2022年07月
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タコは、夏に旬を迎える。一年中、スーパーに並んでおり、常時獲っているように思えるが、明石浦漁協のHPを見ると、旬は5~8月と1~2月になっている。そういえば、夏のタコは、漁師が麦ワラ帽子をかぶって漁に出ることから“麦ワラダコ”と呼ばれ、人気がある。以前、東京の人から「関西では、半夏生(はんげしょう)にタコを食べる習慣があるんでしょ」と言われ、ピンと来なかった。調べてみると、関西の農家では、半夏生の日にタコを食べるとされ、古くからの風習として残っていたようだ。ところが、それが目立たなくなったのは、雑節が忘れ去られているのと同時に、関西人は常にタコを食べることが多いからだ。今回は半夏生直前に原稿を認(したた)めているので、有名な明石ダコと半夏生について書くことにした。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
半夏生の日にタコを食べるのは理に敵っている。初夏に明石ダコにスポットを当てる理由とは・・・

明石海峡は、地形的なこともあってタコの名産地に

 

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毎年、7月頃になると、明石ダコを食べる食事会を催している。7月2日頃の半夏生にちなんだもので、関西では半夏生にタコを食べるという風習を復活させたものだ。流石にこの二年間はコロナ禍で中止せざるをえなかったが、久々に今年開いてみると、やはり盛況で、主催者側の「さかばやし」では一回では収まり切らず、二回も催した有様だった。半夏生自体は、忘れ去られている雑節かもしれないが、やはり関西人はタコ好きなのだろう。「明石ダコの食事会をやりますよ」と告知すれば、すぐに集まるのだ。元来、食材テーマの食事会では、集客できるものと、しにくいものにはっきりとわかれている。フグ、カニ、クエ、鱧は集客しやすいテーマで、それに比べてジビエは万人向けとは言い難い。「フグやカニのような高級食材ならいざ知らず、明石ダコといえど、タコにお金を出す人はそんなにいないのではないでしょうか?」_、これは明石ダコの食事会を始める前の食関係者の意見であった。ところが、企画してみると、参加費12,000円にも関わらず、すぐに満杯になったのである。一応、その時もテーマを「半夏生復活を掲げて」としたものの、参加者はテーマは何でもよく、新鮮で質のいい明石ダコで会席料理が食べられればよかったと思われる。

前の件(くだり)で半夏生なる言葉が度々出ているので、少しそれについて触れておく。半夏生は、24節気に含まれない暦日で、72候の一つである。夏至から数えて11日目を指し、2022年は7月2日がそれに当たる。字から想像すると、一年の半分にあたる夏まで生きた証しとの意味かと思いきや、そうではないようだ。諸説あるものの、一般的にはカラスビシャクが生える頃を半夏生と呼ぶようだ。この薬草のコルク層を除いた塊茎が半夏という生薬になる。かつて農村では「チュウ(夏至)ははずせ、半夏を待つな」との言い伝えもあり、半夏生までに田植えを終えるべしとされていた。昔は、天候不順で遅れたとしても半夏生以降は田植えをしないものと決めていたのだ。半夏生は物忌みの日とされ、天から毒気が降るとし、前夜から井戸に蓋をしたものである。では、なぜそんな日に関西ではタコを食べるようになったのかというと、タコ足のように稲が根づくことを願ってのことであった。この習慣がなくなってしまったのは、迷信を信じなくなったせいもあるが、農業従事者が昔ほどいなくなったことによる。数年前から明石ダコ漁で有名な明石浦漁協では、半夏生復活を謳って7月2日にタコを食べようとキャンペーンをはっている。「さかばやし」や私もその動きに同調して7月の時季に明石ダコの食事会を催すようになった。

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全国的に見て、関西人はタコ好きのように思う。それは、明石ダコに北淡ダコ、泉ダコと、タコの名産地が近くにあるからだろう。全国を旅していると、港町で新鮮なタコに出合うことがしばしばある。だが、明石ダコや北淡ダコほどの名品は、なかなか味わえまい。
明石海峡は、潮流が速いことでも有名で、海底は岩場や砂場など起伏が激しく、多様な変化がある海峡部を通過する速い潮流が複雑に入り組んでいる。その潮流に流されぬよう、足を踏ん張るので、明石ダコは、太短い足になっているそう。明石ダコは立って歩くといわれる所以は、そんな形に因してのものだ。その上、明石海峡には、餌となるエビ、カニ、プランクトンが豊富。特に鹿之瀬と呼ばれる海底丘陵はいい餌場になっている。
明石や淡路島でのタコ漁の歴史は古く、約2000年前にイイダコを獲るためのタコ壺が発見されているくらいだ。現在、明石はマダコ漁が日本一で、約1000tの水揚げがあるという。流石に今では、大半の漁師が底曳き網漁を行い、タコを獲っているが、まだタコ壺漁で獲る人もいる。彼らに言わせると、「タコ壺漁は、タコの体を傷つけず、タコにストレスを与えることなく、行える恰好の漁法だ」そうである。中には擬似餌を使って一本釣りをする漁師もいる。季節が進むにつれ、タコの棲み家が砂場から岩陰へと移る。一本釣り漁は、そんなタコを狙って獲るのだそう。技術を要する漁には違いないが、「この方が育ち盛りに餌を取ろうとする活きのいいタコが獲れる」と話していた。

 

すわっ、夏に食べたいのに、タコが不漁になっている!

 

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夏にタコを食べるのは理に敵っている。まず、タコの旬がこの時季に当たる。特に初夏のタコは旨いらしく、「麦ワラダコ」と呼ばれ絶賛されている。ちなみに夏になると、漁師が麦ワラ帽をかぶって漁に行くので、この時季のタコを「麦ワラダコ」と呼んでいるのだ。半夏生にタコを食べるのは、田んぼに稲がしっかり根づくようにという理由だが、実はそれだけではない。タコには、タウリンが豊富で、これを食すことによって疲労回復や肝機能強化、悪玉コレステロールの除去などの効果が得られるといわれている。昔の人は、そんな健康効果まで知らなかったであろうが、夏の暑さや田植えで疲れた体にはタコがいいと思っていたのかもしれない。だから7月2日頃には、身体を休める意味で家でゆっくり過ごし、タコを食したのではなかろうか。そう考えると、半夏生にタコを食べる習慣は理に適ったものなのだ。
昔から関西人はタコ好きにも関わらず、それを世界に視野を広げると、いささか状況は異なるようで、タコを好む人はごくごく限られている。西洋では、タコをデビルス・フィッシュ(悪魔の魚)と呼び、毛嫌いする。ほとんどが食用にせず、食べるのはわずかイタリア・スペイン・ギリシャくらいだ。’70年代に「テンタクルズ」という伊映画があったがこれは「ジョーズ」(鮫)などのヒットに追随して作ったもので、巨大ダコが人間を襲う内容だった。外国では当たったかもしれないが、日本でもう一つヒットしなかった理由は、タコ好きの日本人には恐怖感が持てなかったのではなかろうか。現在、タコの収穫量は、約26万tとされている。その約半分がアフリカ北西部産で、モロッコやモーリタニアはその代表格。中でもモーリタニアは、砂漠の国で、国土の9割がサハラ砂漠に属している。ただ、大西洋に面する北部は、大陸棚が広がり、浅瀬となっているためにタコ漁にはいいようだ。モーリタニアの人達は宗教上の理由からウロコやヒレのない魚介類をほぼ食べない。そんな地にJICAや海外漁業協力財団が’70年代に漁業指導員を派遣してタコ漁を教えたのだとか。モーリタニアの大陸棚はマダコにとっては餌が豊富で、食材として捕獲されないとあって天国のような地だったろう。そんな環境下に漁業指導員の中村正明さんが目をつけて技術指導をした。この地で行われるのは、タコ壺漁で、これなら設備も少なくて済むし、難しい技術も不要とあってタコ漁を広めた。今ではモーリタニアにとっては重要な収入源で、ここで獲れたタコが日本に入って来てスーパーなどに並んでいるようだ。但し、それでもモーリタニアの人達はタコを食べないのだが…。

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一方、明石や淡路島にみられる瀬戸内ではタコが不漁となっており、特に昨年は6~8月の漁獲量が2017年の約15%まで落ち込んだ。危機感を感じた地元では、これまでに抱卵したタコを放流したり、窒素やリンが残った処理水を放流するよう法改正を求めたりして何とか打つ手を考えているようだ。そういえば、今年の食事会を催すにあたって明石浦漁協からも「不漁でその日に入らないかも」と言われていた。その不安は打ち消されたものの、まだまだタコ不足には違いない。グルメからすると、美味な明石ダコが不漁にならないでと願うばかりである。

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