2025年12月
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家庭で「今日は水炊き」というと、何となく手を抜いた感じに思わせてしまうのは何故だろう。答えは簡単。野菜や肉・魚を切って昆布だしで煮て、ぽん酢で食べるからだ。つまりぽん酢さえあれば、あとは何も考えずにできてしまうのである。ところが水炊きは、大坂の昆布だし文化があったればこそ生まれた鍋物で、関西人のぽん酢好き精神の上に成り立つ崇高な料理。今やすき鍋類に押されつつあるとは由々しき事態とばかりに、私は今秋から冬へ「水炊きの逆襲」計画をぶち上げた。前回の鍋の歴史編に続き、今回は「水炊きの逆襲」から誕生したユニークな水炊き鍋を紹介する。面白い!と感じた人は、即家庭で水炊きをやって逆襲の狼煙(のろし)を上げて欲しい。水炊きは、決して手抜き鍋ではないのだから…。

キャッチ/水炊きの逆襲計画から思いもつかなかった新しい鍋料理が誕生したぞ!!

  • 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
水炊きの逆襲計画から思いもつかなかった新しい鍋料理が誕生したぞ!!

関西人のぽん酢愛は凄い!

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前回の「第145回食の現場から」で、なぜ水炊きが関西で根づいたかを説明したので、今回はいよいよ「水炊きの逆襲」編として話を展開したい。昨今は鍋の調味料が色んな形で発売されており、キューブ型のものや小さな容器にその素が入ったものがある。おまけに袋に入ったストレートタイプは、希釈しなくても使えるのでなかなか便利。封を開けて入れるだけならば、薄める必要もなく、味がボケる心配もない。鍋つゆのトップシェアは、お酢や「味ぽん」でおなじみのミツカンらしく、中でも「ごま豆乳鍋」が一番売れているという。前回でも書いたが、鍋料理には大きく分けてすき鍋とちり鍋があって、前者は予め味のついたスープで煮て作るタイプだ。片や後者は、味のないスープ(だしのみ)で具材を煮て鉢に取ってからぽん酢やごまダレに浸して味わう。関西では、このちり鍋を“水炊き”と呼んで家庭ではよくやる。関西人がいかにぽん酢を使っているかがわかるデータをミツカンの人に見せてもらったが、京阪神の一人当たりの購入金額が年間847円と弾トツ。全国どのエリアよりもかなり高く、関西人はぽん酢愛が凄い事が数字からも実証されている。ぽん酢は近年、餃子の漬けダレやハンバーグのおろしぽん酢、鶏のさっぱり煮など鍋物以外にも広く使われているようだが、やはり使用度合の主力の一つは水炊き。ならば、関西の家庭ではいかに食卓に水炊きがよく登場するかは購入者の金額からも読めるだろう。ミツカンの人に言わせれば「京阪神以外の全国各エリアの数字は、色んな用途を示しながら営業を頑張っての結果で、関西は昔からこのくらいの高い数字を叩いていた」らしい。よく冷蔵庫を開ければ関西人のぽん酢愛が凄いわかるという。他地域の家庭の冷蔵庫にはぽん酢は一本しか置かれていないが、関西の家庭の冷蔵庫には必ず二本以上置かれている。一本はスタンダードタイプで、もう一本は自分のお気に入り、さらにもう一本あれば、柚子や橙を用いた柑橘別のぽん酢という事になるようだ。ぽん酢はメーカーごとに味も違えば、特徴も異なる。「ならば用途や食事シーンによって替えるべき」というのが関西人の主張なのだろう。
ところで関西に古くから根づく“水炊き”がすき鍋類より支持が下とは何たる事か!とばかりに“水炊きの逆襲”企画をぶち上げた。おまけに“水炊き”と検索すれば、まっ先に博多の鶏の水炊きが出て来る事が私は許せないのだ。水炊きとは本来、昆布でだしを摂ってぽん酢で味わうのが主流なのに、鶏ガラで摂った白濁したスープを同一の鍋だと関西人は認めたくない。某データでは、好きな鍋の第1位はキムチ鍋。もはやそれは韓国食文化を表すもので、日本の鍋文化がその軍門に下るとは由々しき事態だと思ってしまう。なぜ“水炊き”が好きな鍋ランキングの5位になってしまったのか?それは新しい水炊きが近年、登場しなかったのもあるのだろう。家庭で水炊きを作っていると、手を抜いたように思われる。適当に材料を買い集め、切って煮るだけと理解されてしまうからだ。この二点の因を払拭させるために新しい水炊きづくりに取り掛かった。
“新しい水炊きを作る”と言ったって何をどうすればいいのだろう?。これが料理人達の本音である。昆布だしで、しかもぽん酢で食べるのを水炊きの定義に据えて見たものの、何かヒントを与えねばならない。そこで私は、地場の名食材だったり、SDGs的な考え方だったり、色んな文献から拾って来た話などを料理人にぶつけて新しい“水炊き鍋”の創作にあたってもらった。参加してくれたのは、北新地にある人気店「日本料理湯木」と灘の酒蔵「神戸酒心館」が運営する蔵の料亭「さかばやし」、そして有馬温泉の老舗旅館「御所坊」である。この三つの名店が新たな水炊きづくりという難題に夏から取り組んでくれた。

三つの新しい水炊きが、次代の鍋文化をリードする

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「日本料理湯木」の店主・湯木尚二さんは、泉佐野市の名産・泉州水茄子の調理汎用に活路を見出した。「湯木」は大阪の名店なので地元(大阪府)の産物・水茄子には理解を示しており、これまでにもサラダに使用したり、浅漬けにして出したりはしていた。ただそれは夏場での話で、冬でもいい水茄子が泉佐野市内で栽培されるいるのがわからなかったそうだ。そこで私は泉佐野市農林水産課のルートを活用して水茄子農家を紹介。農場から直仕入するルートを教えた。シーズン外の泉佐野産水茄子を入手した湯木尚二さんは「秋や冬でもこんな立派な産物があるんだ」と感想を述べていた。湯木尚二さんが鍋の具材に水茄子を用いるのに抵抗がなかったのは、彼の祖父でもある「吉兆」の創業者・湯木貞一さんの教えがあるからだ。湯木貞一さんは生前「柳川鍋は、茄子の美味しい夏から秋口にやるべきで、鍋には当然長茄子を使う」とよく言っていたそう。だから「湯木」では今でもすき焼きに長茄子を入れる事がある。冬場でも水茄子購入のルートさえできれば、あとは簡単。すぐに「水茄子と黒豚のしゃぶしゃぶ鍋」が具現化した。鍋のだしは昆布と鰹の合わせだし。そこに鹿児島県産黒豚・白菜・椎茸・玉葱・人参・水菜・豆腐などを入れてだしで煮てからスライスした水茄子を加えてしゃぶしゃぶして食べる。漬けダレは「湯木」自家製ぽん酢で。レモン・だし醤油・煮切酒・だしで煮詰め、タバスコを加えて少し辛み(アクセント)をつけている。「湯木」では、この鍋に前菜・造り・締めの雑炊・デザートを付けて要予約にて12000円で提供する。但し、水茄子が用意できればの話なのでいつもあるわけではなく、電話で提供OKをもらってからの来店となる。

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二つめの新しい“水炊き”は、名前を「灘の美酒鍋」とした。提供するのは清酒「福寿」を産する「神戸酒心館」蔵敷地内の日本料理店「さかばやし」だ。同社の久保田博信副社長は、日本一の酒どころ・灘らしい水炊きがないのを常々気にしていたそう。なので今回の鍋には、日本一の酒どころに因み、具材も日本一と誇れる素材を使いたいと思っていた。そこで白羽の矢を立てたのが明石浦漁協の明石鯛だった。鯛は魚の王様と称されるが、頭は大きいし、骨は太いしで1/3を捨てるくらい効率の悪い魚だ。現在SDGsの流れを推進する「神戸酒心館」では勿体ない精神よろしく、余す事なく鯛を使い切れないかと模索した。「さかばやし」の大谷直也料理長は、鯛の骨をこんがり焼いてそれでだしを摂ろうと考えた。これなら骨の廃物利用も可能だ。以前から広島の西条には美酒鍋なる日本酒で作る鍋がある。でもこれはすき鍋に属する。今回は“水炊き”がテーマなので、鍋つゆに味がついていない美酒鍋を考える必要がある。明石鯛を使用するのと鯛の骨と日本酒でだしを摂るのは決まっているものの、あとはどう表現すればいいのだろう。大谷料理長は悩み抜いた末に鯛のしゃぶしゃぶと、魚介類と野菜を煮込むという変化鍋に辿り着いた。まずよく焼いた鯛の骨を昆布だしで煮てそこに入れて更に純米酒「御影郷」とドボドボと注ぎ込む。まるで骨酒のような味のする鍋つゆで明石鯛をしゃぶしゃぶしてぽん酢で味わうのだ。ある程度鯛のしゃぶしゃぶを満喫したら、今度はその鍋に鰹だしを入れて味を変え、蛤や海老、野菜を煮込んでいく。ベースの鍋つゆには日本酒が結構入っているから美酒鍋の定義は果しており、しかも味のついていないつゆで煮てぽん酢で味わうので水炊きの定義からも逸脱していない。ならば、ちり鍋タイプの新しい美酒鍋が生まれたといってもいいだろう。

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三つめの新しい“水炊き”は、多分有馬の「御所坊」でなかったらできなかっただろう。1191年創業という有馬温泉の老舗旅館「御所坊」では地の産物・有馬山椒を使った料理や商品化への取り組みを行っている。元来、料理名に“有馬”の文字が付けば、それは山椒を用いたものと日本料理の世界では当たり前のようになっている。「御所坊」の15代目主人で、有馬温泉観光協会の会長も務める金井啓修さんは、私からの「新しい水炊きを作って」のリクエストに何とか山椒を用いて応えたいと思っていたようだ。有馬焼きや有馬煮のように水炊きにも山椒が使えれば、有馬温泉のPRにも繋げられると踏んでいた。そこで山椒鍋を新たに水炊きバージョンにして作ろうと考えた。山椒鍋は昔からあるが、それは春先に採る花山椒を使ってのもの。つまり鍋のシーズンではなく、暖かくなりかけた春にしか振る舞えない代物なのだ。しかも有馬山椒の花ともなれば、かなりの高級品で聞くところでは「神戸ビーフのシャトーブリアンより高くつく」そう。そんな現実離れしたものよりも今回は採ってあった実山椒を使ったり、粉山椒を用いたりして手頃に、しかも鍋のシーズンに提供してもらえないかと相談した。二人であれこれ知恵を絞っている中で、金井啓修さんが出した案は山椒魚の鍋を疑似体験するプランだった。井伏鱒二の小説にも出て来る山椒魚は、両生綱の動物。いささかグロテスクだが、その名の由来は身に山椒に似た香りがある事から名づけられているようだ。かつては食用として料理に使われていたようで、北大路魯山人はその食体験を随筆に書いている。流石に今は天然記念物なので食べられないが、中国地方(日本)の山あいの人達は、「はんざき」と呼んで戦前は食べていたとの話も伝わる。ちなみに「はんざき」とは、捕まえた山椒魚を縦に裂いて片半分を川へ流すと自然ともう片半分が再生してもとの山椒魚に戻るとの言い伝えからそう呼ばれている。金井啓修さんが言うには「食べた事はないが、山椒魚の肉は蛙の肉に似ているはず。蛙は鶏肉に似ているから鶏胸肉に何とか山椒の香りを閉じ込めれば、山椒魚鍋の疑似体験ができるのでは…」との発案だった。有馬温泉では採って来た有馬山椒の実を粉山椒にしている。真空乾燥するので粉抹化する時に水分(山椒水)が残るらしい。その山椒水を保存しておいてうまく生の鶏胸肉に注入すれば、山椒の香りと辛み・痺れ感が残る肉ができあがると思われた。金井啓修さんは「御所坊」の松岡兼司料理長に命じてガストロバック(減圧加熱調理器)を使用して山椒魚を彷彿とさせそうな生の鶏肉を作らせた。松岡料理長によると、常温で一時間半かけて行うそう。圧力をかけては戻すの行程を計5回やって繰り返す事で生の鶏肉の中に山椒水を注入できる。初めは冗談のように語らいながら発案していたものが、何と山椒の香り・辛さ・痺れ感を有す生の鶏胸肉ができたのである。これが完成すれば、あとは簡単。昆布だしにも潰した実山椒と粉山椒を加え、鍋つゆ自体にも有馬山椒の風味が付けばいい。あとは野菜類をそのつゆで煮込み、山椒風味のついた鶏肉をさっと煮て食べる。勿論漬けダレはぽん酢である。これがかの魯山人が旨いと唸った山椒魚鍋と同じような味になったと信じたい(何せ、私達現代の日本人は山椒魚を食べた経験がないのだからそれが正解かどうかはわからない)。こうして生まれた水炊きを「御所坊」では、「魯山人風鶏の山椒鍋」と名づけてメニュー化した。但し、この料理は要予約でないと食せない。何せその時に肝心の山椒水が残っているかどうかはわからないし、あるとしてもガストロバックを使っての作業でかなり手間がかかる。「魯山人風鶏の山椒鍋」は、有馬山椒を真空乾燥で粉抹化して山椒水が余らないとダメだし、ガストロバックなる高価な調理機械を持っていないとできない。まさに「御所坊」だけが成し得た新たな“水炊き”といえよう。
色んな施設や調理人が頭をひねって新しい“水炊き”に挑戦した。ここ何年も新しい鍋(水
炊き)が出ず、マンネリ化しつつあって低迷していた水炊きに新たなスポットライトが当たったのである。このように水炊きの話題を作り出す事で、関西に根づいた水炊きが復権を果たしたい。これを“水炊きの逆襲”の狼煙にして何とか関西の鍋文化を盛り上げて行くのだ!

 

湯浅醤油有限会社|世界一の醤油をつくりたい