来たのだ。集ったメンバーは、子供の頃に鯨を食べて以来、久々という人が多く、「鯨ってこんなに旨かったの?」と口々に話していた。「カネヨシ由谷水産」のルートをいかして「さかばやし」でも鯨の会席料理を一日だけやってもらった。これまた太地の新鮮な鯨肉という触れ込みがよかったのか、定員20名はすぐに集った。メインは、背の身(赤身)と皮を用いたハリハリ鍋だが、「さかばやし」は神戸にあるのでコース内に「鯨肉のノルウェー風」を頼んで入れてもらったのだ。この料理は、神戸市の学校給食の定番。鯨肉を竜田揚げにし、ケチャップとウスターソースで味付けしたもの。昔は当たり前のように小学校の給食に出ていた。真偽は定かではないが、神戸発祥という人もいる。参加した面々は、「小学校以来!」と懐かしがって「鯨肉のノルウェー風」を味わっていた。以前、私が「神戸の給食レシピ」なるMOOK本(京阪神エルマガジン社刊)を編集したことがあり(神戸市教育委員会からもらったレシピをそこには載せていた)、「さかばやし」の加賀爪料理長にそれを参考にして作ってもらったのだが、流石に和の職人が手がけるだけあって当日は給食より上品な「鯨肉のノルウェー風」になっていたように思う。これまた「昔、給食で食べたものは、こんなに美味しかったの?」との声が挙がっていたが、こちらは加賀爪料理長の腕があるので、「給食のは、こんな上品な味ではないよ」と言ってあげたかったが、黙っていた。ともあれ、二つの鯨会は、参加者に昔を思い出す、いいきっかけになったようだ。

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