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別れはいつか訪れるもの。ただ予期せぬ別れは辛く、特に世話になった人の急死なら尚更である。「食の現場から」に何度も出て来て漁場の情報を伝えてくれていた橋本一彦さんが昨年11月の初めに亡くなった。急な知らせにびっくりし、言葉をなくしたものの、半年ぐらいたってその恩に報いる会をやっていないのに気づいた。そこで鍬先章太シェフと一緒に発起人になって今年の5月12日に「さかばやし」にて“橋本一彦さんを偲ぶ会”を開いたわけだ。今回は、食の情報というより少々個人的な話に終始したい。こだわりが強く、妥協せず、いい魚を届けてくれた由良漁港の橋本一彦さんを偲びながらこのコラムを書く事にする。

- 筆者紹介/曽我和弘廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと雑誌畑ばかりを歩いてきて、1999年に独立、有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。特に関西のグルメ誌「あまから手帖」に携わってからは食に関する執筆や講演が多く、食ブームの影の仕掛け人ともいわれている。編集の他に飲食店や食品プロデュースも行っており、2003年にはJR西日本フードサービスネットの駅開発事業に参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュース。関西の駅ナカブームの火付け役となった。
鱧の旬は晩秋で、1.5kg以上の大物が旨い




今回は、少々個人的な話からこのコーナーを展開したい。今年の5月12日に「さかばやし」で“橋本一彦さんを偲ぶ会”が行われた。これは、昨秋亡くなった淡路島・由良漁協の仲卸し「海幸丸水産」の橋本一彦さんを偲んでのもの。つまりよく亡くなった芸能人を偲んで催すお別れ会的な食事会と同じだ。当日は橋本さんと縁りのある人と彼の家族が集い、生前の橋本さんの想い出を語り合った。橋本さんは、由良漁協の名物仲卸し人で、漁場の事をよく教えてもらった、感謝してもしきれない程の恩人でもある。私との出会いは、JR西日本サービスネットの三宮駅の飲食店プロデュースがきっかけなので、かれこれ20年以上の付き合いになる。同社が手掛ける駅ナカ事業の一環で、炭をテーマにした店を考える事になり、どうしても産直イメージをつけたくて仕入れする漁港を探していた所、「えびす丸」(当時大阪駅前第三ビルにあった元巻網漁船経営者が営む飲食店)の田中隆男さんに橋本さんを紹介してもらったというのがつきあいの始まりだ。仕入れ交渉を行いたくて初めて由良の「海幸丸旅館」を訪れた際に鱧しゃぶをごちそうになった。鱧は夏の名物との認識が高かった私に、「晩秋の鱧が一番旨い」と教えてくれたのは橋本さんだ。鱧しゃぶは高級料理なのにお代わりまでさせてくれ、鱧三昧を楽しんだのを昨日のように思い出す。
橋本さんといえば、誰しもがいい鱧を卸しているとの印象が強い。本人も鱧へのこだわりが強く、「別嬪さんの鱧は、買って欲しいと話しかけてくる」と言いながら大物鱧をセリ落とし、中央卸売市場や料理屋に出荷していた。橋本さんが漁協のセリで狙うのは1.5kg以上の大きな鱧。普通、巷の料理屋では800gサイズを仕入れるのに、「それでは旨くない」とばかりに1.5kg~2kg以上のものを求める。和の職人達は「1kgを超えると大味で旨くはない」と言う。師匠から「一番いいのは800g」と教えられているから大物鱧は仕入れないようだ。ところが、橋本さんが指摘するように1.5kg以上のものは、脂も乗り、甘みもあって旨い。大物を拒否する和食の料理人達に「あなたは大物鱧を食べた事があるのか?」と尋ねると、ほとんどが「ない」と答えるのだ。では、なぜ大物は大味と判断するのだろう。大半の職人は、師匠からの教えを何の疑いもせずに忠実に守っているにすぎない。まあ大物鱧がほとんど揚がらないので流通ルートで回って来ないのもある。それに大きいと骨が太いので骨切りに苦労するのも扱いたがらない理由の一つと思われる。私は橋本さんと知り合い、取材や仕事でも一緒にするようになって嫌というくらい鱧を食べた。時には5kg以上もの代物を味わい、その甘みも旨みも実感した。流石に15kgの鱧が水揚げされた時は、その脂も凄く、骨切りしたものを鍋に入れた瞬間に脂がだしの中に広がり、味わえるどころではなかったが・・・(それ以前に骨切りもできない)。私は今でもニュースなどにコメンテーターとして登場し、意見を求められる事がある。その分野は多岐に亘っているが、鱧について語るのも度々ある。そんな鱧の知識を与えてくれたのが、何を隠そう橋本さんなのだ。


鱧は夏の魚と誤解されている。交通が発達していなかった江戸時代に夏場に京の都まで運んで鮮度が保つ魚といえば鱧くらいしかなかった。だから京の料理人達は、都合よく鱧を夏の魚に仕立て上げたのである。なので鱧の旬は夏というのは本来間違いで、冬眠前にせっせと餌を食べて太る晩秋が一番旨いのだ。ただ祇園祭り・天神祭り頃の鱧も旬ではないが旨い。それは秋の産卵に向けて子を宿しており、お腹の子に栄養を与えるために7~8月頃もよく餌を喰う。喰えば肥えるので自ずと旨くなる。橋本さんに出会ってから鱧の本当の旬と大物の味わいを実感した私は色んなコラムにその話を書いて来た。某有名コメンテーターがそれを読んだのか、TVで「秋の鱧は旨い」と述べていた。だが彼が間違っていたのは「9月の鱧がいい」と言っていた点。鱧は冬眠する魚で、その前に餌を沢山摂るとの理論を知らないから晩秋ではなく、9月と言ってしまったのだろう。鱧は9月に産卵する_、卵を産み落とせば痩せ細るわけだから味は自ずと落ちる。旬の理論がわかってないからそんな間違いを犯すのだ。意外にも漁師とて鱧の旬が夏だと思っている嫌いが強い。北淡のある町で法事に出席した時に漁師達が、「鱧の旬は夏ではなく、秋らしい」と話している場に出くわした。鱧が夏の魚とのイメージが強すぎて漁師でさえわからないのだと改めて思った次第である。橋本さんと出会ってから私は多くの鱧の話を書いて来た。それが徐々に浸透しているらしく、この頃では「晩秋の鱧が旨い」との話は噂の域を脱し、信憑性のあるネタになりつつある。近年橋本さんは「曽我さんが鱧の旬の話を書くから秋の鱧の値段が上がって困っている」と話していた。こちらからすれば、「出所はあなただ」と言いたいのだが、橋本さんはそんな経緯すらも忘れ、私が以前から知っていたと思ってしまっている(笑)。
由良の赤ウニが築地に来ないのは誰のせい?!






魚の旬が二回あると教えてくれたのも橋本さんだ。晩秋の鱧が旨くて、産卵前の鱧も旨いのと同様に蟹も冬と夏が旨い。ただ蟹は解禁日を設けているために夏場には出回りにくい。河豚も同じ_、冬が旬といわれており、その反対の季節(夏)も旨いのが獲れる。だが、こちらも余り出回ってはいない。旬が二回あるのを誰もが知っているのは、鯛と鰹だろう。春の桜鯛も値が張るが、秋に獲れる紅葉鯛も同様に値打ちがある。黒潮に乗って回遊する鰹も旬が二回あって春先に高知沖や和歌山沖で獲れる初鰹も旨く、一旦東北まで行って帰って来る秋の戻り鰹も初鰹以上に旨い。ただ鰹は初ものを喰うと縁起がいいとの江戸時代の流行によって初鰹の方をありがたがる傾向が強い。兎にも角にも旬が二回あるという代表でもあろう。
ウニといえば、北海道と世間の相場は決まっている。ところが日本で一番高く、最も旨いのが北海道のバフンウニではなく、淡路島の由良の赤ウニなのだ。豊洲市場でも夏場に獲れる由良の赤ウニは確固たるブランドとして高評価されている。多くの料亭がそれを求めて仕入れを行う。赤ウニは紫ウニと比べると10m以上も深い岩礁におり、なかなか獲れないそう。その味は雑味がなくて甘さがある。北海道のバフンウニは若干の苦みを感じるが、由良の赤ウニにはそれがない。では、なぜ淡路島でも由良に限られているのか?ウニは潜りで獲るもので、他の淡路島の地域には潜り漁が余りいない。あったとしても殻を割って捌く職人がいないので淡路島のものが由良に集って来る。だから由良のウニと評判を取るわけだ。「由良のウニが一番旨い」との証明をしたくなり、10年以上前に神戸市絡みのツアーで由良のウニを食べる会を企てた。ウニを集めるのは「海幸丸水産」の橋本さんである。大々的にPRしたために由良のウニが食せないと洒落にならない。だから「絶対に食事会の日に集めて!」とプレッシャーをかけた。ところが運悪く食事会の前に台風が到来した。台風が去っても海中は荒れて潜っても砂嵐のような状態でウニ漁どころではない。それでも橋本さんは私の顔を潰してはいけないとばかりにウニの漁師達に頼み込んでかき集めた。橋本さん曰く、一升瓶(日本酒)を持って一軒一軒訪ねたらしい。そんな事があったためになぜかその週には築地に由良漁協からウニがやって来なかった。噂では「神戸のグルメが買い占めている」と流れたそうだ。東京の一流料亭は、旬である夏に由良の赤ウニが来ないと面子が潰れるとばかりに由良の漁港に「二度と買い占めないでと、そのグルメに伝えてくれ」と言って来たらしい。ちなみに買い占めたグルメとは私の事らしい。由良の赤ウニの食事会は二回とあるわけではないし、台風一過の後だったのもあって橋本さんが漁師に頼み込んでかき集めるなんてケースも二度起こらないのだが、事情を知らぬ築地側からは、「金にあかして独占する奴」と映ったのであろう。後日橋本さんはそんなエピソードを笑いながら教えてくれた。
さて、そんな橋本一彦さんだが、悲しいかな昨年の11月に天国に召されてしまった。家族によると「お風呂の中で亡くなった」というからヒートショックだったのであろう。橋本さんが急死したために我々周囲の者達は、何となく踏ん切りがつかず悶々とした日々を送っていた。家族で葬儀を行ったらしく、お別れの場に立ち会えなかったのも悶々としていた因の一つ。今年の3月に「神戸メリケンパークオリエンタルホテル」の鍬先章太副総料理長と橋本さんの自宅に線香を上げに行き、彼の奥さんや長男に“偲ぶ会”を催す許可をもらった。長男の橋本一将さんはすでに「海幸丸水産」を継いでおり、「父の仕事ぶりがわかるし、弔ういい機会になれば・・・」と喜んでくれた。橋本さん縁りの店がよかろうと、毎年夏に“由良の大物鱧を食べる会”を行っていた「さかばやし」に会場を決めたのだ。「“橋本さんを偲ぶ会”をやります」と声を掛けると、満席になりそうな30人がすぐに集った。橋本さんの会らしく、当日は湿っぽくならずにやろうと声掛けし、橋本さんを慕う人達ばかりで思い出話をしながら一献傾けた。当日の料理は「さかばやし」の大谷直也料理長が、由良から橋本一将さんが送って来た魚介類を使って腕をふるった。企画した私から見ても実に橋本さんらしいお別れ会になったと思う。その証拠に参加した人から「いい偲ぶ会になりました」とのメールが何通も来た。これも偏(ひとえ)に橋本さんの人柄の成せる技だろう。最後にこの日の献立を記しておく。そして一言、橋本一彦さんよ、永遠なれ_と添えておく。

















































