2021年12月
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前回(第97回)、お酢とスパイスの融合について話をした。多くの人が携わった分、なかなか一回でその内容を収容し切れない。そこで今回も「続・お酢×スパイスの融合」と題し、実証から得られた話を綴りたい。今回は、インド料理やスパイスの専門家・バシン晴美さんと、海外30カ国を歩いて料理修行して来た本山尚義シェフの話が中心だ。あと写真だけの掲載で申し訳ないが、うちの大学(大阪樟蔭女子大学)の学生が作ったお酢×スパイスのスイーツも紹介しておく。お酢はすっぱいし、スパイスは辛い。その融合ならいかなる風味になるのか。ぜひ皆さんも試してほしい。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
複数のスパイスを使っても、お酢が加わるだけでその刺々しさがなくなり、まろやかになる。歴史は繰り返すではないが、令和の世にその融合が蘇るのだ!

日本人はスパイス使いを誤解している

 

出尽くした感が否めないグルメシーンに、何とか一石を投じたい。そんな思いからミツカン大阪支店が旗振り役となり、和洋エスニックの専門家らと、お酢×スパイスの融合を試して来た。実証期間は、くしくも緊急事態宣言発令下で、いずこの店も少々やる気を失っている。「コロナ禍でできた暇をいいことに変える新たな調味術にトライしませんか」とは、こちらのくどき文句。休業中や時短営業中も何かやっておかねばいけないと思ったのであろう、その言葉にバシン晴美さん(神戸スパイス、神戸アールティー)や本山尚義さん(世界のごちそう博物館)、森崎和哉さん(サヴォイオマージュ)、金井啓修さん・三上真一さん(御所坊)らが乗って来てくれた。くしくも大阪はスパイスカレーが一大ブームとなっており、世間がスパイスへの関心を向けつつある。こんな時こそ、新たな調味術としてお酢×スパイスの融合を実証したいと取りかかった次第である。

そもそもお酢×スパイスは、今になって初めて出て来た調味術ではない。前回書いたように「盗賊のハーブ酢」だってそうだし、ウスターソースの誕生にもそれが隠されている。「何を今更」と思うのだが、意外にもその組み合わせを聞いたとて、すっと効果や風味を思い浮かべることが少ないのも事実なのだ。最近、ミツカンのCMで「鶏のさっぱり煮」という料理が紹介されているが、これとて原型を辿れば、フィリピンの「アドボ」に行き渡る。「鶏のさっぱり煮」は、「味ぽん」と水を11で煮込んだものだが、その元となっている「アドボ」は、米由来の酒、酢、醤油に黒コショウとにんにくを加えて煮込んで作る。本山尚義シェフに聞くと、世界では朝昼夜とスパイスを使い分けながら調理する例は多いという。その一つ、ネパールの「ジラパニ」は、クミンを湯で煮出して飲むもの。ジラはクミンのことで、パニは水を指す。彼の話では、日本人は一口飲むとびっくりする味だが、現地の人は医食同源を意味するものとして愛飲しており、コレで育つといわれるくらい。身体がだるい時や胃腸が疲れている時に飲むそうで日常的なものとして知られている。「ネパールに永く滞在するとその味が段々わかって来る」と本山さんが説明していた。東南アジアや中国、インドでは、食文化の一つとしてスパイスが不可欠となっており、ハーブと混ざり合いながら使われているようだ。

スパイスというと、グローブやクミン、カルモダンなどインド料理に多用されるものを思い浮かべてしまうからだろう、日本人には身近な素材として感じてないことが多い。刺激的、辛い、痛いが印象で、ついついカレーに使うものとして認識してしまう。インドに精通しているバシン晴美さんに言わせると、スパイス=辛いではなく、香りづけや風味づけの意味で用いるという。インド人と結婚したバシン晴美さんは、36年前に主人の実家に里帰りした際、食事に対して多少の不安要素を抱いていたらしい。それは2才にもなっていない幼児を伴っての渡印であり、スパイスで辛いものばかりが出て来たらどうしようと思っていたからだ。ところが行って食してみると、彼女の想像は杞憂に終わる。スパイスは辛みづけに用いるのではなく、風味づけに使われるものだとわかったからである。「幼児でも安心して食べられるものでした。スパイスは風味づけに使われており、味付けが自然なものだったのです。インドには5000年の歴史を持つアーユルヴェイダー(伝承医学)があってその考え方も学ぶと、スパイスへの認識は全く変わって行きました」とバシン晴美さんは言っている。とにかくスパイス=辛いだけではないということがバシン晴美さんの話からわかってもらえるだろう。

 

 

大航海時代がもたらしたお酢×スパイス料理

 

日本人は、スパイスについて苦手意識があるようだが、実はすっぱいものもあまり得意ではない。そんなことを言うと柑橘類を好むし、米酢も昔からなじみがあると反論されそうだが、外国に比べると得意にしていないのがわかる。「日本人は酸味に弱い」と指摘するのは、各国・郷土料理研究家の青木ゆり子さんだ。日本では、会席の献立の中に酢物が一つ含まれるくらいにすぎない。献立を見ると、その文字から酸味を有す料理とわかり、すっぱいことを楽しみながら食べる。ところが東欧では、サラダ・スープ・メインディッシュと全てがすっぱいづくしでコースが終わるものさえある。青木さんによれば、パンまですっぱく、気候もあるからか、概して彼らは酸味を好むという。「特にロシアやルーマニアでは、すっぱい料理が多いですね。酸味が利いてないものがないくらい全ての料理が酸味を持つものばかりだったりするんです。よく冗談で、スラブ系の人が多く、彼らはLOVE”と書くんですなんて言っています(笑)」。

お酢×スパイスの融合について彼女に聞いてみると、おもしろいことがわかった。日本にチキン南蛮なる料理があるが、元をただせば、これは大航海時代の影響を持つもので、お酢×スパイスの融合が見え隠れするのだ。チキン南蛮自体は、宮崎発祥の洋食で昭和30年代に延岡で賄い料理として作られたのが始まりとされる。ただ、これとて南蛮漬けがルーツ。青木さんによると、その原型はペルシアから来たものだそう。「シクバージがそのルーツ。ペルシアからエジプトへ渡り、ポルトガルから日本へ伝わったものです。その伝播の間に肉が魚へ代わって行きました。

元来、保存の知恵として活用されたものですが、日本では保存するほど厳しい環境にないからか、きちんとした料理として生まれ変わったようですね」と青木さん。彼女の話では、英国の「フィッシュ&チップス」も「エスカベッシュ」から派生したもののようだ。スペインを追い出されたユダヤ人が英国へ。この地で今の「フィッシュ&チップス」へと変形させて行く。大航海時代は、各国の料理にいろんな影響を与えている。インド・ゴアにある「ポークビンダルー」は、カレーなのにお酢が使われたもの。ポルトガル人がインド西海岸ゴアにもたらしたために酸味の利いたカレーになっている。まさにお酢×スパイスの好例であろう。

ところでお酢×スパイスの調味よろしく、我々は本山シェフにその事例として5つの料理を作ってもらった。ゴアの「ポークビンダルー」をアレンジした「チキンビンダルー」を皮切りに、スペインの「アホスープ」や「魚介のペルー風ハーブマリネ」「インドネシア風野菜の黒酢漬け」「中国風牛肉と大根のオイスターソース煮込み」がそれである。そのうちの「魚介のペルー風ハーブマリネ」は、ペルーで食べられる「セビーチェ」をもとに考案したものだ。本来ならライムを使うところ、ここではお酢×スパイスの融合らしく「りんご酢」で酸味を出している。使用したスパイス(ハーブ)は、パクチー、タイム、オレガノ。本山シェフは辛みを抑え、「りんご酢」ならではの酸味と甘みでうまく調味していたのだ。

前回でも述べたように、いくら複数のスパイスを使えどもお酢が入ることでその刺々しさは消え、まろやかさが加わっていい塩梅(あんばい)になる。本山シェフも「スパイスの良さが消えるのではなく、うまく調和する」と言っていた。今回は、ミツカン大阪支店が中心となって行った実証であるが、実に面白い結果がもたらされた。これは創作かもしれないが、歴史の中で裏打ちされた結果である。コロナ禍で緊急事態宣言発令中という、優に余った時間がなければ、色んな人が集まってこんな実証はできなかったであろう。

 

 

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい