2014年09月
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神戸の中華料理店「紅宝石」を「名料理、かく語りき」で紹介したので、このコーナーでも神戸の中華の話をすることにしたい。神戸は、古くから中華の優れた店が多く、中国人と日本人がいっしょになって街を盛り上げて来た歴史がある。ただ単に港町だからではなく、そこに住む人同士が交流するからこそ、中華料理のメッカと称されるまでになっているわけだ。日本の東西を食文化で見ていくと、神戸は広東料理店が多く、首都圏は四川料理店が目立つ。これは前者が広東省出身の人が活躍しているからで、後者は陳建民の弟子達による活動地域となっているからであろう。こうして見ていくと、単に中華とひとくくりにできないものがある。今回はそんな話に、「紅宝石」ネタをプラスしてお贈りしよう。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
私論だが、神戸っ子は、南京町より
トアウエストを好む傾向にある(?!)

家族経営的店に、神戸中華の特徴がある

神戸産の野菜

大阪は和食が優れ、大都市だからだろう、西洋もレベルが高い。それに比べて中華となると、先の二つよりレベルがダウンし、名店と呼ばれる所も数カ所しか存在しないように思う。大阪人は、中華の味を地元ではなく、むしろ神戸に求めたようだ。梅田から三宮までは、電車で30分もかからぬ距離にある。なので中華を食べたければ、神戸まで足を伸ばしても苦にならないと考える。
神戸は古くからの港町で、東洋や西洋の文化をいち早く取り入れてきた歴史がある。幕末の開港以来、多くの外国人が住みつき、日本人と触れ合いながら独特の文化を育てて来た。神戸に中華料理が根づいたのは、開港してからのこと。10人余りの清国人(中国人)が長崎から祝いとしてランタンを持って来たのがきっかけで、いつしか清国人がこの地に根づくようになる。華僑と呼ばれる人々は、全世界にいるが、神戸のそれは開港時にランタンを持って来た人達がルーツとなっているらしい。

神戸産の野菜

開港からすぐに三宮から元町あたりに外国人が住む居留区ができている。現在の旧居留地がその場所で、当初は日本人がこの場所へ立ち入ることさえできなかった。但し、この地域に住むことができたのは、通商条約を結んでいた西洋人のみ。清は日本とそれを締結していなかったために、中国人は居留地に入ることができず、仕方なしにその西側に居を構えた。その場所が日本の三大チャイナタウンと称される南京町なのだ。

神戸産の野菜

開港からしばらくすると、華僑が神戸に住むようになっている。彼らが日本で暮らしていくには得意な分野に進出するしかなく、大抵は三つの仕事を選んだといわれている。その三つとは、菜刀(料理)、剪刀(仕立て)、剃刀(理髪)であり、これらを称して三刀業と呼んでいた。この中の菜刀を選択した人が、神戸の中華の基礎を作ったのは、疑うべきもない事実だ。横浜にも菜刀の人が多く根づき、彼らは中華街を形成し、有名な中華料理店を作っている。ただ、神戸と横浜が違うのは、そのスケール感ではないだろうか。横浜の中華街に比べると、神戸は大きな店舗が少ない。その大半は家族経営的な店なのである。東京という日本の首都をそばに持つ横浜とは、人口も違うためにそうなったのかもしれないが、関西人的気質は昔から反体制主義なのか、大きな店を嫌い、アットホームな小店舗を支持するところ少なからずあるようだ。なので神戸は、大店舗より家庭的な小店舗に名店が多いのだ。

宝が隠されている神戸の名店

神戸産の野菜

今回、「名料理、かく語りき」で紹介した「紅宝石」もそんな店のひとつ。「新愛園」や「愛園」「中国酒家」「順徳」「青葉」などが建ち並ぶトアウエストにこの店も位置している。この辺りは、かつては中華同文があったそうで、中華倶楽部もあったと聞いている。つまり古くから中国人が居を構える一劃でもあるのだ。俗に神戸っ子はトアウエストによく通って中華を食べるといわれている。南京町が観光地的要素を有すため、それを嫌ってトアウエストに行きつけの店を持っているのだろう。
「紅宝石」を営む李松林さんは、もともと神戸の出身ではない。お父さんが中国から横浜へやって来て大きな店を経営していたそうで、そこで育っている。李さんはお父さんの店を継がず、44年前に神戸へ仕事を求めて来たらしい。神戸に来た当初は、元町にある有名店に勤め、そこで厨房を仕切っていたと聞いている。ただ、李さんは中華のコックには似合わず、昔から化学調味料が大嫌いで、それを用いて調理したくないというポリシーを持っていた。勤めた店で、ボウルに溜めた化学調味料をお玉で掬い、中華鍋に入れる様が堪えきれず、その店を辞して独立した。初めは「青葉」の隣りあたりで店を出していたが、スペースも小さかったので、数年で今の場所に移っている。

神戸産の野菜 「紅宝石」は、ジャンルを広東家庭料理としているが、八宝菜や酢豚のようなスタンダードメニューを頼む人は少ない。常連といわれる人達は、李さんの顔を見てから「今日は何がオススメなの?」とか、「この素材をこんな風にしてくれないか」などとリクエストしてメニューにも載っていない料理を注文する。李松林さんにせよ、二代目の李順華さんにせよ、それに即対応するのだから、かなりの料理レシピが頭に入っているのだろう。李さんによると、「紅宝石」は広東省の家庭料理を再現しているとのことだ。田舎の家庭料理というが、それが二人の手にかかると、高級料理を凌ぐものになってしまうから料理と言うのは奥が深いと思ってしまう。

神戸産の野菜

ある時、私に「家族の昼食用にローメンを作りすぎたので食べないか」と薦めて来た。かなりの料理を食べた後なので、「もうお腹がいっぱいだ」と断ると、李さんは「曽我さんが食べないと、僕たちは昼も夜も同じメニューを食べないといけないことになるので、どうしても食べろ」と言ってくる。仕方なしに注文すると、そのローメンが旨いこと、旨いこと。満腹だったはずなのにペロリと平らげてしまった。このように「紅宝石」は、どこに宝物が隠れているかわからない。満腹を理由に断ってしまえば、私は未だにこのローメンの旨さに出合わなかった。店名を紅の宝石と書くが、本当にここには中華の宝石が隠されている。
本来ならこういった話は、「名料理、かく語りき」で書くべきだが、あまりに長くなりそうなので今回は「食の現場から…」に情報として入れてみた。書いても書いても書ききれないぐらい、この店には美味しい料理と面白いエピソードがあるということだ。 (文/曽我和弘)

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