2022年08月
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 2022年4月に網島の地(大阪市都島区)に「藤田美術館」がリニューアルオープンした。同館は、藤田男爵の邸宅跡に建つもので、以前は藤田家の邸宅の蔵を改装し、美術館として活用して来たものだ。それが老朽化したために、2017年6月から閉館して大規模改修工事を行っていた。リニューアルして4月にグランドオープンした「藤田美術館」は、ガラス張りで今までとは一新した建物に生まれ変わっている。とは言え、美術品を展示するスペースは、かつての〝蔵の美術館〞の趣を残しており、日本の良さも随所に表れているのだ。さらにこの美術館の特徴は、美術館スペースの入口部分に〝土間〞と呼ばれる空間を造ってアートファンのみならず多くの人達を招き入れていること。そして「あみじま茶屋」では、「樽仕込み」で調味した団子も提供されている。有名な「曜変天目茶碗」(国宝)を始め、色んな美術品を観賞し、「あみじま茶屋」で一服。そして庭園散歩と、色んな楽しみ方ができる「藤田美術館」について取材して来た。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
藤田傳三郎やその家族が残した美術コレクションを観賞しよう。これまでになかった美術館として活用できるように「藤田美術館」がリボーンした

若者にもアート文化を」と休まない美術館がお目見得

 

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「藤田美術館」が、2022年4月1日にリニューアルオープンした。同館は、明治期に活躍した藤田傳三郎と、彼の長男・平太郎、次男・徳次郎が蒐集したコレクションを保存展示しているもので、国宝9件、重要文化財53件を含む約2000件のコレクションを所蔵している。中でも瑠璃色に輝く「曜変天目茶碗」は有名で、コレを見るために遠方より訪れる人さえいるほどだ。「藤田美術館」が建つ一帯は、かつては藤田傳三郎の屋敷跡だった。ちなみに美術館の向かいにあった「太閤園」(現在は閉館)も彼の次男・徳次郎邸があった所である。藤田傳三郎は、幕末から明治にかけて活躍した人物。長州出身で、明治期には実業家として名を成した。軍靴製造業から兵部省用達業を営み、土木建設業等にも進出した。現在のJR山陽本線の神戸~明石間の路線を開いたり、南海電鉄の前身である阪堺鉄道の開設や、宇治川電気(関西電力の前身)の設立、児島湾干拓事業など、色んな事業に携わっている。まさに関西経済界の大立物で、立志伝中の偉人なのだ。そんな藤田傳三郎が明治維新後に起こった文化財の海外流出をくい止めるべく、私財を投じて蒐集したのが藤田コレクションである。「藤田美術館」の収蔵品は、絵画、陶磁器、漆工、彫刻、書蹟など多岐に亘っている。特に仏教美術や茶入、茶碗など茶の湯にまつわるものは、多く所蔵しているようだ。中でも仏教美術の流出を防いだのは意義あること。「国の宝として蒐集すべき」との考えもあって彼の息子達もその意志を引き継いでおり、後世に研究材料として役立てたいとの思いも強かった。

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新しい「藤田美術館」は、旧来のものと違ってガラス張りの建築に。かつては藤田家の邸宅の蔵を改装したものだったが、そのイメージは残してはいる。太平洋戦争時の大空襲で邸宅自体は焼失してしまったが、蔵とその中にあった美術品は戦災をまぬがれており、そんなエピソードとともに蔵の雰囲気を今も残すべくリニューアルに至ったのだろう。昭和29年に開館した「藤田美術館」は、リニューアル以前は春と秋の6カ月しか開館していないミュージアムだった。建物が老朽化し、リニューアルの話が持ち上がった際には「茶道やアート、一部のファンのために建て替えても何になるのか」との議論もあったのは事実だが、「色んな人にコレクションを見てもらうことで、美術や文化の広がりに寄与できるのではないか」との意見があり、これまでのようなオールドファンばかりではなく、若い人達もこの文化に触れる機会を作ろうとリニューアルに踏み切った。なので、年間を通して見学できるようにし、展示物もテーマに則したものを自由に変更できる形にしている。私が訪れた折りには「阿」「傳」「曜」の三つのテーマに応じて、「交趾大亀香合」(重要文化財)や「斗々屋破茶碗」(阿テーマの部屋)、「茶杓銘藤の裏葉」「唐物肩衝茶入銘蘆庵」(傳テーマの部屋)、「曜変天目茶碗」(曜テーマの部屋)などが展示されていた。中でも有名な「曜変天目茶碗」は、12世紀の南宋時代・禅宗寺院で使われていたもの。碗の内外に青や緑に光る曜変と呼ばれる班紋が見られる。曜変天目の典型例は世界に四つしか存在しないそう。この茶碗は徳川家康が持っていたもので、その後、水戸徳川家に伝わっていたのを大正7年に藤田平太郎が落札し、コレクションとしていた。

三つのテーマを展示と書いたが、実は館内は四つの部屋に分かれている。四つめの部屋で次回展示の準備をし、1か月に一つのテーマが入れ替わり、3カ月毎には全てが替わるスタイルを採っているのだ。藤田傳三郎の子孫で、美術館の情報発信をする「あみ壱」で社長を務める藤田義人さんは「このシステムは、日本の美術館ではおそらく初の試み。約2000件のコレクションがあるので、テーマに沿った展示をしていこうと考えられました。これによって、より多くの人に観覧機会を提供し、休まない美術館を実現できます」と語っていた。19歳以下を無料としているのも若い人達に来てもらいたいが故。入館料を一律1000円とし、わかりやすくしたのも一つの特徴だ。「藤田美術館」は、さらに新たな試みを行っている。それは館内の展示品をスマホで撮れるようにしたことだ。但し、これは撮影可という意味ではないので、デジカメや一眼レフカメラでの撮影は不可となっている。スマホのみ可なのは、それを駆使することで展示品の解説をWEBアプリで読めるような仕組みを導入しているからだ。展示品ごとにキャプションを付けていると、誰もがそれを読むのに集中してしまい、作品をじっくり見ないまま次へ進んでしまったり、読み疲れてしまう光景も見受けられる。先ずは美術品をじっくり観て、そのついでにスマホでの撮影はOKということになっている。これは、美術館にとっては画期的な運営スタイルだといえよう。

 

 

 

昔懐かしい醤油団子が「あみじま茶屋」で蘇える

 

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美術品をオールドファンから、若い人まで幅広く見学してもらえるように、リニューアルでは新たなスペースが設けられている。それがエントランス部分にある土間と茶屋だ。単なるエントランスではなく、旧来の日本家屋にあるような土間を造ろうと考えられたそう。例えば、広場に空き缶があれば、そこで子供達が缶蹴りに興じるように〝アートが転がる〞ような感覚で、何かが始まるスペースが必要だと考えられた。そこでエントランスをオープン化(無料で入ることができる)して色んな人と交流が持てる場を設けた。それが土間の活用なのだ。畳を体感できる場所を作ろうと出来たのが、土間に併設する広間である。多目的要素を持たせ、そこを含む空間(土間)では色んなイベントが行えるようになっている。「これまでの美術館では、一過性のファンしか増えないのではないでしょうか。だから私達は〝あみじまArt Links〞を設けて、集った人が色んな知恵を出し合いながらイベントやワークショップを行い、あらゆる文化やアートについて表現する。そんな場がこの土間から生まれればいいと思っているんですよ」と藤田義人さんは言っている。
この〝あみじまArt Links″と、もう一つの特徴がここのスペースにはある。それは、「あみじま茶屋」の存在だ。「藤田美術館」自体は、今春のオープンだが、それに先駆けて土間スペースは昨年春から公開されている。一般的に美術館や博物館では、キッチンを併設するのは御法度で、それは火を使ったり、食べ物で虫が寄って来るからだそう。だからカフェがあってもどこでも別館扱いになっている。しかし、「藤田美術館」では、食も文化の一つと考え、それがあることによって美術のハードルを下げて色んな人に気軽に触れてもらえるようにと考えた。そしてそこが楽しい場になれば、別の発見が生まれると、あえて茶屋を設けたようだ。旧来のカフェ併設とは、スタートの概念が異なり、お茶が飲めるだけでなく、情報発信の場として活用したい、「あみじま茶屋」では、団子とお茶が500円で提供されている。お茶は、抹茶・番茶・煎茶を選べるようにして、醤油団子とあんこの団子がそれに付く。コーヒーではなく、お茶にしたのは、この美術館が茶碗など茶道にまつわる美術品を多く所蔵している点と日本古来の食文化を伝えたいが故。お茶の葉にもこだわり、それを陶芸作家の茶碗で飲むスタイルを採用した。カフェではなく、あくまで茶屋を表現するために日本茶を楽しめるものとしたのだ。「土間にはテーブルも椅子もあえて設けていません。自分で飲みたい場所へ持って行き、飲んだら戻す。飲食店ではないので、親戚の人がお茶を供す雰囲気を出したかったんです。ワンコインとリーズナブルなのも、そこが狙いなんです(笑)」と藤田義人さんは話している。

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ここで提供する団子は、都島の「冨久屋」で作ってもらったもの。「冨久屋」の前田道男さんに聞くと「柔らかめの団子ではなく、しっかりした歯応えのあるものを作って欲しいとの依頼があって『あみじま茶屋』用オリジナルとして一緒に考案した」らしい。「この団子は、かなり手間のかかる代物です。でも藤田さんの文化発信に共鳴し、水分の1%までテストして米粉100%で作って持って来ています。食文化の入口を表現できればと、丹精込めて作っているんですよ」と話していた。この団子には、北浜の「菊壽堂義信」店主の久保昌也さんのあんこが使われている。「本物のあんこを食べてほしい」という思いで、一緒にレシピを考え作っているあんこと、団子に合うコクと旨味を追い求めて選定した湯浅醤油の「樽仕込み」が使われて提供されている。藤田義人さんが、みたらし団子ではなく、醤油団子にこだわったのは、昔、奈良で醤油団子を土産に買って帰って来た家族の記憶があったから。「子供の頃に食べた醬油団子は、餅がしっかりし、醤油のしょっぱさがあって美味しかったんですよ」と話していた。その記憶を再現すべく、全国から醤油を取り寄せ、食べ歩いて、色々と試したが、しっくり来る味がなかったそうだ。そこで『樽仕込み』で調味してみると、晴れてその味が出たと言っていた。「団子の起源は諸説ありますが、遣唐使が持ち帰ったとの話が有力で、もともとは供え物として使われていたようです。『あみじま茶屋』の団子は、保存料など一切使わず、米粉のみで作っています。毎朝蒸して、注文を受けてからこの場で焼き上げます。醤油は、団子と相性のいい湯浅醬油の『樽仕込み』を使用。湯浅は、日本の醤油発祥の地として知られ、湯浅醬油は今でも木桶で熟成させています。そんなストーリーがこの団子には不可欠だったのです。片やあんこの方は、粒が大きい丹波産大納言に砂糖のみを加えて焚き上げて造る自家製あんを使っています。団子の作り方といい、調味するものといい、色んな職人の知恵と工夫が詰まっているのが、ここの特徴なんですよ」と藤田義人さんが話してくれた。「藤田美術館」では、肝心の美術品展示のみならず、土間の活用も含めて人にとっての「みる・きく・はなす」の助けとなることに尽力し、アートをきっかけにしたコミュニケーションを活性化する場にしたいようだ。長々と記して来たが、百聞は一見にしかず、これを読んだらすぐに訪れて欲しい。

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい