2025年11月
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関西で鍋料理といえば、まっ先に思い浮かべるのが水炊き。昆布だしに淡い味わい_、そしてぽん酢醤油に浸して味わう風味が実に関西人向きだ。その手軽さから冬になるとついつい家庭で味わいたくなってしまう。ところが現在は、どちらかというとすき鍋が主流に。味わいの多様さもあって鍋つゆがウケにウケている。鍋といえば、関西では水炊きだろうと、関西食文化をこよなく愛す私めが、今冬“水炊きの逆襲”なる文化企画を起こす事に_。その全貌を二回に分けてお贈りしたい。まずは鍋料理の歴史と、なぜ関西に水炊き文化が根づいたのかについて解説しよう。

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
水炊きといえば、博多ではなく、まず関西でしょ!関西に根づく水炊き文化を検証。

鍋料理の歴史は考えている以上に浅い

猛暑続きの長~い夏が終わったと思いきや、すぐに寒風が吹きすさんだ。一週間前にクーラーをつけるのをやめたのに翌週にはホーム炬燵の準備をしなければいけないとは何たる事か!日本は夏と冬の二季になってしまったのかと首を傾けざるをえない。冷たい風が吹き始めると、いよいよ鍋シーズンの始まり。当方は、ミツカン大阪支店と組んでこの冬に向けて“水炊きの逆襲”なる発表会を10月29日に行った。昨今は鍋つゆ流行りで、寄せ鍋・キムチ鍋は勿論のこと、トマト風味やブイヤベース、クラムチャウダー、貝だしと色んな味の鍋つゆが出ている。某調査によると、好きな鍋は①キムチ鍋②ちゃんこ鍋③すきやき④寄せ鍋の順らしい。関西で古くから根づく水炊きは5位で、6位が水炊き類に挙げられるしゃぶしゃぶとなる。つまり5位と6位が昆布でだしを摂って具材を煮てぽん酢で味わう鍋となるわけだ。我々関西人は、昔から家庭での鍋は水炊きと相場が決まっており多くの人が冬になるとそれを味わって来た。ところが情報過多と料理シーンの多様化によって水炊きが5位に甘んじているのはいささかつらいと思って私は“水炊きの逆襲”なる企画をぶち上げた次第である。
”水炊きの逆襲“の話をする前に鍋の歴史に触れねばなるまい。昔の風景として囲炉裏で鍋を煮るシーンを目にするが、実はあれは鍋料理ではなく、煮物か、汁物を煮込んでいるに過ぎない。鍋料理とは、せいぜい江戸中期頃に流行し、明治期以降に一気に普及したので歴史は浅いのだ。そもそも鍋物の定義とは、食卓に鍋と熱源を備えてなければ成立しない。そういう意味では、昔は各自膳で食べており(戦前までは家庭でも膳で食している)、一つの鍋を大勢でつつく事自体がタブーとされていた。鍋の語源は「な」(魚や野菜)を調理する「へ」(瓶)から来ており、調理器具としては古いが、料理としては古くない。

江戸時代元和年間(1615~1624年)に能登にて珪藻土(けいそうど)で作った七輪が誕生する。その七輪が座敷での囲炉裏やかまどの役割を担うものとして江戸で流行するのだ。現代でも会席料理に台の物という品があるが、これは享保期(1716~1736年)に喜右衛門なる人物が吉原仲の町で台の物屋を始めて流行らせた料理。足付きの台に焼物や小鍋を載せて温かい状態で食べる事を目的とした。だから吉原のような花街では、台屋と呼ばれる仕出し配達が持て囃されたのだ。つまり鍋料理は、七輪で煮る小鍋から発展したといえよう。骨抜きどじょうに笹がきゴボウを加え、卵でとじる柳川鍋とて天保期(1830~1844年)の初め頃にお目見得した鍋料理である。

鍋物が本格的に開花するのが明治時代。幕末から明治にかけて牛肉を煮る牛鍋が流行。明治4年(1871)には仮名垣魯文が「安愚楽鍋」にて「牛肉食わぬは開けぬ奴」と書いているくらいだ。さらにちゃぶ台も流行。明治期に大衆西洋料理屋を「チャブ屋」と呼んでいた事もあってそこで使われていたテーブルをちゃぶ台と呼ぶようになった(語源はしっぽく台が転じたもの)。明治36年(1903)には、「家庭の新風味」の中で思想家の堺利彦が「一家団欒の観点により、膳をなくしてちゃぶ台を使用しよう」と呼び掛けている。そうは言ってもちゃぶ台が普及するには時間がかかり、関東大震災後にようやく膳から移行するのが目立って来た。このように座敷での熱源と皆で食べるちゃぶ台の二つの要素が重なり合わなければ鍋料理は発展しない。そしてさらに一ヵ所で色んな食材が揃うスーパーマーケットの出現で爆発的ヒットのきっかけを掴んだ。なので鍋物は歴史が浅いと言わざるをえないのだ。

ぽん酢がもたらした水炊き革命

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そんな状況を経て、なぜ水炊きが市民権を得たのであろうか?水炊きとは、素材を湯だけで煮る調理法を指す。てっちり、鱈ちり、鯛ちりなどのいわゆるちり鍋類がそれにあたる。ちり鍋の語源は、魚の切り身を熱湯に浸けた時にちりちりと縮む様から。一説によれば、西洋人が生の刺身を嫌って鍋に入れたのが始まりとも伝えられているようだ。ちり鍋(水炊き)の定義は、だしに味がついておらず、漬けダレに浸して食す事。一方、予めだしに味がつけているもので煮れば、すき焼きや寄せ鍋、ちゃんこ鍋に代表されるすき鍋となる。
なぜ関西で水炊きが根づいたのかは、昆布と関西の軟水に因があるようだ。幕府の命によって河村瑞賢が西廻り航路を開発したのは江戸初期。以来、北前船が大坂まで就航するようになって蝦夷地(北海道)より大量の昆布を大坂まで運んで来た。大坂は一躍昆布の集積地となってその使い道の一つとして昆布でだしを摂る調理法が確立されたのだ。14世紀までは、松前から福浦(能登)までが昆布ロードと呼ばれていた。富山でも昆布の消費は多かったが、昆布締めや昆布巻きがその用途。だしとしての活用は大坂での発見である。関西の水は軟水で、硬度が低く、昆布だしに適していた。一方、関東は一応軟水ではあるが、硬度が高いため、昆布を入れて火にかけると、沸騰する前にだしが濁ってしまう。だから濃いだしを摂るには鰹節の方が合ったのだ。

このような理由から関西に根づいたのが水炊きと呼ばれるちり鍋類である。その基本は、昆布だしがベースで、今では煮込んだ具材をぽん酢に漬けて味わうとされている。水炊きのルーツを辿ると、古くは寛政20年(1643)の「料理物語」第9汁の部に「鶏の水炊き」が掲出されており、「吸口ににんにく、その外色々、うす味噌にてもつかまつり候」とある。いわゆる長崎の南蛮料理の一つで、これを長崎人が博多に伝えて今の博多風鶏の水炊きに進化したと思われる。水炊きは何も関西だけではなく、関西と長崎に起源があるようだが、歴史的な流行度合いや調理法は異なる。関西での水炊きは、前述の昆布だしよろしく、水の張った鍋に昆布を敷いてだしを摂る。湯豆腐のように鍋つゆに味をつけず、具材を鉢や椀に取り分けて漬けダレに浸してから食べる。九州の水炊きは、長崎から伝わったものだが、鶏ガラでだしを摂るためにスープが白濁している。「水月」の林田平三郎が香港で学んだコンソメと中華の白湯をアレンジして明治38年に完成しており、それが基となって博多の水炊きの主流を成している。つまりだしの摂り方が全く違っているし、具材として博多は鶏肉なのに対し、関西では瀬戸内の白身が主流になっている。「だし福」の福本康利さん(「第137回名料理、かく語りき」を参照)は、「西洋では脂を旨みとして重要視しますが、和食では個性をぼかしてしまう存在として映ります。素材を引き出す事に重点を置く和食は脂を嫌います。ならば、同じ水炊きでも関西に軍配が挙がるはず」と関西の水炊きを薦めている。なぜ「すき」ではなく、「ちり」を鍋に用いるのかといえば、すき鍋のようにだしに味が付いていれば素材の風味を損ねる嫌いがあるから。むしろ昆布だしは食材の風味をいかすのに適している。淡い味の素材でも昆布だしで引き出す事でより美味しく感じる_、ならば本来の水炊きは関西風の方だと思ってもいいはずだ。ところが昨今は、水炊きと検索すれば、博多の水炊きが上位に出て来て、一般的にも当たり前のように鶏の水炊きで通るようになってしまった。関西の食文化を愛する者からすれば由々しき事で、ここらで“水炊きの逆襲”の狼煙を挙げずにはおられない。

では、昔は水炊きをどのようにして味わっていたのだろうか?私達の周りにぽん酢(ぽん酢醤油)が登場してまだ日は浅い。大阪の料理屋では、ちり酢があったりとぽん酢醤油に似たものはあったようだが、さりとてせいぜい戦後から。ぽん酢が大衆に知られるようになったのは、ミツカンが「ミツカンぽん酢<味つけ>」(元祖「味ぽん」)を昭和39年(1964)に関西で試験販売したのがきっかけだ。それまでは、世にぽん酢という調味料の概念が少なかったのだろう。半田(愛知)に本社を置くミツカンがなぜ関西でまっ先にぽん酢醤油を発売したのかは、関西人が水炊きに親しんでいたからだと考えられる。では、ぽん酢出現までは、水炊きを何に漬けて食べていたのだろう。この質問を多くの料理人に投げ掛けたが、はっきり答える人はいなかった。私の知り合いで、唯一、元辻学園日本料理の教授をしていた佐川進先生だけが「醤油をだしで割ってそれに浸して味わっていた」と証言してくれたのだ。ならば、ぽん酢醤油の出現は、水炊きにとって画期的な事で、水炊き革命と表現してもおかしくはあるまい。ぽん酢醤油こそが昭和40年代以降の関西で水炊きを普及させた要因でもある。水炊きは、関西の家庭でよく作られるという。ぽん酢醤油がそこにあったればこそ、水炊きは関西の大衆に受け入れられた_、そう考えても不思議ではなかろう。

 

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい