145 2025年11月人伝手というのは、大切な情報取得術だ。特に親頼のある人からの紹介は大事にしたい。今夏、食事に訪れた「庵寿」もあまりに良かったので、後日「取材をしたい」と申し込んだ。西宮北口にある同店は、元銀行マンだった松本隆志さんが始めた自称“居酒屋”で、メニュー構成や料理に店主の情報収集力が窺える。博多の「明太鰯」に代表されるように各地に点在する旨いものを見つけて来ては調理して出している。特に炭火焼きが自慢で、大分の関鯖や、北海道の本シシャモ、石川の干しイカ、それに黒毛和牛のロース・ハラミ・タンなどをいこった炭火で焼き上げて提供している。客はそれらをアテに一杯飲って至福の時を過ごすのだ。今回は、そんな繁昌店でいつものアレを敢行した。さて旨いものを知り尽くした「庵寿」の店主夫妻は、いかに湯浅醬油・丸新本家の品を活用したのであろうか。
酒彩 庵寿 松本隆志・成子
(「庵寿」店主)
「見ためが濃い気がする
『生一本黒豆』も使ってみると、
まろやかで優しい感じの
味わいが_。熟成して奥が深い醤油です」
元銀行マンが開いたグルメな居酒屋


私達取材陣は色んな所に網を張って情報を待ち受けねばならない。かといってその信憑性の有無も問題で、どんな人が送って来た情報かでその良し悪しを見極める。以前、「舟櫓」を教えてくれたのが、編集者の松田記子さんで、彼女の目は確かだ。そこで「またいい店があったら教えてね」と振っておいた。夏の盛りに松田記子さんが「ここはどう?」とばかりに連れて行ってくれたのが、西宮北口にある「庵寿」だった。聞けば、「庵寿」は、店主が元銀行マンで、45歳の時に中途退職し、2000年5月に開いたとか。徒歩2~3分と純然たる駅前店ではないものの、かなりの繫昌店。「これ以上、お客様が増えても何なので」と、色んな取材を断って来たようだ。松田記子さんと一杯飲りながら、私の芸能界話が受けたのかどうかわからないが、後日電話を入れたら、快くこの取材を了承してくれた。そこでいつものように湯浅醤油・丸新本家から商品を送ってもらい、10月に取材する運びになったわけだ。
阪急西宮北口駅を北側に出て、飲食店が軒を連ねる通りを横目に見ながら平木通りを西へ行く。津門川を越えて少しばかり歩くと左手に「庵寿」が見えて来る。「庵寿」は、店主の松本隆志・成子夫妻が営む店で、小料理屋とでも表現しようか、なかなかジャンル決めが難しい。「お酒が出せたらいい」と松本隆志さんが企画した店で、日本酒や焼酎が中心。炭火で焼く品がお薦めで、いつも左党で賑わっている。初めて松田記子さんに連れられて行った日も奥の座敷もグループが陣取っており、手前のカウンター席も一杯だった。「店のジャンルは?」と尋ねると「もともと料理人ではないので割烹と呼ぶのもおこがましく、どっちかというと和風居酒屋ですよ」と笑っていた。


松本夫妻は、北九州の出身。隆志さんは小倉で、成子さんは八幡だとか。松本隆志さんは、地元の学校を出て「さくら銀行」(現三井住友銀行)の北九州支店で勤めた。23歳で関西に転勤になって神戸や大阪の支店で43歳まで銀行マンとして勤め上げている。話によれば、西宮北口にある支店でも働いていた事があって、その時にこの地の利便性がいいと思ったらしい。「大阪と神戸の中間地点で、どちらに行くにも便利。だから西宮北口で一杯飲る向きも多かったんです」と話していた。43歳で「さくら銀行」を辞して店をやろうと思った時にふと西宮北口が候補に挙がったという。銀行員時代は接待も多く、色んな店で食べて来た。そのグルメ経験と情報量の多さで「好きな酒が出せる店なら…」と計画した。かといって調理経験もないので一旦調理師学校へ入って料理の勉強をし、その後和食店で一年間修業させてもらったのだとか。「西宮の名店で調理していたとう店主で、実に厳しかった。昔の職人なので手とり足とり教えてくれるわけではなく、見て技術を学びました」と振り返っていた。
松本夫妻曰く「2000年5月にオープンしてからコロナ禍まではわりと順調に帆を進めて来た」そうだ。当初は銀行時代の知り合いも来てくれてそのうちに常連も徐々に付いて行った。ところがコロナ禍でその流れが一変し、それから立ち直すのに時間を要したという。「主人は銀行員時代に包丁を持った事もなく、店を始めるといっても不安だらけ。私も“生チュー”を酎ハイの仲間だと思っていたくらいなので当初はドキドキの船出だったんですよ」と松本成子さんが語っていた。それでも他人(ひと)より多くの飲食店を利用して来て色んなものを食べて来た。それが糧(かて)となって何とかやって来られたようだ。「むしろお客様から教わることが多かったですね。色んな意見をもらいながら育ててもらったというのが本音です」。現在「庵寿」は、息子さんも加わり家族で営んでいる。そのアットホームさが良かったのだろう、温かみに加えて人の良さも伝わり、何となくホッとできる場所として贔屓(ひいき)筋を掴んでいる。


松本隆志さんは「もともとが料理人ではないので」と謙遜するが、出て来るものはなかなか大したもの。いつも賑わう理由がわかる。造りもいい魚を入れているから、実に旨い。取材日にも明石鯛・カンパチ・本鮪・ホッキ貝・紋甲イカの五種盛が出ていたのだが、鮮度もよく、味もある。聞けば、魚は東灘区(神戸)の中央卸売市場から仕入れる事が多いそう。ロットの少ないのは近くの魚屋に頼むという。魚も目利きがいいからか、造りにしても十分勝負できる。これらを今日の取材のように「生一本黒豆」に漬けると別格である。「庵寿」というと、やはり炭火焼きが売り。肉・魚・鰻と色んな素材を炭場で焼く。季節によっては筍があったり、松茸があったりするそうだ。「牛ロース・タン・ハラミは黒毛和牛の部位を使用しています。鶏ももの塩焼きや手羽先は淡路鶏を使う事が多いですね。九州からいい鶏が入れば、それを焼く事もありますね」と松本隆志さんが教えてくれた。「炭の力は、やっぱり大きい」と言いながら炭火で焼けるものは何でも焼く主義で、時に焼き芋が出て来る事もある。その焼物の代表格として「庵寿」の名物メニューになっているのが「明太鰯」だろう。かつては銚子で獲った鰯の腹に辛子明太を入れて加工したものを博多の「真味堂」から仕入れていたそうだが、値段的に製造できなくなったとかで博多の業者がやめてしまった。それでも人気があってリピートするので何とか仕入れ先を見つけて今でも送ってもらっている。「鰯が北上し、今では岩手で獲ってそれを加工してもらっています。段々小さくなって来たので、今は小さい鰯を二匹にしてコースに出しているんです」と松本隆志さんが言っていた。「明太鰯」は、福岡の百貨店で土産用に売る品で、飲食店で出しているのはここぐらい。沢山出ないと、作る事ができないので最近では博多でも品薄になっているとか。余りの旨さにおすそわけをねだって家で焼いた客がいるそうだが、流石に「庵寿」で食べる程の旨さは伝わらなかったという。「炭で焼くのとの違い」と松本隆志さんは指摘していた。素人と玄人の焼き方の差もあるだろうが、松本隆志さんが言うように「炭火の力」もあるのは事実だろう。博多から届く「明太鰯」の大きさはまちまちで、当然店での売り値も異なる。一応メニューには700円となっているものの、大きいもの一匹を出す時は750円で、小さいものの時は二匹で一皿になっているようだ。いい具合いに焼き上がった「明太鰯」は、酒のアテにはぴったり。腹の中には辛子明太がしっかり入っている。銀行員時代を含めこれまでの飲食経験の豊富さから左党の欲するアテがわかるという松本隆志さんならではの素材チョイスだと感心した。

ところで「庵寿」では、これからの寒の季節に合わせて鍋物も出すそう。「鍋はてっちり、アンコウ、蟹、クエ、寄せ鍋と何でもやっています」。特にアンコウ鍋は関西では珍しく、「いつ入って来るの?」と尋ねて来る客もいるとか。「アンコウは生きたものを仕入れて鍋にするんです。やはり鍋が旨いですよ。以前大きなアンコウが入荷して、それで27人分作った経験も。座敷のグループは勿論のこと、カウンターのお客様も含めて皆んなでアンコウを食したのを覚えています。その時の卵は7mもあって天ぷらにして楽しみました」と松本隆志さん。魚だけではなく、白湯風の鶏の鍋も好評とかで、こちらは鍋以外でも椀物にして提供するケースもあるそうだ。このように「庵寿」では、アレンジも利けば、雁字搦め(かんじがらめ)に縛られていない自由さもある。顧客は飲みたい時(食べたい時)に訪れて一杯飲るスタイルが定着している。アラカルトとは別にコース料理もあるので、何を注文していいか迷うなら順に出て来るコースもよかろう。例えば、「おまかせコース」は3000円と4000円があって前者は付き出し・造り・揚げだし豆腐・天ぷら・サラダ・焼魚(明太鰯)・焼きおにぎり・デザートとなかなか充実しているようだ。松本隆志さんの話によると、「コースは3000円以上で1000円刻み。上は青天上ですよ」と笑っていた。基本的には飲んで喰って5000円あれば楽しめる店になっている。松本隆志さん好みの「魔王」や、「森伊蔵」、「佐藤」の白黒あたりを片手に料理を味わうのがいいかもしれない。勿論、「呉春」「惣花」「越乃寒梅」「一ノ蔵」「八海山」など各地の地酒も揃っているから日本酒のアテを求めるのでもいい。
「生一本黒豆」は熟成してる分、奥が深い


さて、私はいつものアレをやるべく、湯浅醬油・丸新本家からいくつかの商品を送ってもらい、それを使った料理を取材用にと所望した。「二品ぐらいあれば…」と頼んでいたのだが、人のいい松本夫妻は「せっかく沢山の種類を送ってもらったから」と言って六品もその場で作ってくれた。一つめは、前述した「造り五種盛り」。器に明石鯛・カンパチ・本鮪・ホッキ貝・紋甲イカの糸造りを盛ったものだ。今回は、それらを「生一本黒豆」に漬けて味わう趣向になっている。松本夫妻によると「生一本黒豆」は、「見ためが黒い醤油なので一見辛そうに思えたが、味わってみると味は思ったほど濃くはなく、舐めたらまろやか。柔しい感じがする」との感想のようだ。松本隆志さんに言われるままに明石鯛やカンパチを「生一本黒豆」に漬けると、辛さというよりは、むしろ醤油自体が持つ自然な甘さも感じられ、造りにフィットして行く。松本成子さんも「醤油が熟成している分、奥が深くて美味しく食せる」と話していた。この造りには、私にとって一つの発見があった。それは松本隆志さんが柚子胡椒で味わうのを薦めてくれた点。いつもならワサビをつけるのに、今日は柚子胡椒をつけると、いつもの辛みとは違う味わいがやって来る。特に白身魚や青背にはフィットするようで、柚子香もついて何となく上品な感じになる。「九州出身なので柚子胡椒をよく用います。柚子香がついて造りにもいいでしょ」と松本隆志さんは言っていた。まさにこれが「庵寿」での発見であったわけだ。

上記のようなそんな感想を持つ松本成子さんが、これまた「生一本黒豆」を調理に使い、「筑前煮」を出して来てくれた。筑前煮は、松本夫妻の出身地・福岡の郷土料理。地元では「がめ煮」と呼んでいるらしく、博多の方言で「がめりこむ」(寄せ集める)の意味からそう呼ばれるようだ。調理法としては、具材を油で炒めてから煮る。一説には文禄期(豊臣秀吉の時代)に朝鮮へ出兵した兵士が食べたのが始まりともいわれている。松本成子さんは、人参・蓮根・ゴボウ・小芋・コンニャク・干し椎茸・鶏もも肉・絹さやを具材に筑前煮を作っていた。「鶏や根菜を入れ、小芋以外の具材(下処理したもの)を油で炒め、三温糖とみりんと干し椎茸の戻し汁を入れて煮ます。それから小芋を加えて醤油(「生一本黒豆」)を入れてコトコト煮て行きます。醤油の量は気持ち少なめに、色がつく程度でこの醤油なら十分味が出て来ます。味を染み込ませたいので前日から作っているんですよ」と話していた。「生一本黒豆」は、醤油の色が黒く見えるから煮込むと辛そうに仕上がるが、実はそうではない。味わうとやさしい味になっており、醤油の熟成度とまろやかさが伝わって来る。松本成子さんが、「少なめでも十分」と指摘するようにその量だけで味は出ており、むしろ黒くなりすぎるのを避けたいがために醤油量を控えめにしたと思われる。


湯浅醬油・丸新本家からは、醤油以外にも「柚子梅つゆ」や「金山寺味噌」「塩麹」も送って来ていたらしく、松本夫妻は「せっかくだから」とそれらも調理に使ってくれた。最初に出してくれた「野菜のお浸し」がその一つで、ブロッコリー、茄子、赤と黄のパプリカを用いて作っていた。取材時期は、秋とはいえまだまだ残暑が残っていたので「さっぱりする酢の物がいいかも」と思い、作ったようだ。具材は茹でたら栄養が逃げると、レンジで2分ほど加熱し、水に当てて色止めする。それを冷まして水気を搾り、昆布と鰹のだしで割った「柚子梅つゆ」で和えて作っている。これも味を落ち着かせるために冷蔵庫で一時間弱置いてから提供するそう。松本成子さんは、「柚子梅つゆ」に関してまろやかで角がない点を高く評価していた。松本隆志さんも「柚子と梅の香りがよく、鰹も利いているので素麺のつゆとして使える」との印象も持っていた。


「オクラの金山寺味噌和え」は、湯浅の名産品・金山寺味噌(丸新本家の商品)を用いた一品。オクラは萼(がく)を取って塩でこする。レンジで2分加熱し、色止めのために水に潜らせる。キッチンペーパーで水気を取って一口大に切る。あとはこうして下処理したオクラを、「金山寺味噌」で和えるだけ。好みで仕上げに白ゴマを振ってもいい。松本夫妻によると、「金山寺味噌」に色んな野菜が使われているから、ここではあえてオクラだけを使用したそう。「ここの『金山寺味噌』は、味噌が主張せず、瓜や茄子などが入っていて辛くはない。文字通りおかず味噌で、ご飯の供は勿論のこと、お酒のいいアテになります」と評していた。


この日のメインディッシュ的に出してくれたのが「豚の塩麹焼き」だ。提供時に松本隆志さんが「生姜焼きではなく、塩麹焼きです」と言っていたのが印象的。そのココロは、「塩麹でやると、生姜焼きより味が濃厚になる」らしい。味のポイントは、当然浸すタレにある。「生一本黒豆」大さじ3に、みりん大さじ2、塩麹大さじ1.5で漬けダレを作り、そこに豚肉300gを30分弱に漬け込む。それをフライパンで焼くと出来上がる。「時間がなければ10分浸すだけでも充分味が染みます。豚肉の匂いが気になるなら生姜の搾り汁をタレに加えてもいいですよ」。この料理は、「生一本黒豆」のまろやかさと塩麹の良さが前面に出ている。味も濃厚で酒のアテには持って来い。流石は、酒好きの松本隆志さんならではの発想だと感心した。取材用の料理を試食していると、松本夫妻がごはんと味噌汁まで出してくれた。取材とはいえ、これで晩ご飯が完結したような気に。まさに満腹感があり、幸せな時間を過ごしたようだ。ちなみに「庵寿」では、農園ナチュローブのオリジナルブランド「駒義」を仕入れてご飯を炊いている。化学肥料ゼロ、農薬を削減して栽培するこの青森米は、身体にも優しい。炊くとふっくらしたご飯に仕上がる。時には知り合いのの三田米もご飯を炊くのに用いる事もあるそうだ。


「庵寿」の良さは、松本夫妻の人柄もさる事ながら、店を開くまでに松本隆志さんが色んな所で色んなものを飲食して来た歴史にあると思う。悲しいかな、料理が本職の職人たちは、数多くの飲食経験がない。休みの日ばかりは、料理とは離れたい心理もあって他店には行かない。かといって大半の日は働いている店で調理との格闘に明け暮れるので当然他店を覗く事もない。松本隆志さんは、元銀行マンという職種いかして数多くの料理を味わって来た。その経験から今、「庵寿」の料理となって花開いているのだ。飲食の経験の豊富さは、旨い料理づくりに繋がる_、そんな事を西宮北口の人気店は教えてくれている。
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<取材協力>
酒彩 庵寿
住所/兵庫県西宮市南昭和町9-9
TEL/0798-66-2877
HP/ 食べログはこちら
営業時間/17:30-23:00(LO22:00)
休み/月曜日
メニューor料金/
明太鰯(博多) 700円
本ししゃも(北海道) 800円
紅鮭のカマ(北海道) 1000円
関鯖(大分) 1200円
ホタテ炭火焼き(北海道) 700円
鰻蒲焼き 2500円
馬刺し(熊本直送) 1200円
牛ハラミ(黒毛和牛) 1500円
牛ロース(黒毛和牛) 2500円
牛タン(黒毛和牛) 1500円
干しイカ(金沢) 600円
一口餃子 500円
牛肉コロッケ 400円
平目の天ぷら 1000円
さつまいもの天ぷら 600円
イカしゅうまい 600円
手羽先 500円
野菜サラダ 500円
豚冷しゃぶサラダ 700円
おまかせコース 3000円~
熟燗 一合500円~
冷酒 700円~
焼酎 600円~
※価格は税抜き表示。
筆者紹介/曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。


















































